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正解は1つではないことを知っている人はしあわせ


ふらりと訪れた図書館で、カウンターに鎮座した日めくりカレンダーを目にした。
水彩画と共に描かれた言葉は「正解は1つではないことを知っている人は幸せ」。

最近さまざまな場面で「何が正解か」ということを考えることが多く、疲れていたのだろう。
その一言に少し救われる、そんな気がした。


先日まで、1週間ほど休みを取ってニューヨークを旅行していた。
旅は、大きく2種類あると思っている。
「土地や景観、文化」を楽しむ旅と、「人」に会う旅。

この2つは不可分的な要素もあって、
異なる土地で異なる人と出会うことが異文化との出会いだったりするわけだが、
今回の旅行は「人」との出会いがキーだったと振り返っている。


約1週間、マンハッタンから1時間ほど離れたニューヨーク郊外のとある街で過ごしていた。
「83歳だなんて、自分でも信じられないわ。」
笑ってそう話すのは、家主のメアリーだ。

彼女は今から60年前、1960年代から働きはじめ、株でちょっとした財を成したのち、夫と共に長らく“ソーシャルワーカー”として仕事をしていたという。

ドラッグやアルコール依存症の人々の支援・カウンセリングをしていたこともあれば、
ホットラインの立ち上げ・運営に関する取組、
発達障害に関する理解の促進(彼女自身がADHDとの診断を受けている)、
異国の地で孤独に陥り精神的に衰弱した留学生や、移民の人々のケアなど、その活動は幅広い。


そんな彼女には4人の「孫」がいる。
3人の血の繋がった孫と、1人の血縁関係のない孫。この血縁関係のない孫の「彼」こそが、私とメアリーを結びつけた人物でもある。
ソーシャルワーカーとして働く中で出会った孫の「彼」について、彼女はこう語った。


“遺伝子的な繋がりで言えば、彼は私の孫ではない。けれど、彼は間違いなく私の孫よ。国籍や人種、何を信ずるかは関係なくね。

彼は誰かの世話を必要としていて、様々な偶然が重なり、私がその役を担うことになった。
「血の繋がり」だけが家族を形づくるものではないと、私は確信しているわ。”


金曜日の夕方から週末にかけて、メアリーの家はたくさんの来客者で賑わう。

付き合って10年ほどになる、彼女の88歳の”ボーイフレンド”やその子供たち、
離婚後も、友人として仲良く連れそう元夫婦、
父親の再婚相手を「実の母親以上の理解者」と言い切る若者、
同性婚をしているカップルや、事実婚を選んだパートナーたち・・・


数多くの”家族”の姿を垣間見て思うのは、
家族のかたちもまた、「正解は一つではない」ということだ。

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最近、周囲で「女はクリスマスケーキだから」と自虐的に話す友人が増えた。
12月24〜25日にはみんなが買い求めるクリスマスケーキが、26日には見向きもされないのと同様、女性も26歳を超えると「結婚」における市場価値が落ちる、という意味合いで使われている。

クリスマスケーキに例える表現が存在することは知っていたが、実際にそう感じる人が想像していたよりもずっと多いことに、驚いた。


家族のかたちも、パートナーシップも、暗黙の共通認識のようなものが、私たちを時に苦しめる。
異なる形態、選択、タイミングが許容されてしかるべきはずなのに。




正解を一つに定めてしまうことで、気持ち的に楽になる面があるのだろうか。
他の選択肢と迷うことも揺れることなく、「唯一の正解」を目指して努力し、結果を得ることができれば、それはそれで幸せだろうなと思う。

けれど、その「たった一つの正解」を長い人生のあらゆる側面でいつも手にできるとは限らない。


家族やパートナーシップだけではない。
働きかたも、暮らしも、価値を置くものも、幸せの感じかたも、あらゆることにおいて、正解は一つではないはずだ。

それにも関わらず、つい「唯一の正解」を探し求め、その形に当てはめようとしてしまう。
そして当てはまらない自分を見つけたとき、私たちは苦しくて堪らなくなってしまう。


世の中には、人の数だけ生きかたの正解がある。
1つの正解の形を目指すのは素敵なことだが、
正解は一つではないと考えることも、しあわせへの一歩かもしれない。

そんなことを考えている。



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