あなたの涙に、私は祈ることしかできないけれど
2019年を振り返ると、人生でこんなに涙を流したことはないというくらい泣いたと思う。
今年は、これまでで最も嬉しかったことも、想像すらしないほど悲しい出来事もあった。人の死に触れる機会も、多かった。
いろいろなもののために泣いた。
家族のため、友人のため、自分のため、見知らぬ人のために枕を濡らした日もあれば、社会の理不尽なあり方に涙がこぼれることもあった。
感謝の気持ちが止めどなく溢れる日も、世界の美しさに心打たれる日もあれば、
やり場のない憤り、虚しさ、悲しみを胸に、何に涙しているのか明確にはわからないまま、ただ泣く日も少なくなかった。
朝、通勤電車の中で涙がこぼれ落ちるのを止められなかった日は数えきれないし、
あまりにも絶え間なく流れるので、ついに涙の貯蔵庫が空っぽになって、感情が動きを止めることもあった。
思い返しても普通ではなかったと、思う。
私の心を蝕む病のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
あまりにも涙を流しすぎた私の目はついに医者にも「原因不明」と言われるほど腫れ、かれこれ2ヶ月治らない。
私の涙は、内面だけじゃなく外見まで変えてしまったようだ。まるで、本当に過去の私は存在しないかのように。
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私のまぶたは別として、涙が直接的に何かを変えることは、ほぼない。
もちろん人の心を動かした結果、状況や行動が変わることはあるけれど、他人の心を変えるなんて難易度の高いことに挑戦するくらいなら自分で行動を起こした方がよっぽど確実に物事は動きだすと思う。
でも、あふれる気持ちのやり場がないとき、涙は混沌とする感情の置き場を整理してくれた。
何かが解決するわけじゃなかったけれど、絡み合う感情の糸がほぐれるだけで、どれほど私は楽になったことか。
涙すら流れないほど心が疲れているときは、どんな涙でも流れるだけ嬉しいと感じた。頬をつたう涙はいつも温かかったから。
涙にはたくさん助けられた。でも、これほどたくさんの涙が流れたからには、もう人生で流す涙は大方使い果たしてしまったと信じたい。
あとは幸せな涙が数滴分だけ残っているような、そんな日々が続くことを、つい願いたくなってしまう。
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涙は悪いものじゃないけれど、できれば涙が止まらないよりも笑顔が溢れる世の中であって欲しい。
それでもこのnoteを読む人が、この世の中に存在する誰かが、どうしても悲しい涙があふれて堪らない日々を過ごしているならば、無力な私は祈りたい。
苦しい日々の中でも貴方に希望が訪れることを、そして、せめて貴方の残りの人生で流す涙は嬉しいもの、幸せなものばかりになるよう、ひっそりと祈ります。
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