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三浦春馬さん作品レビュー:わたしを離さないで

あらすじ

全寮制の学校、陽光学苑で暮らす恭子、美和、友彦。ごく普通の明るい子どもたちに見えるが、実は臓器提供を前提に作られたクローンたち。何も知らず無邪気に生きる彼らを待っていたのは、あまりに過酷な運命だった。

原作

原作はノーベル文学賞受賞作家、カズオ・イシグロさんの「わたしを離さないで」。私は先に小説を読んでからこのドラマを観ましたが、いったいこんな救いのない、トーンの暗い小説をどうやって映像化するのだろう、そもそも脚本や俳優陣がもししょぼかったら大事故だよ、と思っていました。

ドラマの脚本を手がけたのは森下佳子さん。「天皇の料理番」の脚本も手掛けた方です(のちに「おんな城主 直虎」も)。脚本家のお名前を拝見して、何とか観る価値を見出せるかもしれないと思い直しました。

陽光学苑という場所

作品中で、恭子(綾瀬はるかさん)、美和(水川あさみさん)、友彦(三浦春馬さん)の3人が暮らす陽光学苑は、不思議な空気を纏った場所でした。

そこにいる子どもたち(全員「提供者」として生を受けたクローン)は、普通の無邪気な子どもたちに見えるものの、着ている服がボロボロだったり、やたらと絵を描くことだけを勧められていたり、運動を制限されていたり。普通の「学校」というものを知っている私たちに強烈な違和感を抱かせます。

物語の後半、美和と友彦(以下、トモ)の「提供」が始まってから3人で訪れた陽光学苑。そこにあったのは「ホーム」という名の全く別の空間でした。

そこに暮らす子どもたちは本当に「家畜」としてしか扱われていない事に、3人はショックを受けます。そこで初めて、「提供者」の中でも自分たちが特別扱いだったことを思い知る事になったのです(正確には、陽光学苑を出たあとコテージで暮らすようになった時に薄々感じていたとは思います)。

陽光学苑は、ある意味「提供者」にとって、家畜としてではなく人として育ててくれる貴重な場で、そこで出会い、ともに育った恭子と美和とトモの関係を育んでくれた場でもあったのだと感じました。

学苑時代の友人・真実の示すもの

恭子と美和と同じ部屋で学苑時代を過ごした、真実。彼女が学苑を出た後に暮らしたコテージには、「提供者」の権利を求めて運動をする人たちが集まっていました。次第に運動に傾倒していく真実。権利を求める運動をしていることが警察にバレて、逃亡した先で街頭演説をします。

自分の存在を知ってほしい。家畜ではなく、感情のある「人」であること。もし自分たちのような存在を作り出すのなら、何も考えないようにしてほしい・・・「提供者」として過酷な運命を課された彼女の叫びは、観ているこちらに悲痛に響きます。

しかし、物語の中の人たちには届かなかった。彼女は自ら手に持っていたナイフで、命を絶ちます。

「提供」するために生みだされた真実が、自らのために命を使う。「提供」される側のためにではなく。物語の外側にいる私は、それを一つの選択として認めてあげたい、と思ってしまいました。

人として当たり前の暮らしを送ることも許されず、会ったこともない他人の命を延ばすために存在している「提供者」。あなたの人生は、あなたのものだよ。そう言ってあげたくなりました。この物語での真実は、「提供者」の置かれた過酷さと理不尽さを強く観ている側に印象付けました。

抱いた夢と希望

子どものときは「サッカー選手になる」「ここを出たらプロを受ける」と言っていたトモ。それが叶わないことが分かった時の絶望。でもサッカーをやめようとはしない。好きなんですねサッカーが。

やってもプロになれないからといって、好きだからやめない。希望が閉ざされた現実を目の当たりにしても、かなわなくても、夢は夢だと。

トモは、同じコテージに暮らしていた恭子が、いろんなことがあって出て行ってからずっと、いつか恭子とともに「猶予」をもらえるように、苦手な絵を頑張り続けました。

それは、「提供」が始まって、自分の命が尽きるまでのわずかな時間を、「猶予」で延ばしてもらい、大好きな恭子と暮らすというささやかな希望を叶えるため。

いずれ自分が辿るはずの運命の過酷さを嘆くこともなく、小さな希望をかなえようと頑張り続けるトモ。再会した恭子の寝顔を描きながら「とっても可愛かった」と屈託なく言うトモ。トモは、自分の背負ったものの重さを理解しつつ、いつも夢と希望をもって生きていたのだなと思わされました。

絶望・そして・・・

「猶予」など存在しないことが分かったその帰り道、トモは感情を爆発させて号泣します。何度目の絶望だったのでしょうか。何度傷つけられるのでしょうか。

この時、すでに2回の「提供」の後だったトモは、3度目の「提供」(命が終わるかもしれず、終わらなくても一人で出来ないことが多くなる)が決まった後、恭子を遠ざけようとします。そんなときでした。学苑の先生だった堀江龍子(伊藤歩さん)と恭子が街で再開したのは。

龍子先生が誘ってくれた少年サッカーの試合で恭子とトモ、2人が見たのは、サッカーを頑張る少年を大きな声で応援するお父さんでした。

聞けば、「提供」を受けて元気になった人のようです。息子の名前に、「提供者」の名前をつけて、大きな声でその名を呼ぶお父さん。もらった命があったからこそ、その子が存在している。「提供者」を家畜ではなく、そんな思いで見つめてくれている人の存在を目の当たりにして、「俺、生まれてきて良かったよ」というトモ。

もう観ているこちらは号泣です。サッカー選手になる夢はかなわなかったし、猶予は存在しなかったけれど、過酷な運命の中、恭子に出会えて、恭子を愛せたこと。わずかな間ではあるものの、ともに暮らせたこと。「提供」される側にも、温かい人がいるということ。それが、トモに「生まれてきて良かった」と思わせてくれた、最後の希望だったのだと、心に沁みました。

全体を通じて:トモとしての春馬さん

トモの子ども時代を演じた子とのシンクロ率が、非常に高いです。これは、この子が大きくなったのが自分だとわかるように演じなくては、ということで、自分の出演シーンがない時も、子役の子の演技を観に現場に足を運んで参考にしていたのではないかと想像しました。

感情を爆発させると地面を激しく蹴ったり、ガードレールにこぶしをぶつけたり、緊張するとおならをしたり。大人になったトモは、子どもの時のままの部分をたくさん残していました。

「ラスト♡シンデレラ」のようなキラキラ王子様感は全くなく、かといって「サムライ・ハイスクール」の弱気なイマドキ高校生・望月小太郎とも違う、どこかオドオドして自信がなさそうで、裏表のない、サッカーが大好きで、素直なトモ。

でも、抱えている運命の過酷さゆえに、どこかぬぐえない影が付きまとう。言われなければ三浦春馬さんだと気づかないほど、トモそのものでした。

トモの存在は、この物語の中で「提供者」の絶望と希望、そしてわずかな救いを表現する難役です。主演の綾瀬はるかさんも合わせ、お二人の力量と脚本のおかげで、良いラストになったと思っています。

終わりに

最後のシーンが好きです。トモの最後の「提供」が終わってから数年後、恭子が宝箱をもってのぞみが崎へ行くところ。恭子の足元から離れない、つぶれたサッカーボール。良かった、トモが来てくれたね。思わず、恭子にそう話しかけたくなりました。

恭子役が綾瀬はるかさんで、トモ役が春馬さんで本当に良かった。ほかの人だったらこの物語には一ミリも救いを感じられなかったかもしれない。綾瀬さん、春馬さんだったからこそ、わずかな救いを感じることができた。全話見返して、そんな風に感じました。

2016年3月まで放送されていたこのドラマ。このわずか4ヶ月後に「キンキーブーツ」で春馬ローラに度肝を抜かれ、ミュージカルスターとしての三浦春馬に魅了されるとは、この時は全く思っていませんでした。全話一気に観終わったあと、その事に気づいた私は、改めて三浦春馬という役者の凄みを強く感じたのでした。

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