“海外”というステータスの呪縛
私は、ヴァイオリンを持って飛行機に乗ったら楽器に付けられる[機内持ち込み手荷物]のタグを捨てず、付けたままにしている。
音楽祭で飛行機で飛び回ることが多く、福岡に住んでいた時もレッスンを受けに月に2回東京へ行っていた。
日本の航空会社は楽器に厳しく、私の楽器ケースは機内持ち込み可能サイズなのに保安検査所で止められることがよくある。
そのため、これまで何度もヴァイオリンを持って飛行機に乗っていることを証明するため、わざとつけている。
ウィーンに行ったときも付けたままにしていた。
私は、音大のロビーで友達と練習部屋の順番待ちをしていた。
それを見た知り合いが「え、旅行客じゃん。笑」
と笑ってきた。
東京生まれ東京育ちの彼女には飛行機移動の苦労がわからない、のは仕方がない。
私は“一時帰国したときこれ付けておかないと日本での移動が不便だからさぁ”と咄嗟に言って、自分から発されているであろう不愉快な雰囲気を誤魔化した。
ちなみに彼女と会うのは今回が2回目。友達の紹介、みたいな感じで知り合った。名前と顔と連絡先しかしらない。
悪意はなかったと思う、悪い子じゃない。でも私は彼女の演奏は聴かなくていいかなと思った。
ニュアンスとしては、ウィーンに来たばかりの私と、ずっと住んでいる彼女に、線引きをするかのような態度だった。
海外に長年いることをがなにをもってそんなに偉いのか、疑問に思うようになった。
もちろん、海外生活は本当に大変だ。すれ違う人々とは、肌や髪や瞳の色から文化や言葉も違う、そんなところで生活してるだけで立派だと思う。
もちろん、クラシック音楽を専門に生きていく上で、海外で勉強することは大事だ。
長く住んで、現地で学んでいる仲の良い友人はたくさんいる。でもマウントを取ったりしてこない。マウントを取る暇さえないくらい努力していて、とても尊敬している。
だからこそ、心外な言葉を放つ人に辟易してしまうし、ここに居たくない、という結論に至った。
味のしないワイン
私の一時帰国が決まったとき、これから長年いる予定の友人と、ハイリゲンシュタットのホイリゲ(ワイン居酒屋)にワインを飲みにいった。
ハイリゲンシュタットはベートーベンが没したところだ。とても綺麗な場所で、ウィーンの中心から離れて山や森があって自然に溢れて空気が美味しい。私はよく友人たちとハイリゲンシュタットに入り浸った。
夏の終わり、
ウィーンを去ることを決めた私は、悔いのないように色んなところへ行った。
シューマンが少しだけ住んだ割とマイナーなウィーンの家を外観だけ見に行ったり、足を伸ばしてハンガリーやチェコにも弾丸一人旅をしたり、皮肉なもので自分に残された時間が限られたものになると、行動力が爆発するような人間なんだと痛感していた。
とにかく“今”をたくさん感じようとした。
今まで自分の身の回りにあった当たり前のものである一流のコンサートや壮大なオペラにももう行けなくなる。
昔の音楽家が見てきた景色、感じてきた空気も味わえなくなる。
しみじみそういうことを考えると、ウィーンを去るのを少し名残惜しく思った。もうすこしウィーンに居たかったなぁ、と呟いた。
友人がこう私に向かって言った。
「それは観光客としてでしょ?」
酔いも覚めたし、何か別のものも冷めた感触がある。ウィーンに1年居たことを、私が存在していたことを否定されたように思えてとにかく悲しかった。苦肉の判断で帰国することを知っていたはずなのに。知り合いではなく“友達”だった彼女にそれを言われたことが辛かった。
たしかにこれから長くウィーンにいる予定の子だ。彼女がどうしても海外留学したかったのも知ってる。
だけど長くいることがそんなにも偉いことなのかという疑問を投げかけれないままワインで流し込んだ。もうワインの味なんて、わからなかった。
こういうことを言われ私が1年で帰ることを気にしたとき、ドイツに長年留学してるピアニストの友人から
「留学は長さじゃないよ。私はドイツで仕事したいからここで学びたいし今も仕事もらったりしてこっちにずっとおれるようにしてる。私は日本には特にツテもあらへんし。私の友達でも、日本に仕事見つかった!って言ってサッと帰国する人もおるし、日本での仕事もあるし、って言って期間決めて1年だけって決めて海外で勉強する人もおるし。そもそもハルカちゃんは日本で仕事したいんやろ?それなら帰ってええんちゃう?」
と関西生まれの彼女は、特に私のことを気を使う雰囲気でもなく、自然の摂理だと踏まえた上でさらっと言ってくれて、私が発していた陰気なムードが和らいだ。長年住んでいる人の口からこういうことを言ってもらえると、人間嫌いに拍車がかかっていた私にストップがかかる。
長年海外生活をしているザルツブルグの友人からは、
と喝を入れられた。
言っておくが、私がこの前後になにか相談したわけでも、自分に放たれた悲しい言葉を伝えたわけでもない。先回りして私のコンプレックスを見抜かれていた。
私の評価は他人が決める、ということを胸に刻んで、日本でできることから頑張ろうと自分と約束した。
海外で勉強している人は素直に応援している。最高の環境で学び続けられることを羨ましくも思うが、また私に刺激を与えてもらえたらな、と、海外勢の活躍に日本からエールを送っている。
【どこにいるかではなく、誰となにをしているか】
ウィーンから帰ってきた今、自分からなにを醸し出せるか考えながら今日も私はヴァイオリンを弾く。
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