もう一度過去に触れて、優しさの意味を知る。
過去は美しい。
記憶のなかで、わたしを取り巻く人たちはみな美しい。
屈託のない瞳で笑いかけ、
淀みない声で私をそばに引き寄せてくれた人たちの、神聖な美しさ。
そして、その美しさは時折、冷たく鋭利なガラスの破片で過去のわたしの頬に傷をつける。
やさしい、やさしいひだまりの片隅に
醜い、醜い私がそこにいる。冷たい血を流して。
過ぎし日の自分の幼さと、月日を重ねてから対峙することの絶望。
どれほど悔いたところで、もう戻れない日々のこと。
過去の他者の行為に、何度も意味づけを繰り返そうと試みる。
記憶のなかの人々は、その度に違う顔をわたしに見せる。
自分に都合の良い解釈を、気休め程度にひねり出すのだ。
事実は1つでも、人々の紐帯の隙間に幻想を差し挟む余地はある。
他者の心の美しさに震え、自分の愚行を恥じ、優しく賢く振る舞えなかった利己的な自分を憎む。
あの人のようになりたいと強く願う。
大人びていたあの人のこと。人を許すことを知っているあの人のこと。
何度も思い出して、反芻するたびに苦しくなる。
時が経っても、癒えることはない。
時が流れるほど、痛みは増すのかもしれない。
けれど、それは。
あの人に少しずつ近づいているということなのだと思う。
きっと、過去の自分を恥じ、悔いることは
自分の立場から離れて、他者の視点を手に入れようともがくことなのだ。
他者の行動の意味が、意図が理解できるようになる程、
過去の思い出は涙で満ちていた私の心の内側に沁みていく。水溶性の絵の具みたいに、溶けていく。
抱えて生きるには足かせだった記憶に、新しい意味をもたせられる。
ずっと抱えていた異物が、私の一部になっていく。
過去の誰かの優しさに、今の誰かの優しさに気づけるようになったとき、
あなたは少しずつ、変わっているということ。
失敗しても、くじけても、誰かを無神経に傷つけてしまっても、
私を生きられるのは私だけだから。
目を逸らさずに過去と向き合って、過去の自分を助けに行こう。
そう信じて、自分に意味を与えていく。
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