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人はありのままの事実ではなく、思い込みを見ている

1. ありのままの事実を見ている人なんていない

いきなり極論から始まりましたが、あながち極論とも言い切れません。
私たちは、ありのままの世界を見てるのではなく、何かしらの色メガネをかけて世界を見ています。

例えば、19時に子供が外でボール遊びをしている時に、
「楽しそうだな」と思う人もいれば
「日が暮れている時間に外で騒ぐなんて非常識だ」と思う人もいれば
「ガキはうるさいから嫌なんだよ!」と感じる人もいます。

このように私たちは何かしらの出来事を、何かの思い込みを通して見ていることがほとんどです。
その思い込みは自分で勝手に作り上げたものから、学校や社会に植え付けられたものもあります。

「そりゃそうでしょ。今更そんな分かりきったこと言われなくても知ってるよ!」
と思う人もいるかもしれないですが、私たちの世界は想像以上に思い込みで出来上がっています。
普通の人がありのままの世界を知ると、「そんなのスピリチュアルだ!ありえない!」と言って相手にされないほどありのままの世界と思い込みの世界は乖離しています。

それではどのくらい思い込みに自分たちの知覚が支配されているか見ていきましょう。

2. 思い込みの正体

思い込みと聞くと、ネガティブなイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか?
思い込みなんてない方がいいと思われる方もいるかもしれませんが、思い込みは重要な役割を果たしています。

我々人間は、思い込みというこの3次元世界で現実創造するための力が与えられています。
思い込みには、現実を創る魔法の杖のような役割があります。どれくらい強力かと言いうと、無から有を生み出せるほどの凄まじいパワーを持ちます。
思い込みの説明する前に、この3次元世界の意識と物質の関係についてお話しします。

3次元世界は素粒子で出来上がっています。素粒子は波の状態(=目に見えないいわゆる意識と呼ばれる状態)と粒の状態(=目に見えるいわゆる物質の状態)がありますが、素粒子は波と粒の状態をどちらもほぼ同時に持っています。どういうことかというと、素粒子が波と粒の状態を行き来しているということです。ある瞬間は波、ある瞬間は粒の状態に切り替わってきます。同じ1つの素粒子が、波→粒→波→粒と交互に切り替わっています。1秒間に何京回というおぞましい回数で波と粒の状態を行き来しています。私たちの体は一見、ずっとそこに物質として存在しているように見えますが、それは真実ではありません。体は、ある瞬間は波の状態(意識)、ある瞬間は粒の状態(物質)、になっています。しかし、あまりにも切り替わりが早すぎてずっとそこに物質が存在しているように見えるだけです。
例えば、不安や仕事のプレッシャーで悩んでいたら、胃が痛くなる経験はありませんか?不安という波の状態が胃の痛みという粒の状態に切り替わったために、このような現象が起きたのです。

波の状態で1秒間に振動する回数を周波数と呼んでいます。波の状態での周波数が、粒の状態での物質状態に影響を及ぼしているのです。波の状態が先で、粒の状態が後なのです。つまり意識が先で物質が後です。

人間の意識も波です。人間が特定の何かに意識という波を向けることで、発した意識の波がドンドン宇宙全体に波及していきます。まるで池に小石を投げた時に生まれた波が池全体に伝わっていくように、人間が発した意識は波となり、宇宙という波を伝わっていきます。3次元世界では波は、波であり同時に粒であり、つまり物質でもあるので、具現化をし始めます。
どうやって具現化するのかというと、同じ周波数同士引き合うことで具現化が始まっていきます。波の状態での周波数は、同じ周波数を引き合わせるという性質があるので、人間が発した意識=周波数に応じたものが引き合わされていくことで具現化が起きてきます。

人同士の引き合わせを例に挙ます。
Aさんが「〜をやろう」と決めたとします。すると、後日Aさんの願望達成に必要なBさんのところに直感がやって来ます。「セミナーを開こう」というひらめきがやって来ました。Bさんは直感通りにセミナーを開きSNSやYouTubeで告知をしました。ある日、AさんはYouTubeを見ていると、関連動画でBさんのセミナー告知動画を偶然見かけ、Aさんは直感で「欲しかった情報はこれだ!」と思い立ち、セミナーに参加しました。これによりAさんはBさんと会うことができ、Aさんは願望達成に必要な情報を得ることができました。
この例では、直感という意識の動きによって、物理的に会うという動きを引き起こしました。

何が言いたいのかというと、意識の目を向けられた瞬間に、実現に向けて宇宙が動き始めるということです。
人間が発した意識という特定の波の状態が、宇宙全体の波を揺さぶり、その波が粒となり具現化するのです。

話を思い込みに戻しますが、思い込みも意識です。
先ほどの人同士の引き合わせの例だと、Aさんが「〜をやろう」と決めたことで、それに対して意識の目が向けられました。
一方、思い込みの場合は、常にずっと意識の目が向けられています。決めなくても意識を向けようとしなくても常に意識の目が向けられています。
すると、その思い込みが向けた意識通りの現実になっていきます。
思い込みが現実になるパターンは主に2つあると感じています。

1つ目は、なんてことない些細な出来事に対して、偏った見方や解釈をしてしまうパターンです。
記事の冒頭に記載した子供が外で遊んでいる光景を見て、「外で騒ぐなんて非常識だ」という見方をしてしまう例が挙げられます。
思い込みによって事実が捻じ曲げられて解釈されてしまうパターンですね。これはイメージしやすいと思います。

2つ目は、思い込みという意識の目が常時働くことで、思い込みの内容に沿った現実が創造されるというパターンです。
例えば、「私には価値がない」と心の奥深くで思い込んでいるとしたら、私には価値がないという意識の目が常時向けられていることになります。すると、私には価値がないという波が宇宙全体に波及することで、うちゅがそれを具現化しようとし始めます。その結果、会う人に雑に扱われたりする機会が多くなります。
逆に、「私は誰とでも友達になれる」と思い込んでいるとしたら、常に誰とでも友達になれると意識の目が向けられることになります。そういう人からは常にフレンドリーな波の状態を発しているので、会う人から親しみやすく感じ取られ、好かれやすくなります。好意的な波の状態が、相手の波の状態、つまり相手の意識状態にも好意的な作用を及ぼすのです。

このように、思い込みは現実を創造するのです。
冒頭で思い込みは現実を創る魔法の杖と記載しましたが、上記のような現象が起きて現実創造が起きています。
様々な思い込みがあるおかげで、人間は他の動物と違って複雑な現実創造が可能なのです。

思い込みという魔法の杖は、上手く使いこなせば、強力な武器となります。
しかし、使いこなせなければ、自分を傷つけることになります。
「私は誰とでも友達になれる」と思い込めば、人付き合いに困ることは少なくなりますし、「私には価値がない」と思い込めば、この世は地獄になります。
ちなみにほとんどの人は、思い込みを自分を苦しめるために使っています。厄介なのは本人にその自覚がないことです。自分が自分をつねっていることに気づいていないのです。

ここで伝えたいのは、思い込み=悪ではなく、思い込みは魂が見たい世界を創造するために与えられた素晴らしい力だということです。
ただ生きていく過程で、学校や社会によって植え付けられたり、自分で勝手に勘違いして作り出してしまったことで、いびつな思い込みが出来上がってしまっただけなのです。

3. ありのままの姿とは?

それでは、思い込みが外れたありのままとはどんな状態なのでしょうか?

ありのままの状態を知るためには、言葉ではありのままを正確に指し示すことができないことをお伝えせねばなりません。
私たちの思い込みの物質世界は二元性がベースになっていますが、ありのままの状態は二元性を超えています
言葉は二元性の中でのみ機能するので、言葉では二元性を超えたものを正確に指し示すことができないのです。
言葉が正確に二元性を超えたものを指し示せない理由は以下の記事で詳しく解説しているので、興味があればご覧ください。
https://note.com/haru_selfcompass/n/n581a8f084fb2

言葉で正確に二元性を超えたありのままを指し示せないから説明を放棄するのも無責任なので、以下の2種類の方法のうち、否定法を使って説明したいと思います。
1つ目は、否定法。「あれでもない、これでもない、それでもない」と否定をしていって、「否定されていない残ったものがそうですよ」と主張するやり方です。Aは思い込みだからありのままではない、Bも思い込みだからありのままではない、Cも思い込みだからありのままではないと、ありのままではないものを排除していくことで真理に近づいていくことができます。
2つ目は、類推です。「〜は〜だ!」と断定するのではなく、「〜は〜のようなもの」とそれに近しいものを例えとして挙げることで、言いたいものに近づけていくやり方です。

ありのままの姿は3次元を超えた部分も存在しています。3次元に存在する我々は3次元より次元が上の世界を知覚することが非常に困難です。まして言葉で正確に説明することはできません。どんな言い方をしても、言葉という文法に落とし込んだ時点で真実がこぼれて落ちてしまいます。
そのため、類推を使って、直接ありのままの姿を例えるのは無理があります。
今回は、1つ目の否定法で説明したいと思います。どんなものが思い込みとして定着しているか見ていくことで、ありのままではないものを取り上げていきいます。全ての思い込みを列挙するのは無理なので、思い込みの一部を取り上げます。
※否定法の中に類推でありのままの姿について触れる部分がありますが、言語を使っているため、真実とのズレはどうしても生じてしまいます。ご了承ください。

自分が感じていること=思い込み

まずは分かりやすいところから入りましょう。
自分が外側の出来事に対して感じることは思い込みです。
例えば、灰色のペンがあったとして、ある人は白っぽい灰色と思う人もいれば、黒みがかった灰色と思う人もいれば、灰色ではなく銀色だと思う人もいます。人によって「灰色の定義」が異なるからです。自分が認める灰色の定義を基準にして、色を認識します。

また、感情も思い込みから発生している場合が多いです。抱く感情が全て思い込みから発生しているわけではないですが、何かしらの思い込みがトリガーとなって感情を引き起こしています

例えば、Aさんは会社に勤めていて上司から毎日過剰に怒鳴られていたとします。あまりにも怒られすぎてメンタルがやられてしまいました。その時に自分の身を守るために「他人に怒られてはいけない」という思い込みを自分で作りあげました。
ある休日に気分転換でもしようと思い、ショッピングモールに出かけました。そこで小さい子供に怒る母親の姿を見かけました。その姿を見たAさんは胸が苦しくなり嫌な感情が湧き上がってきました。
この例だとAさんは小さい子供に怒る母親の姿を見ただけで、Aさん自身は怒られたわけではありません。普通であればその姿を見たところでAさんが嫌な感情を感じる必要はありません。しかし、母親が怒る姿を見て、Aさんが持つ「他人に怒られてはいけない」という思い込みが刺激され、その思い込みが苦しみや嫌な感情を発生させたのです。
このように、外側の出来事に対して起こる出来事に対する感じ方や抱く感情は思い込みが生み出したものであり、その感覚や感情は事実ではありません。思い込みが生み出した幻なのです。

物質が存在している=思い込み

私たちは物質が存在していると思っていますが、それは真実ではありません。ずっと物質がそこに存在しているように見えるだけです。先ほど記載した通り、この世界を構成する素粒子は波→粒→波→粒と交互に切り替わっています。波とは意識です。粒とは物質です。目の前にあるパソコンやスマホもずっと物質なのではなく、瞬間的には意識(非物質)であり、瞬間的には物質であるのです。

どちらかというと、本体は意識の方です。膨大な(物質的な言い方ですが)意識の中の、一部分の意識が瞬間的に物質に切り替わり、その物質になった一瞬だけを見てスマホがあるように見えるだけです。膨大な意識のごくわずかな一部分の瞬間的な側面を見てスマホが存在しているように思い込んでいるのです。

イメージ的には、川の上流が意識で、下流が物質という感じです。上流も下流も同じ水が流れていますが、違う側面を見ているところが意識と物質の関係にも現れています。

私たちの身体も同じです。肉体としての身体が本体のように見えますが、本体は意識の方です。膨大な意識の内、自分の身体を担当している意識領域のようなものがあります。その意識領域の一部分が瞬間的に物質に切り替わった部分を見て身体だと思い込んでいます。

私たちには7層のエネルギーボディと呼ばれる意識があります。この7層のエネルギーボディの意識を経由し、7層目のその先の意識(無理やりですが8層目の意識)が意識と物質を瞬間瞬間交互に切り替えすることで、私たちの肉体が存在しているように見えます。物質としての肉体がずっとそこに存在しているわけではありません。7層の意識体と繋がった先の意識の瞬間的な仮の姿が物質としての肉体なのです。

余談ですが、思考は脳で行われていると思いがちですが、それは違います。思考はエネルギーボディの第3層目であるメンタルボディという意識体で行われています。また、勉強した知識は脳に保存されているわけではありません。このメンタルボディに保存されています。脳は他の意識体とつなぐ役割を担っているだけの脂肪の固まりなのです。

私たちが普段見ているものは意識の瞬間的な仮の姿なのです。物質と思い込んでいるものは実は意識なのです。
肉体や物質は、意識の瞬間的なお飾りと言ってもいいのかもしれません。

問題や問題解決=思い込み

問題なんてものは存在しません。
問題だと思っている内容そのものが思い込みなのです。「~に悩んでいる」という問題があるのではなくて、「~に悩んでいる」という思い込みがあるだけです。更に言うと、悩みなんて存在しません。悩みという種類の思い込みがあるだけです。「問題の内容=思い込み」です。
「ちょっと待ってくれ!これまで自分はいろんな問題を解決してきたぞ!問題が単なる思い込みのはずがない!」と思う方もいるかもしれませんが、問題を解決したというのも思い込みです。何かを解決するという行為すら思い込みです。
問題解決で物質世界で見えている内容と実際に意識状態で起こっている内容を比較してみましょう。

物質世界で起こっているように見える内容:
問題となる出来事が発生→行動を起こす→行動によって問題が解決された

実際に起こっている内容:
この瞬間の運動(何かしらの変化)が発生→「〜というトラブルが起きた」と問題という種類の思い込みを生み出す→行動を起こす→行動によって自分の意識状態が変わる→意識が変わることで物質世界が変わる(意識=物質世界のため)→変化した物質世界を見て「〜というトラブルが起きた」という思い込みが外れる→この瞬間の運動(何かしらの変化)に戻る

物質世界だけを見ていると、行動が直接問題を解決したように見えます。
しかし、実際は、意識が変わることで物質世界の現象が変わっています。「もうこれで大丈夫だ」と思えて意識が変わることで、「もう大丈夫」な物質世界へと変貌を遂げます。
それでは、行動は問題を変えていないのでしょうか?その通りです。行動自体は問題に何も作用していません。行動をすることで、意識が変わります。その変わった意識が物質世界を変えるのです。なぜなら物質世界は意識の瞬間的な仮の姿だからです。
行動が意識のわだかまりを刺激し、意識のわだかまりが解消されることで、物質世界が変化します。

例えば、Aさんは仕事で価値観の違いが引き金となって職場のBさんと揉めてしまって一切口をきかなくなったとします。Aさんは「あいつの〜なところが許せない」と感じて喧嘩になってしまったようです。自分の「〜すべき」という思い込みがこじれを生んでいます。AさんはBさんに「このままでは仕事にならないから、お互いの妥協点を探って協力しよう」と持ちかけました。その場では妥協点を探り、プロジェクトを乗り越えることができました。
しかし、また別のプロジェクトでBさんと仕事をした時にまた喧嘩になりました。価値観の相違がまた起きたのです。妥協点を探るという行動は何も解決していないのです。なぜなら、Aさんの「〜すべき」という意識が変わっていないからです。
Aさんは「自分が持っていたこだわりを捨てよう。いろんな仕事のやり方があってもいいのかもしれない」と思い始めました。
ある日、AさんはBさんと打ち合わせをしましたが、案の定喧嘩になりました。とうとうAさんは疲れ果ててしまい、もう自分の意見を通すことを諦めました。自分のこだわりにしがみついても仕方ないと思い知ったのです。
AさんはBさんに「自分の好きなようにやってみなさい」と伝えました。この瞬間Aさんの意識では「〜すべき」という思い込みを手放したのです。「好きなようにやってみなさい」と相手を受け入れる行動が、Aさんの「〜すべき」という意識を刺激し、意識のわだかまり(思い込み)がほぐれたのです。
すると、後日Bさんの方から「Aさんの希望や要望はありますか?」と聞いてくるようになりました。意識が変わったことで物質世界が変わったのです。

このように意識が変化することで物質世界も変化する現象を、問題解決と呼んでいるだけなのです。
「行動しないと意識が変わらないのではないか?」と思うかもしれませんが、意識を変えるのに行動は必要ありません。上記の例だと、Aさんは「〜すべき」という思い込みに気づいて手放せていれば良いのです。
要するに、問題も問題解決もただの幻にすぎないのです。「問題を解決した」という思い込みに支配されているだけで、実際世界は全く違う挙動をしているのです。

目標達成=思い込み

皆さんは何か目標を立てて、目標達成に向けて行動を起こすことで、目標を達成したことはありますか?そのプロセスすら全て思い込みなのです。
目標に向けて行動して目標を達成しているように見えるだけで、目標達成のプロセスは思い込みです。
目標を掲げて、その目標に向けて計画を立てて地道に行動していくことで目標が達成されると思われています。しかし、実際はそのような挙動はなされていません。
それでは目標達成でも、物質世界で見えている内容と実際に意識状態で起こっている内容を比較してみましょう。

物質世界で起こっているように見える内容:
目標を決める→目標達成に向けて計画を練る→行動する→地道な行動により目標に向かってやるべきことを徐々に達成していく→目標が達成される

実際に起こっている内容:
この瞬間に意識状態で全て(欲しいものなどあらゆるもの)が存在する→目標を決める→目標を決めた瞬間に、目標を達成した物質世界とそれに関連するあらゆる選択肢の物質世界が作られる→行動する→選択と行動を行うことで、今いる物質世界とは別の物質世界に移動する→行動を繰り返すことで、やりたいことがもっとも実現しやすい意識帯=物質世界に移動が完了する

これを読んでもよく分からないと思います。細かく書くと長くなるので説明を端折りました。様々な物質世界が存在することを「パラレルワールド」と呼ぶことが多いです。ここを細かく説明していると膨大な量になるのでまた別の記事でパラレルワールドについて解説しようと思います。

ここで、言いたいことは、この瞬間に、達成したい目標は、意識状態で、もうすでに達成されているということです。物質ではなく意識状態であらゆる全てがこの瞬間に格納されていますが、欲しいものを物質世界に小出しにしているのです。一気に欲しいものを意識から物質化するのではなく、少しずつ出しているだけです。意識状態で今この瞬間に欲しいものは存在しており、今いる物質世界とは別の物質世界に移動することで、小出しにしているのです。

例えば、定食屋で焼肉定食を注文したとします。厨房ではすでに焼肉定食を作り終えています。あなたのテーブルにサラダが運ばれてきました。続いて味噌汁が運ばれてきました。さらに続いてご飯が運ばれてきました。あなたは不安になりました。焼肉を頼んだのに全然肉が来ていないと。でも厨房には焼肉定食はすでに揃って完成しているのです。小出しにしてテーブルまで運んでいるのです。次に漬物が運ばれてきました。もうダメかもしれないと思っていた矢先に、メインの焼肉が到着しました。
イメージ的にこのようなことが実際には起きています。

常識的には、目標を立てたり計画を立てたりしている開始時点では欲しいものは今現在手に入っていないと思われがちです。今手にしていないものを行動によって徐々に獲得していくと思い込んでいるのです。なぜなら、今現在、欲しいものは目に見える物質として自分の手元には確認できないですが、行動によって目に見える成果が現れてくるからです。
しかし、実際は違うのです。欲しいものはすでに在るのです。すでに目標は達成されているのです。目に見えない意識状態で欲しいものはすでに手にしています。
すでに欲しいものがあるのなら一気に物質化して出してくれと思うかもしれませんが、そうもいきません。5次元以上の意識世界であれば欲しいものを思い浮かべるだけで瞬時に欲しいものが実現します。しかし、この3次元世界はすでに出来上がっている物質世界があるので、少しずつ変化させていくしかありません。意識のようにパパッと具現化できないのです。

とはいえ、1つの物質世界の中では変化させられる幅に限界があるので、全く別物の物質世界を複数作っておくのです。今居る物質世界ごと別の物質世界に取り替えることで、徐々に物質として変化させていくのです。これが先ほどの記載した「今いる物質世界とは別の物質世界に移動する」ということです。物質世界ごと交換していくことで、この瞬間に意識状態で存在する欲しいものを小出しで具現化していっているだけなのです。

いつ物質世界の移動を行っているのかというと、瞬間、瞬間に起きています。1秒よりももっと短いこの瞬間ごとに物質世界の移動が行われています。「物質世界ごと入れ替えるだと!?1秒前と今だと何も変わらないじゃないか!」と思った人もいると思います。分かりにくことに移動前の物質世界も移動後の物質世界もほとんど違いがないように見えるのです。何も変わっていないように見えるだけで、全く別物の世界に切り替わっています。

特に大きな物質世界の移動による変化が分かりやすいのは、何か選択したり行動したりしたタイミングです。新しいことをやり始めたり、前から会いたいと思っている人と会ったりすると、大きな物質世界の移動が発生します。ただ部屋でゴロゴロしてるだけだと物質世界の移動による変化は微々たるものなので、その変化に気付きにくいでしょう。

まとめると、欲しいものは今無くて、目標を立てて行動することで、欲しいものが手に入るというプロセスは思い込みです。事実ではありません。
欲しいものは今すでに意識状態で手に入っており、物質世界を取り替えることで、手元にあるものが形を変えていっているだけなのです。
目標はすでに達成されており、すでに手に入っているものの表現方法が変化しているだけなのです。

自分と他人が分離している=思い込み

皆さんは自分と他人は分離していると思いますか?それとも1つにくっついていると思いますか?
正解は後者です。自分と他人は分離しておらず1つに繋がっています
自分と他人だけでなく、目の前のスマホやビル、鳥、猫、地球など全てのものは分離しておらず、繋がっています
自分の肉体は空気を介して他人の肉体と繋がっています。経由する物質は違えども、全ては繋がっているのです。
「身体には皮膚があって境目があるじゃないか!肉体は皮膚を境目として区切られている!」と思いがちですが、皮膚や境目ではありません。皮膚は異なる物質との縫い目です。
世界は縫い目のない1つのまとまりなのです。
大気と大地は大地を境目に区切られているのではありません、大地は大気との縫い目なのです。
故に、他人は存在しません。なぜなら宇宙という単一のそれが在るだけなのですから。単一のそれの一部分がウネウネとうごめいているだけで、動いている一部分が他人に見えるだけです。

そんなの信じられないという方は、世の中のものは全て分離していると仮定して様々な物事を観察してみてください。分離していると仮定すると説明がつかない出来事が多々存在することに気がつくでしょう。

例えば、近くにいる誰かがイライラしていたら、自分もイライラしてくる経験はないでしょうか?自分と他人が分離していれば、他人がイライラしようが自分がイライラしないはずです。他人の感情状態が、分離している自分に作用するのはおかしいことなのです。他人と自分は空気を通じて繋がっていると仮定すれば、他人のイライラの感情が空気を介して自分に伝わってくることがイメージできると思います。

他にも、地面の水たまりは、蒸発すると水蒸気となり、水蒸気は大気で冷やされて水や氷となり雲になっていきます。これも地面と大気と水は全て分離していると仮定して考えてみると、おかしい現象だと思いませんか?水が蒸発するときは、一部の分子が少しずつ空中へと出ていくのですが、なぜ分離している空中へと出ていけるのでしょうか?水が加熱されてバラバラになった分子は勢いがあるので上に向かって進んでいくのですが、上には分離された大気があると仮定すると、なぜ上に上がっていけるのでしょうか。確かに固定や液体より気体の方が密度は低いです。それでも分離された異なる物質が上に大気として広がっているのに、なぜ水蒸気は空気中に浮いていられるのでしょうか。逆に、全てが繋がっていて分離していないと仮定すると、繋がっているからこそ、蒸発すると水分子の勢いを使って空気中に上がることができ、水蒸気として空気中に存在することができるのです。

自分と他人だけで無く、惑星と惑星も宇宙空間を介して繋がっており、この宇宙全体が単一のものなのです。分離しているものはありません。
この世はまさに、ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)です。

科学=思い込み

にわかには信じがたいことかもしれませんが、科学的に導き出されたことは全てが真実とは言い切れません
多くの人は何かの判断や主張をする際に、それが真実であることを示すために科学的根拠や論文を引用したがりますが、科学的根拠や論文は思い込みの一種です。
ある程度は本当のこともあります。
今は量子力学のような新しい分野も台頭していますが、2023年現在のベースとなっている科学に限って言えば、科学的に証明されたこと=真実と断言できません。科学はデータや実験を用いることでそういう風に思わせる思い込みなのです。
普段、データ分析やAI開発の仕事をしている自分がこんなことを言うと、仕事でやっていることは一体何なんだと思ってしまいますが、21世紀で一番多くの人を信じ込ませることに成功した新興宗教が科学だと思っています。

なぜこうも2023年現在の科学的に証明されたことは真実だと言い切れないと主張できるのかというと、全ては1つに繋がっているからです。
1つ前の項で、宇宙は1つに繋がっていると主張しましたが、それが重要なキーポイントになるのです。
科学は、膨大なデータを集めて実験を行い、原理や法則を見つけ出す方法です。データを集めて客観的に観察するためには、データとなる観察する対象と、実験を行う主体が分離していなければなりません。実験対象となるデータは他の要因から完璧に分離している必要があります。なぜなら、観察対象以外のものが観察対象のデータに影響を及ぼすと、実験結果の信憑性が落ちるからです。第三者から「この実験結果は、実験中にたまたまこの要因が介入したからこうなっただけでしょ?」と茶々を出されては困るのです。そのため、実験を行う際はなるべく偶然が介入する用地を排除しなければなりません。統制された環境で、偶発的な要因が観察対象に影響を及ぼさないようにするために、観察したい要因以外は排除し分離するのです。

しかし、この宇宙は全て繋がっているのです。分離などしていないのです。この時点で科学の大前提が崩れます。科学は全てが分離していることが前提で積み上げられた証明方法なのです。観察したい要因以外から分離し独立したデータを集めて実験することで、原理や法則を見つけないといけないのに、そのデータが全てと繋がっているのです。実験対象のデータと実験を行う者が繋がっているのです。こんな状態で導き出された実験結果に信憑性などありますか?

念押ししておきますが、科学の全てを否定しているわけではありません。科学のおかげで便利な物が生み出すことができたのですから。
しかし、科学的に導き出されたから真実とは言い切れないのです。

時間=思い込み

時間は存在しません。故に過去も未来も存在しません
時間は完全な思い込みです。あるのはこの瞬間の変化だけです。全ては変化しているだけです。身体は老化という変化をしていますし、昼と夜という変化をしているだけなのです。

本当はこの瞬間瞬間だけが存在します。意識が瞬間的に物質に切り替わったこの瞬間だけが在ります。
時間も過去も未来も存在しません。

では時間や過去や未来と思い込んでいる正体は何なのでしょうか?
答えは「記憶」です。

過去とは、保存されたログなのです。今この瞬間に、保存された記憶を取り出して見ているだけです。

未来とは、ただの想像や考えや期待なのです。今この瞬間に、こんなことが起こるとイメージしているだけです。

過去も未来も現在この瞬間の活動にすぎません

時間とは、この瞬間の羅列なのです。
この瞬間の出来事はいわば「点」です。その瞬間その瞬間の出来事は「点」として存在します。人が記憶を保存する際は、起きた出来事の順番通りに保存されていきます。新しい体験ほど記憶の手間に配置され、古い出来事ほど記憶の奥に追いやられます。
ただ現在のこの瞬間は切り替わりがあまりにも早く一瞬です。この瞬間と前の瞬間の発生間隔が大きければ、瞬間ごとの切れ目が認識しやすいですが、この瞬間ごとの間隔があまりにも短すぎて、瞬間ごとの切れ目を認識できないのです。アニメに例えるとイメージしやすいかもしれません。アニメのように1秒間に切り替わる紙の数が多いので、絵があたかもヌルヌルと動いているように見えます。しかし、実際は1枚1枚の紙が存在しているだけです。
この瞬間の出来事(点= . )は起きた順に整列して並べられ「………………… 」のように直線型に並べられます。実際はその瞬間ごとに全く新しい「点」が存在するだけなのですが、前の瞬間が直線的に起きた順番に保存されているため、あたかも時間が経過しているように見えるのです。

時間や過去や未来は、記憶が生み出す思い込みであり、在るのはこの瞬間の変化だけなのです。

空間=思い込み

空間もまた思い込みです。
本当は空間などありません
そもそも空間とは、物体を取り囲む機能のようなものです。空間は物質を離れて存在することができないのです。物理学者が空間が湾曲といった性質を持っているとみなしているのはこのためです。空間なくして物質は存在しえないし、物質なくして空間は存在しえない。故に物質と空間は繋がった1つのものなのです。
物質世界は意識の瞬間的な仮の姿と記載してきましたが、物質世界は意識の一形態に過ぎないのです。物質世界は本来の姿ではなく、意識が本来の姿です。4次元以上の意識世界は物質がありません。そのため、空間も存在しません。本当の姿である意識世界に空間は存在しないのです。

4次元以上の意識世界には空間は存在しませんが、3次元の物質世界で空間のように見えるものがあります。
どのようにして空間がないところから空間に見せかけたものを演出しているのでしょうか?

意識に座標情報の周波数を持たせることで、空間のような立体感を演出しているのです。意識が物質に切り替わる時に、位置情報が周波数として組み込まれて物質化しています。3次元では特定の座標(位置)に物質が存在しているように見えていますが、実際は物質に周波数で座標情報が埋め込まれているだけです。

例えば棚の上にあるスマホを手に取るという行為をした時には、
棚の上にスマホがある=「棚の上」という座標情報を担当している意識がスマホへと姿を変えている状態
棚の上にあるスマホを手に取った=「手の中」という座標情報を担当している意識がスマホへと姿を変えた状態
つまり、棚の上にあるスマホと手の中に握っているスマホは全くの別物になっています。物質世界では棚の上のスマホを手に取っただけなので何も変化していないように見えるのですが、意識状態では全く別のものになっています。
物質世界は、意識→物質→意識→物質と交互に切り替わっていることはご説明した通りです。毎回瞬間瞬間ごとに新しい世界が生成されています。物体の座標が変わった場合、新しい世界が生成される度に、移動後の座標情報を保持している別の意識がその物体を新しく作り直しているのです。

空間に見えているような何かは、座標情報が組み込まれた意識なのです。

宇宙は1つだけ=思い込み

この物質世界では、1つの広大な宇宙の中に、色んな人が存在しているように見えますが、そうではありません。

1人につき1つの宇宙(物質世界)を生成しています。
この瞬間に、人数分の宇宙が存在しているのです。

例えば、同じ1つの部屋にAさん、Bさん、Cさんの3人いるとします。AさんとBさんは喧嘩をして、Cさんが遠くからそれを見ています。
この3人に限って言えば、3つの宇宙が存在しています。

Aさんが作った宇宙があり、その宇宙にはAさんが作ったBさんとCさんが居ます。Aさんの宇宙はAさんの主観で作られているので、わがままなBさんと物静かなCさんが居ます。Aさんは自分自身を正義感が強い人だと思っています。

次に、Bさんが作った宇宙があり、その宇宙にはBさんが作ったAさんとCさんが居ます。Bさんの宇宙はBさんの主観で作られているので、口うるさいAさんと従順なCさんが居ます。Bさんは自分自身をエネルギッシュでパワフルな人だと思っています。

最後に、Cさんが作った宇宙があり、その宇宙にはCさんが作ったAさんとBさんが居ます。Cさんの宇宙はCさんの主観で作られているので、自分勝手な人が嫌いなAさんと自分勝手なBさんが居ます。Cさんは自分自身を自己主張ができない人だと思っています。

この例を見ると、Aさんが3人、Bさんも3人、Cさんも3人居ることになります。それぞれの宇宙でそれぞれ性格が違う全くの別人物が居るのです。

「そんなはずはない!人間は一人だけで、人によって主観が違うだけじゃないのか?」
そうではありません。感じ方の違いがあるのではなくて、全く別の人物が作られているのです。

「自分がAさんだとして、Aさんの宇宙に居るBさんとCさんを動かしているのは誰?自分がBさんとCさんを動かしているの?」と疑問を持たれる方もいると思います。

実はAさんの宇宙は、Bさんの宇宙とCさんの宇宙から情報を共有されているのです。Bさんの宇宙に居るBさんがAさんに喧嘩をふっかけるアクションをとると、情報が共有されて、Aさんの宇宙に居るBさんがAさんに喧嘩をふっかけるのです。

ただ、Aさんの宇宙に居るBさんは、Bさんの宇宙に居るBさんがそのまま生成されているわけではないのです。Aさんの宇宙に居るBさんは、ただAさんに喧嘩をふっかけているわけではなく、わがままなBさんというAさんの観念が反映された上で喧嘩をふっかけてきているのです。つまり、他人の宇宙から共有された他人の情報は、そのまま無加工で自分の宇宙に生成するのではなく、自分の観念などで自分色に着色された他人が生成されるのです。

ここで伝えたいことは、1人につき1宇宙生成されており、自分が生成した宇宙は、全て自分の観念などによって自分色に染められているということです。
1つの大きな宇宙に、大勢の人が身を寄せ合って生きているわけではないのです。

私(私という存在)=思い込み

いよいよ核心に迫ってきました。
「まだあるのか?」と思ってるかもしれませんが、まだあります!一番重要な思い込みがあります。

それは、「私という存在」は思い込みだということです。

私という存在はありません。幻です。

「どういうこと?私ならここにいるじゃないか!」
ではお聞きしますが、私とは何ですか?自分とは何ですか?

「私の名前は〜で、〜の仕事をしていて、〜才で、男で、結婚はしていなくて、趣味は〜で…..」
それらは全部観念です。「名前」「仕事」「年齢」「男」「結婚の有無」「趣味」は全部観念です。ただのタグ付けした言葉にすぎません。自己紹介はただの観念の羅列です。あなた本体ではありません。
もう一度聞きます。自分とは何ですか?

「人間です。日本人です。」
「人間」「日本人」は全部ただの観念です。あなた本体ではありません。
もう一度聞きます。自分とは何ですか?

「今こうやってこの記事を見ている存在が私です!」
「記事を見ている存在」というのはただの観念です。あなた本体を指し示していません。
もう一度聞きます。自分とは何ですか?

「こうやって考えて悩んでいるのが私です!!」
「考える」「悩む」というのはただの観念です。更に言えば、考えるとか悩むというのは特定の行為であって、あなた本体を指し示していません。
もう一度聞きます。自分とは何ですか?
そうやって、考え、悩んでいるのは誰ですか?

「魂が私です!!! 」
「魂」はただの観念です。「魂」は、生まれてきてからこれまでの中で、あなたがどこかで仕入れた知識もしくはイメージです。「死んだら魂になって肉体を離れる」という情報を知って、自分は魂だと思い込んでいるだけです。
もし「魂」という言葉を今まで聞いたことがないとしたら、あなたは「魂が自分である」と主張しないはずです。であれば、魂はあなた本体ではないことになります。
「魂」という言葉知ったあなたは誰ですか?「魂」を認識し、「魂」のイメージを思い描いているあなたは誰ですか?
スピリチュアルな能力が高い人であれば、魂を感じることができますが、魂を感じているあなたは誰ですか?
もう一度聞きます。自分とは何ですか?

「………そういえば、5つ前の項で自分と他人は繋がっていると言ってたぞ!全ては1つに繋がっていて、宇宙全体が単一のものだと言ってたなぁ。わかった!!この宇宙全体が自分なんだ!宇宙=自分なんだ!自分は宇宙です!ファイナルアンサー!」
「宇宙」はただの観念です。あなた本体を指し示していません。
もう一度聞きます。自分とは何ですか?
宇宙を認識し、宇宙を見ているあなたは誰ですか?

「………………….何も言えねぇじゃねぇか!!!」
正解!!!おめでとうございます!!!

言葉で定義できるものは私ではありません。なぜなら言葉で定義できるものは知覚される対象であり、知覚する主体ではないからです。
じゃあこの私という感覚は何ですか?この記事の文字を読んでいる私という何とも言えない感覚は何ですか?
その感覚はただの思い込みです!私が居るという思い込みなのです!

実は、私という存在はどこにも見つけることができないのです!

「〜が私だ!」と思っているとしたら、それはただの思い込みです。

これはあまりにも深すぎるトピックなので、別の記事で本当の自分について詳しく書きたいと思います。

ここで伝えたいのは、私と思っている対象は全て思い込みであり、私は見つけることができないということです。


ここで、辺りを見回してみてください。
私たちは一体何を見ているんでしょうか?
私の目に入ってくるものは果たして何なのでしょうか?
私が見ているものは真実なのでしょうか?
「私」と書きましたが、私って何なのでしょうか?
いかにこの世界が思い込みに囲まれているかお気づきでしょうか?

いくつか思い込みを挙げさせていただきましたが、今回挙げたものは全てありのままの姿ではないのです。思い込みという色メガネをかけて見ている歪んだ姿なのです。
思い込みとして挙げ切れてなかったものもあるのでご了承いただきたいのですが、私たちが当たり前のように見ているものが真実ではないことをお伝えしたかったのです。

私たちはありのままの事実なんてほとんど見ていないのです。
ありのままの事実を見ているのではなく、ただの思い込みを見ているだけなのです。

4. まとめ

これまで様々な思い込みを紹介してきましたが、自分が持っている思い込みによって、ありのままの姿が捻じ曲げられてしまうのです。

  • 感情や自分が感じていることも思い込みから発生しています。実際に起きている出来事に感情が反応しているのではなく、思い込みに反応しているだけです。

  • 問題があるという思い込みが問題を生み、問題を解決しなければならないという思い込みが問題を更に強化してしまいます。

  • 今現在で目標が達成されていないと思い込むことで、本当に今の自分から欲しいものがない世界を作り上げています。

  • 物質や空間や他人が分離していると思い込むことで、自分と外側の環境に境界線を引いてしまいます。自分と外側に境界線を引いてしまったために、外側の出来事に対処しなればならなくなったのです。つまり、本当は境界線がない調和した単一のものだったにも関わらず、思い込みという境界線により、外側の脅威と戦わなければならなくなったのです。

  • 「私」という存在が居ると思い込むことで、私以外の存在を作り出してしまいます。私以外の存在は、「私」の思い通りに動いてくれるわけではないのでコントロールしようとします。しかし、本当は分離がないひとつなぎの宇宙があるだけなので、コントロールする主体もコントロールされる客体も存在しません。故に「私」がコントロールすること自体不可能なのです。上手くコントロールできないので苦しみが生まれます。つまり、「私」という思い込みは、コントロールという不可能な行為を実現させようとする苦しみを生み出しているだけなのです。

たかが思い込みと思われがちですが、その思い込みによって、現実が大きく歪んでしまったのです。
しかし、記事の冒頭でも記載した通り、思い込みは現実を創造する魔法の杖です。
うまく自分がやりたいことに向けて使っていけば、強力な武器となりますが、自分を苦しめる方向に使えば、存在しないはずの化け物を生み出すことになります。
何か悩みや苦しんでいることがある方は、この記事が手助けになれば幸いです。



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