人文系博士で留学するまでの懐事情
フランス語には"Vouloir, c'est pouvoir"という言葉があります。
これは、日本語にすれば「欲すれば得る」でしょうか。
心から欲しいと思ったもの、したいと思ったことは、必ず得られる/できるという意味です。
日本語にも同様に「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という言葉があります。
これはかのアドロック・サーストンの言葉です。
アドロック・サーストンはサマー・オブ・ラブを一人で食い止めた人類の英雄です。
日本じゃないって?
フォッフォッフォ、まだまだ功夫(クンフー)が足りないようじゃの。
最高の日本アニメの一つである『交響詩篇エウレカセブン』を見たまえ。
最高のボーイ・ミーツ・ガール。
最高にイカした音楽で魅せる最高の物語。
最高にかわいいエウレカちゃん。
はい。こんにちは、Harryです。
そんなわけで今回は、そういう「欲すれば得る」というお話をしましょう。
何のことかって?
決まってるだろ、お金だよ!!!!!!
みんなお金が好きですね。私も好きです。銀行口座の数字が増えるのを見ると心が豊かになる気がします。
よく、研究者は自分の研究以外には興味がないとか言われますけど、あれは嘘です。
研究者をやるのは、そして研究者を目指すのは、とーってもお金(と時間)がかかるんですね。
なので研究者はどうやって研究のためのお金を捻出するのかを常に考えています。
大学や研究機関に常勤職を持つ研究者でも毎年科研費に応募しますから、大学院生などはいわんやという話です。
なので今日は、私がどのような金策を行なってきたかを書きながら、アメリカに留学するまでの、そしてした後の懐事情というものを紹介したいと思います。
そうすることで、研究者を目指す方のお金の工面の参考になればいいと思います。
大学、大学院(修士)、大学院(博士)、アメリカという形で時系列を追って書いていきましょう。
大学時代
まあ、ここはもうかるーくすっ飛ばしていきましょう。
私立大学に通い、一人暮らしをしており、バイトをしていました。
かつ親からの仕送りも多少ありました。
そして第二種奨学金を4年間月10万円借りていました。
ちなみに大学の成績は結構良かったのですが、学費免除に至るほどではありませんでした。
普通に借金ができました。
大学院(修士)時代
国立大学に進学しました。
というか私立の学費が高すぎて、国立しか進学先の候補にありませんでした。
そして早速、学費免除申請を出しました。
安倍政権の時に少し変わってしまいましたが、今も国立大学は低所得家庭出身者の学費免除を行なっています。
これは大学院、学部関係なく応募できるので、しないという選択肢はないですね。
全額免除はなかなか難しいですが、半額免除くらいにはなります。
で、家は家具付き水光熱費込みで月2万円の間貸屋に住んでいました。
間貸屋とは、今風にいえばシェアハウスですが、そんなおしゃれなものではなく、築50年以上の古風な日本家屋の一室を借りて、慎ましやかに過ごす場所です。
私の他にも同じ大学の大学院生が何人も住んでいました。
住んでいたというか、みんなただ単に寝に帰ってきていると言ったほうがいいですね。
その時にやっていたアルバイトは主に二つ。
ティーチング・アシスタント(TA)と大学受験の過去問作成補助。
TAはアメリカのものとは違って、労働時間も短く給料は低いです。
時給は1500円程度と悪くないですが、月収にすると2万円程度でした。
業務内容は、テストの採点や課題のチェック、成績入力、試験監督などです。
もう一つの方は、読んで字のごとく。
出版社に行って、過去問を解いて、模範解答を作るお手伝いをします。
予備校の先生などにお願いした解答原案をもう一度、あらゆるツールを使って精査して、間違いがないかを探すお仕事です。
これもまあまあの時給でした。覚えてませんが。
ちなみにこのバイトをしている時に友人から
「やっぱり女子大の過去問はいい匂いするの?」
と聞かれたことがありました。
この上ない童貞クエスチョンに私は感動を抑えきれませんでした。
童貞かくあるべし!
童貞にとって女の子とはenigmatic(謎)な存在なのだ。
『謎の彼女X』っていいよね。
何を隠そう私は植芝理一の大ファンなのだ。
ちなみに万が一ということもあるので嗅いでみましたが、やっぱり紙の匂いしかしませんでした。
あとたまに映画のエキストラなんかもやりました。
これは全くお金にならない単なる趣味でしたが。
日給は3000円。
朝6時に入りで、夜11時に終わっても3000円。
昼12時入りで、夕方4時に終わっても3000円。
これの他に大学から年間10万円程度の研究費と学会参加のための交通費が支給されていました。
生活が苦しくなると親に仕送りをお願いしていましたが、学生支援機構からの奨学金は借りていませんでした。
そんな感じで修士課程を生き延びました。
ちなみに博士浪人中は、TAが無くなった代わりに、過去問の方を増やして生計を立てていました。
大学院(博士)時代
別の国立大学に進学しました。
学費免除申請はもちろんしていましたし、学生寮も利用していました。
前にも書きましたが、ここはシャワー室、ランドリー、キッチン共有、水光熱費合わせて大体月1万円でした。
アルバイトは予備校講師をしていました。
個人指導のところでしたが、時給は2000円でした。
週4日働いて、月に大体11~12万円程度の収入がありました。
学生寮が1万円なので、可処分所得が10万円程度あるとまあそこそこ生活できます。
結局今まで買えなかった本を買ったりと出費は増えるので、苦しいことには変わりないですが。
年収にすると120~130万円程度です。
で、そんな生活をしばらくした後に、学振という博士課程の学生垂涎の奨学金に運よく通り、薔薇色生活が始まりました。
以前にも説明しましたが、学振とは日本学術振興会特別研究員の通称で、2~3年間月額20万円の給与と年間50~100万円までの研究費が支給される制度です。
そしてこの学振をとったパートナー持ちの博士課程の学生は大体結婚します。通称学振婚です。
なぜかというと、学振をとった大学院生というのは遅かれ早かれ、何かしらのアカデミックなポジションに着く可能性がグッと高まるからです。
それは学振を取ったからなのか、それとも学振を取れるだけ有望だからかなのかは分かりませんが、少なくともそういうデータが学術振興会から出ています。
また学振を取った頃くらいから、大学で非常勤講師をし始めました。
非常勤講師の給与は大学によって異なりますが、一コマあたり1ヶ月で2~3万円程度です。
学振受給中は週に2コマ働いていたので、月収にすると26万円程度あったことになります。年収300万円くらい。
普通に働いているパートナーと結婚して一緒に住めば、贅沢はできなくとも、まあそこそこの生活ができるようになるというわけです。
で、学振の受給期間が終わると、収入が一気に減ります。
流石に月収10万以下はまずいと思った私は、非常勤の数を増やすことにしました。
また、かつて働いていた予備校からいくらか仕事も紹介してもらいました。
月〜木は大学で非常勤をして、金曜は予備校で授業を行うという生活を、留学に行くまで続けていました。
時間にすると週に12コマくらい教えていて、月収は25万円程度だったと思います。
ちなみにこの間、忙しすぎて研究をする時間はほとんどありませんでした。
アメリカでの現在の収入
アメリカでの収入源はTAです。
TAの給与は大学によって異なりますが、私のところは大体月2300ドルくらいです。
ちなみにこれは50%という週20時間労働での給与です。
留学生は50%までしかできませんが、アメリカの学生は100%まですることが可能です。
なので100%だと月4600ドルくらい貰えます。日本円で月収50万円です。
ただし夏の間3ヶ月は大学がないので給与もありません。
またまともな大学なら研究費が余っていたら大学院生に還元してくれます。
大体冬と夏に1000~1500ドルくらいの研究費のようなものを配ってくれます。
そして配偶者が働けるようにJビザを取得したのでMaryもアメリカで働いていてくれます。
J-1ビザの配偶者ビザであるJ-2にはアメリカにおける就労に制限がないため、就労許可を取得すれば、滞在期間内であればフルタイムで働くことが可能です。
なので月に4000ドルくらい稼いできてくれます。
彼女の稼ぎがなければ我々はアメリカで生活を続けることはできなかったでしょう。
今回の留学のMVPといっても過言ではありません。
それとは別に何かあった時のために、日本学生支援機構から海外留学する日本人向けの貸与型奨学金を月10万借りています。
以上が大学時代からアメリカ留学までの私の懐事情でした。
なるほど、学振とってパートナーを働かせれば生き延びられるというわけですね。
あれ?でも借金増えてね?って思った人。
欲すれば得る(借金)
誰もお金が増えるなんて言ってない。
ではまた次の記事で。
Harry