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あんちゃんは能登へボランティアへ行きたい あんりの政vol.5

能登半島地震の発災から半年が経とうとしている。実際に能登のボランティアに行って作業をしてきていた、私のカウンセリングの先生に話を聞いてきた。それを元にボランティアに行くかどうか決めようと思う。現在の状況として道路は通れるとのこと。ガタガタで道は悪いが。道路が復旧できていないから瓦礫の撤去が進まないのかなと思っていたのだが、瓦礫の撤去は公費解体の手続きが問題らしい。市役所職員も頑張っているのだが元々少ないから手続きが進まなくて難航しているらしい。輪島が公費解体始まったが、撤去してもいいか家主の印鑑がいるらしく、ある程度手続きが揃って業者が入って撤去って形が入るようだ。すごい数で、ほとんど壊れてるから国が勝手に撤去するわけにはいかないようだ。瓦礫とかしている自分家だから除けてもらうには除けてもらったほうがいいのではないのかと思うところはあるが、所有者の土地だから勝手に手続きを踏まずにやるのは今回の場合、家が残っているから後で裁判になって訴訟になってもいけないからということでなかなか解体が進んでいない様子である。発災後は命優先、生きている人の救出を一番にし、避難所から仮設住宅へと移り、今の段階でようやっと壊れた家の片付けっていうフェーズになっている。遅いけど復興ができているのか今の現状だ。

要のボランティアだが、ボランティアは、猫の手も借りたいほど募集している。下記リンク🔗に貼ってある通り、金沢駅や金沢空港からボランティア受け入れの無料バスがでておりおそらく金沢駅までの電車や夜行バスの運賃などの交通費は自分持ちで、そこから国や市町村が支援しているボランティア団体のお世話になるというのが今の概要だ。


登録すると瓦礫の撤去作業や椎茸の菌打ちとか農家支援、漁師支援、復興支援、苗箱運ぶ、草刈り、球根の掘り上げ、泥上げ、家の片付け、廃材の片付け等々色んなボランティアを募集していて、受け付けを済まし、地元から大阪まで夜行バスを乗って大阪から乗り継いで石川金沢駅や金沢空港に7:30、6:20などの時間帯に集合し、ボランティア受け入れのバスに乗るために、前日入りしたホテルに一泊して、ボランティアをして帰ってきてホテルでもう一泊して新幹線や夜行バス飛行機に乗って帰ってくるというのが今回の震災のボランティアのスケジュールになってくるところだ。
わたしの統合失調症のカウンセリングを担当してくれている今回の震災のボランティアに参加してきた野満先生は、前日に車で能登に乗り込んだらしい。愛媛から能登まで何時間運転して現地入りしたのだろう...!寝たのかな?
現在瓦礫撤去は解体業者の公費解体であつても、解体前の家具運び出すのとかはボランティアに頼っているのが現状だ。野満先生に飲み水はどうしていたのかと聞いた。持っていっていたらしい。車だと持って入ることができて便利だがわたしは車での乗り入れではないのでそうするわけには行かない。飲み水はあるという。水道が来ていると言っていた。とはいうものの災害現場の断水が続いている地域から歩いて水の出るところまで行くのは一苦労だ。一泊500円で泊まれる、テントのボランティアキャンプに自衛隊のタンクがきていて簡単なシャワーもでくる設備がありハミガキもできるとのこと。野満先生はキャンプセットを持っていき、ご飯を炊いたりしていたといっていた。コンビニは来ていて開いているが他お店はあまり開いていないから、スーパーまでの道のりを車で移動することができないことを考えると野満先生の2日間宿泊をわたしが2日間宿泊しようとしたら6食パンとかになりそう。

わたしが一人、身一つで能登に乗り込みに行こうとしていた思い立ったら吉日を地で行くような振る舞いをしようとしていたのですが、訪問看護の社会福祉士さんにストップをかけられました。病気を持ちながら規則正しく生活できてボランティアに精が出せるのか。わたしが人のいる中で寝られるのか。寝られず動けなくて返って迷惑掛けるのではないのか(オブラートに包んで)言ってくれました。ただ能登の現状を把握して、各自治体が抱える困り事や課題を洗い出し国に要望を出して全国、全世界に発信しようとしたかった...!母に言われました。「あんりそれは旅行で行くようなものよ、やるなら個人で行くんやねほれにあんた自分の部屋も掃除できんのに人のとこの掃除できるんかって。」確かにと思い、自分のグラついている足場を改めて認識しました。ボランティアに行ったことのある経験者や玄人がやるならまだしも初心者が、西日本豪雨災害のときやって大洲に行ったわけでもないのにと母にも言われました。確かにわたしはサバゲーの達人でもなくて、行っても自衛隊の厄介になる様な気もします。ボランティアに登録だけはしたもののどういった内容のボランティアに参加するのかがいまいち分かっていません。内容次第によってはわたしにもできそうなことがあるような気がしますが。。。炊き出しボランティアとか募集されているのでしょうかね?
3000食/dayに配給がいるのに、国が切り上げて炊き出しなどを止めようとしているというのを聞きました。自治体でできないと思われるからやれていないのに国がやらずに辞めてしまうのは能登を見捨てるのと同じだと言う山本太郎と同意見だとわたしも思います。それにボランティアが足りないというのなら国が交通費の補助金を出してもええんやで。
瓦礫の撤去は専門業者がするのかも知れませんが100年分の廃棄物が出てて処理する土地の問題もあると思います。東日本大震災のときの福島原発の放射性廃棄物を受け入れたところだってあります。愛媛にもあったと思います叩かれてたみたいですが。受け入れたくないという人の気持ちも分かります。じゃあ受け入れたくない人の考えを汲んだ形の受け入れをしようよ。受け入れよう!私みたいな考えの人の町あると思います。個人でがれきを撤去しようにも資金面で融通が利かないのでそのへんは国が援助してもらえればいいですし。←イマココ

自分のココロと体の事をよーく分かっていて、朝から夕方まで瓦礫やたんすを運び出すような、力仕事の活動をする体力があり、畳1畳分のスペースを避難所やボランティアキャンプで確保してくれている人のうごめく中で物音がしていても眠れて、自分のメンタルの面倒は自分で見ることができ、車で乗り込むことが難しい場合自分の生活圏は自分で確保してつてすることができる人が、今回の震災ボランティアの参加できる人なんだなと思いました。精神障害者にはボランティアは厳しい。それが実際にボランティアに行った人の話を聞いて思った、率直な感想です。
珠洲市では田植えしてたそうです。コシヒカリ植えてたと(!)家壊れてたらしいですが壊れた家の横で苗広げて避難所のところから通って植えていたそう。農作業小屋や機械は大丈夫だったんでしょうねと野満さんが言います。収入だからねとも。
能登の近辺で仕事していた人は仕事場が被災せずに残っていたのだとすると、近辺の職場に避難所から通うのでしょうか?それとももう被災していない都市に行って一から仕事を探すのだろうと聞くと、輪島塗をしているおじいちゃんの、年金ぐらしの人がやめようか続けようかというふうに考えていると若い人が後を継ぐのをどうするんだろうねと言っているのを聞きました。おじいちゃんは輪島塗を途絶えさせるてしまうのだろうか?これを機にということのようですが時期尚早のように思う。実際に輪島市や珠洲市で営まれている職業の中身にどれだけ能登で仕事としてやられているかによるとも仰られていました。仮設住宅ができ、職場に通えるようになっても、復旧してもおじいちゃんおばあちゃんがいなくなっている可能性もあるからと指摘されていました。復興が進んでいないのは国が見捨てたからなのではともささやかれていますが、わたしは復興はすべきだと思います。ニコニコ動画と5ちゃんねるを作ったひろゆきと立憲民主党の米山議員が、能登の移住についてやんやん言っていたのが記憶に新しいのですが、家が無くなってしまって意気消沈している人が今すぐ移住を考えられるわけもなく、ですが米山議員の言い分は一考の余地がある意見で、過疎化が進み、高齢世帯が増えた街でインフラを整備していくのにかかるコストや街としての機能が失われないか心配するのももっともです。東日本大震災のときとは違ったまた新しい復興のテーマがあるのだと野満先生はいいます。
現在、東京大阪などの都市部を除いて、地方は転出超過が続いていて若者が仕事で地元を離れざるを得ないのが現状です。そんな折、古民家を活かしたカフェを始める人や、地元を盛り上げようと起業する人が出てきたりしているところがあります。うちも広報で取り上げられていて、明るくなるようなニュースだなと思って見ています。わたしもその一員になれるように「えいやっ」と飛び込んでいこうとしているところです。輪島塗の産業を抱える能登も、以前と同じように街が機能していく復興をというのは難しいのかも知れません。受けたダメージがでかすぎて復旧しても行って5割の回復量が関の山かも知れません。が、元には戻りはしませんが、能登で住み続けたいと思っている人が新しい街作りを提案して行って、能登に人を呼び戻すことは可能だと思います。
図面が必要ですね。輪島市や珠洲市で特産品などのご当地グルメはあるのだろうか?なかったとしてもこれからご当地のソウルフードになるような一品を作れないだろうか?私こういうの好きなんですよ私が岡田興産でやろうとしていることもこういう感じの何か人と人を結びつけるようなことをしていきたいと考えている。もしかしたら能登でも私ができることはあるのかもしれないと思う。まあ私は政治家を目指しているので私が手がけた商業は採用されないのかもしれないが。やれるかどうかわからないがやりたいと思う。私は自分の生まれ育った土地が好きで、みんなも地元を捨てて都会に出たいと思っている人は実はあまりいないと思うと思っている。だから能登で自分の人格を育んでくれたような心のホームを、なんとか、残して、保全しようとしたいと思う。能登の輪島塗のように今まで職人の跡継ぎが見つからなかったがゆえに産業が途絶えようとしているというような件が私たちが知らないだけでいたるところにあるように思う。からそういう全国の内々の事情の情報を得られるようなサイトがあればいいのになあと思う。作れんかな?
石川県は良い漁場である対馬暖流に恵まれるいい漁師町で、美味しいお米も穫れる米処であり工業などの産業も盛んな場所だと聞いた。こんなに住みやすい場所を震災という理由でなくしてしまうのはあまりにも惜しい!能登の漁港を直して漁業を取り戻し、美味しいお米と食事で人をもてなす商業で仕事を作り、人を呼び戻し、能登を復興させていこうではありませんか。(できるのかなドキドキッ)職場を街に作り通える範囲に居住を構え交通や流通、商業のお金の通り道にして機能する街を作る、それが今の能登に必要なものです。

話は戻りまして、ボランティアのことなのですがキャンプ生活やサバイバルの生活、たんすを運べる屈強な体を持たなくて、統合失調症の病気を抱えたわたしにとってボランティアはハードルが高いという結論に至りました...!(泣)わたしは前の投稿で田植えをしていると書きましたが、たうえをやれかれできているということでございます。もしわたしが、田んぼ一枚自分でできるように体力がついて頭も考えられるようになったとき、震災後の田植えボランティアなどの募集があったときには満を持して手伝いに行けるのではないのかと思います。と野満先生にも言われました。行きたいのはやまやまですが今回はボランティアを見送ろうと思います...。わたしはわたしのやるべきことをやるのが先決だと思います。国に投書して、Xやここで発信していくのがわたしのやるべきことだと思いました。

能登のことを検索にかけた感じ、ボランティアを受け入れているということを知らない人が多いように思うのと、ボランティアが足りてないのは、募集かけている情報が知れ渡っていなくて人が集まっていないのだと思います。正直ボランティアの受け入れも自治体が手一杯過ぎて一日バス二台分の50人ずつしか受け入れできないというのは少なすぎるように思います。国が動かないといけないところです!ボランティアの交通費出すくらいのことせんといかんよ国ぃ!?道路も、土建屋を国が全国から集めて一気に人員投入して事に当たったら復旧はもっと早いんじゃないのか。今から入れよう。やっぞ!!!!災害時くらい、被災した地域に資材投入してもええんやけんね!国動くぞ!わたしも岡田興産本気でやらんとな。やっぞ!とりあえず、今は3便目の田植えをやります。みなさんも無理ない自分のできることを。


コーヒー代、ガチャ代、外食費、祈祷料、スイートルーム+料金、自分がこれだけはと思いながらも、それでも月額各種金額を焼きいもあんり🍠に献金しても好いよと好意を好しとする方居られましたら後援会員として支援よろしくお願いします。貰った会費は政治資金として、活動で返させて頂きます!!!