between the lines
なんだかパンデミック映画の中に入ったような2020年ももうすぐ終わりである。ただ、現実世界に起きたこの映画の終わりはまだ見えない。そんな中だが少し明るい話を…今回はクリスマス映画を取り上げる。クリスマスは過ぎてしまったが(笑)
クリスマス映画というと色々あるわけだが、私が選ぶなら「スモーク」だ。
1995年の作品で、ウェイン・ワン監督、ハーベイ・カイテル主演。
当時私はまだ子どもで、アクション映画ばかりを観ていた。そんな私が積極的にスモークを選ぶわけもなく、親に連れらて内容もよく分からず観たのだが、この作品は私の心に刺さった。まさに刺さった。なぜだか分からないが。
その後、大人になってからDVDやリバイバル上映で観直しているが、その時の感覚は変わらず、人生Best3に入ると言っても過言ではない。
そんな作品をこのクリスマスに再び観たわけだが、今回感じたのはまさに「行間映画」だなということだ。前回のnoteで行間について触れているので、まだの方はこちらから合わせて読んでもらえたらと思う。
「行間映画」というのは私の造語であるが、お話の全てが描かれているわけではなく、シーンとシーンの間やこの映画よりも昔のことを観客が想像しながら観て楽しむ作品ということだ。
そんなの当たり前だろうという声も聞こえてきそうだが、果たしてそうじゃない作品はないと言い切れるだろうか。
映画に限らず、分かりやすいのが良いという風潮がいつの間にか蔓延してしているように感じている。別に分かりやすいことを悪にするつもりはない。ただ、映画に限らず”ものごと”全般に言えることだが、基本的に複雑で分かりにくい。ここがスタート地点である。
そこから分かりやすくすると、どうしても構成要素は削がれていく。大事なものを残して、いらないものを取っていくのだから良いのではと考えるかもしれないが、本当にそれはいらないものだろうか。あくまでもそれは削り取った人の感覚でしかない。
分かりやすい映画の方が広く支持されて観てもらえるかもしれない。しかし、立ち止まって考えてほしい。作り手としてそれで良いのかと。自分の思いをしっかり描きたいからこそ作ったのではないのかと。
それと同時に観客側も考えてほしい。「行間映画」を観た時によく分からない映画だなと思っても、描かれていないものを分かったら面白いのかもしれないと考えてほしい。その謙虚さを忘れないでほしい。
世の中は難しいから面白い
是非集中して行間を想像しながら映画を観てほしい。それは日常生活で相手の考えていることを想像することにも繋がり、誰かにやさしくなれるはずだからだ。
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