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上司を上手に生かして仕事をする

松下幸之助 一日一話
12月 8日 上位者に訴える

自分が最善を尽してもなお、これがいい方策だという確信が生まれない場合は、ただちに上位者に訴える必要があります。

もちろん、それぞれの人が会社の基本方針にのっとりつつ、責任をもって自主的に仕事を進めていくという姿はきわめて好ましいと思います。けれどもうまくいかない非常に困難な場合、自分だけで悩み、上位者に訴えない。上位者はうまくいっていると思って安心している。どうしてもいけなくなって、訴えたときにはすでに手遅れだということが往々にしてあります。

具合の悪いときは瞬時も早く上位者に報告して指示を仰ぐ、それがほんとうの責任経営だと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁の仰る「上位者に訴える」とは、「上位者に問題解決策や打開策を求める」と換言していいのではないでしょうか。この問題解決策や打開策には、問題解決能力や打開能力が必要になります。更には、問題解決能力や打開能力というものは、実際の現場における「経験値や土地勘」に比例して高くなることが多いと言えます。それ故に、その業務における経験値が高い上位者に問題解決策や打開策を求めるということは正しいことであると言えます。しかしながら、昨今においては終身雇用制が崩壊し転職が盛んに行われるようになりましたので、かつてのように一概に上位者の方が能力が高いとは言えなくなっている現状があります。つまりは、部下の方が問題に対する問題解決能力や打開能力が高いというケースも多々あります。それ故に、上位者への訴え方に関しても、状況や能力に合わせた多様性が求められているとも言えます。

基本に則した仕事の仕方をしながらも、上司と部下を上手に生かして仕事をしていくことが求められていると言えます。

基本が出来ない人間に応用が出来る訳もありませんので、先ずは基本なくしては話が始まりません。企業や組織において働く際には、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)を忘れないということが基本になりますが、松下翁は以下のように述べています。

…サラリーマンの心構えとしては、ささいなことではあるが、つぎのような平凡なことが重要である。例えば上役の人に約束取り消しの電話を依頼されたとする。そのような場合には、必ずその結果を報告しなければいけない。たとえその結果を聞かれなくとも、報告するのである。こうしたちょっとしたことから、少しずつ周囲の人たちの信頼を得ることになるのである。相当な仕事ができるかできないかは、その人の頭がいいとか、賢いとか、腕があるとかいうこともあるが、それ以上に大きな力はこうした小さなことから築いてゆく信用というものが大切である。

平凡なことができずに、むつかしいことができても、決していばれない。むつかしいことよりも、平凡なことの方が大切である。それを積みかさねていって基礎をつくり、その土台の上に立って、さらに長年の体験によって生れる経験を、その人の知恵才覚によって生かしていくというのが、危なげない仕事のやり方である。…
(松下幸之助著「物の見方考え方」より)

このホウレンソウ(報告、連絡、相談)は、部下の立場からするととても面倒であり煩わしさを感じるものですが、一度でも自らが管理者の立場を経験すると、上司が求めるホウレンソウの勘所が理解でき、考え方がガラリと変わるものです。上司は、全てにおいてのホウレンソウを求めている訳ではありません。上司が必要とする的確な情報のホウレンソウが求められています。

上司と言われる人の全てが有能な訳では有りませんので、中には無能な人間が上司となっているケースもあり、無能な上司ほど「二人羽織のようなホウレンソウを求める仕事」をしようとするものです。具体的には、有能な上司の場合は、上司と部下で生産性を「1+1=5」にしようとしますが、無能な上司の場合は、上司と部下で生産性を「1+1=1」のような仕事をしようとします。部下の立場からすると、「そんなに手取り足取り細かく指示を出すならば自分でやってくれ」「上司がいない方が仕事が早く生産性が高い」というようなケースも残念ながらあるのは事実です。

つまりは、上司と部下を上手に生かして仕事をしていくことが求められる訳ですが、このことについて松下翁は以下のように述べています。

 皆さんはできない人やない、できる人なんです。けれど精神なり知識の使い方が、今はまだもうひとつ足りない点があるんだろうと思います。その使い方というものは、自分自身でも自分を使うということが大事であるが、皆さんの部下なり上長に対して、これまた使い方が大事である。私は非常にこれが大事やと思うんですね。

 ここに一つの団体があって、その大将が全知全能の主であれば言うことはないけども、そんなわけにはいかない。大将必ずしも全知全能ではない、長所もある代わりに短所もある。しかし参謀が三人いる。その参謀が短所を一つずつ補って、参謀のよさによってその団体が勝利を得るという場合がある。だから、上の人をいかにうまく使うかということも大事である。自分の考えを上の人に提案して、その提案を用いせしめる、そしてそれをその人の命令によって遂行せしめるというような考え方も、お互いが非常に配慮せねばならんと思います。

 また、下の人をどのように生かしていくか。ただ命令にこれ従えというようなことでは、決して下の人の力というものは伸びない。自分は全知全能やない。下の人に自分以上の力のある人がたくさんいるのだから、やはりその人たちを生かして、その人たちの力を十分に発揮させるというような使い方を考えないといかん。その工夫をしなければならなない。

 ときにワンマンといわれる人があって、非常にその人は偉いけれども、伸びない会社が世の中にたくさんあります。それはやはりいま言うたような点に工夫が足りわけです。部下に自分以上の力のある人がたくさんいるにもかかわらず、みんなあかんと考えて、自分がすべて命令していく。それでは部下の力というものがちっとも伸びない。そして、総合の力というものは非常に小さいものとなる。これはやはり上に立つ人の工夫が足りないということやと思います。

 だから、下の人でも上の人を使うことができるし、上の人が下の人をさらに生かすこともできる。そうして工夫していけば、これは技術でもなんでもそうやと思いますが、そこに一つのグループというものは、完全に生きるわけです。それができるかできないかということが、成功するかしないかということに結びつくと思うんですね。

 何ごとにしても、自主の精神、みずからを保つ精神、これは非常に尊いものであって必要ですけども、しかし自主の精神だけでこと足りるかというと、決してそうゃない。やはり多くの社会のあらゆる現象というものを、その自主的な考えなり生き方にプラスせしめるというような人やないといけない。いろんな意見を取り入れることは結構ですけれども、あんまり取り入れすぎて、「あんた、東へ行ったほうがよろしい」「そんなら東へ行きますわ」と言う。「あんた、南へ行ったほうがよろしい」「そんなら南へ行きますわ」というようなことを言うたら、これは自主性がないわけである。それではいけない。

 だから、歩む方向はみずから決めないといかんが、その方向を歩んでいく能率を高めるためには、あらゆる知識というものを自分に取り入れて生かさないといかん。あらゆる知識とは、万人を取り入れるということである。

 お得意先もそうである。はなはだしきにいたっては、自分と敵対する人の知識までも取り入れるというくらいにしないといかん。そしてみずから考えているとおり、東へ行くなら東の方向へ歩んでいかないといかん。私はそう思うんですね。そういうことができなければ、絶対にものは成功しない。多少の成功はできるかもしれないけども、ほんとうの意味の成功はできないと思うんです。
(松下幸之助著「人生と仕事について知っておいてほしいこと」より)

上司が部下を使う、或いは、部下が上司を使うと言ってもやはりその関係性においては「尊敬」の気持ちや、「信頼」というものがあってこそ始めて有効に使うことが可能になる訳であり、仮に「尊敬」の気持ちや「信頼」なしに「相手を使う知識や技術」だけが先行してしまいますと、それは打算的な権謀術数の類いと同じになり、全てはブーメランのようにいずれは自分自身に返ってくることとなり「才子、才に倒れる」ということになってしまうということも忘れてはいけないと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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