見出し画像

【わたしのジョブ・カード】6,ようやく見つけたやりたいこと

震災後のどさくさもようやくひと段落着いた頃、X社というところがある提案してきました。
それは、現在使っているカラーコピーにMacintoshというパソコンをつないだら、
すごい事が出来ますよと。

当時、X社の人たちはとてもスマートで、いつも革新的な提案と、寄り添ってくれるような受け答えで、とても輝いて見えたのです。
この時、こんな会社で働ける人をうらやましく思うと同時に、全く何も考えてこなかった自分を恥ずかしく思いました。

結局、この提案を受け入れることになり、DTP一式を導入することになりました。
Macintoshを導入した日、私はこいつと一生つきやってやると心に決めたものです。
26歳のことでした。
ようやく、自分の目標のような物が見つかった瞬間でした。

それまで流されるだけ流されて、ようやく自分がやりたいものが見つかったのが、26歳の時。
自分が本気でやりたいことを、若いうち、早いうちに見つけることに越したことはないのですが、いつ見つけても、遅すぎることはないと思います。

むしろ、じっくり探すことも時には必要。
いくつになっても、学ぶことは大切と思っています。

DTPが導入され、とにかく必死に勉強しました。
MACのことやネットワークのこと、パソコンや周辺機器などもがむしゃらに勉強したものです。

これまでデザインは勉強したことがありませんでしたが、IllustratorやPhotoshopを使うと、何とかなる気がしていましたし、実際何とかなっていきました。

メニューやPOP、ポスターやチラシなど、年間100点を超える数を制作していました。
制作だけではなく、店舗の売り上げをどう上げるのかを考える、マーケティングも少し考えながらの業務。
X社のカラーコピーも大活躍。
とにかく毎日が楽しく、充実した日々を送っていました。

ところが、じわりじわりと会社が傾いていったのです。

もともと、船の事業失敗で莫大な借金があると言われていました。
その後、阪神淡路大震災に遭い、物流拠点や何店舗かかなりの被害に見舞われました。
私がいたハーバーランドの店も、長期にわたってオープンできない状態が続きました。

その後、決定的なある事件が起きました。
狂牛病と言われたBSEです。
連日のような恐怖を煽る、マスコミの報道。
それによる、牛肉離れ。顧客離れ。

焼肉をメインとしたレストランでしたので、大打撃でした。
各社への支払いも滞るようになり、従業員の給料も遅配という事態に陥りました。

ある店長の一人が、つぶやきました。
「辞めるも地獄、残るも地獄。」

私は、結婚し子供もいましたが、この会社を去る決断をしました。
震災の時に感じていた疑問は、かなり大きなものになっていました。
このまま、この会社にとどまる理由がないし、すこしでも早く離れたいと
思うようになっていました。

この時、33歳。
本来であればこれから脂が乗ってくる、働き盛りの入り口での失業。
この後、2年間地獄を見ることになるとは、この時は思いもしませんでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?