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地獄は主観

地獄はこの頭の中にある。

 伊藤計劃

虐殺器官という小説に出てきたセリフだ。

本来の意図は忘れたが、この小説を読んだ数年前の当時からこのセリフは刺さっていた。
 脳の存在が無ければ認識そのものが無くなる。
つまり地獄もなくなるのだ。地獄は地獄と認識するから地獄になる。
仏教において人生は苦だ。
しかし苦を苦たらしめているのは、自分自身だと仏教は説く。
人と別れるのが苦しい、欲しいものが得られないのは苦しい。それらは事実ではないとする。自分自身が抱く主観、つまり幻想なのだと仏教は説く。

たしかにそうだ。悩みというのはその人自身が事実を歪め肥大化させた幻想だ。
嫉妬も憎しみ悲しみも、抱いたところで意味がない感情だ。

しかしこれは人間の本能、つまり生きている限り仕方のないものだったりする。仏教で言うところの五蘊盛苦だ。
オンオフできるならとっくにしている。
しかし人間はロボットではない。
それこそ虐殺器官で言うところの痛覚抑制機能のようなものがあれば相当楽になる。
しかし現実に痛みを抑制する機能はない。痛覚も本能的にプログラムされたものだ。嫉妬や恐怖なども本能的なプログラムなのだ。

逃れるためには現状の手段としては、寝るか死ぬしかない。
だから自殺が無くならないのだろう。苦しみから逃れたいが逃れられない。
僕の勝手な解釈だが、自殺をする人間というのは、苦しみの根源が脳であることに気付いた人間なのではないか?
だから自殺をする。
地獄と常に同居している状態なのだ。
そりゃあ芸能人も自殺する。
内側が地獄ならば、どれだけ外側に恵まれていても意味がない。激痛に苛まれている時に宝くじが当たった報せを聞いても喜べない。それより宝くじの権利を放棄してでも痛みを和らげたいと思うだろう。

満たすならまず内側からなのだ。内側が天国になれば、外側がいかなる状況であれ、幸せになれる。

素晴らしい新世界というディストピア小説がある。
その小説のキモとなるアイテムにソーマという薬がある。
この薬は飲むと快楽物質が放出され、どんな悩みも忘れさせてくれる。なので理不尽な待遇にも、この世界の住人は不満を抱かないのだ。

安定した社会を維持するための要素の一つ。二日酔いなどの副作用のあるアルコール飲料の代わりとして、フォード紀元178年(2086年)に2000人の化学者に研究助成金が支給され、開発された副作用のない麻薬。アルコールとキリスト教の長所のみを融合させ、宗教的陶酔感と幸福感と幻覚作用をもたらす。アルファ階級からエプシロン階級までのすべての人間が日常的に使用している。

Wikipedia

要約すると酒の上位互換であり、副作用のない覚せい剤であると言っていい。
この薬が理不尽なディストピアを成り立たせているアイテムになっている。
逆にこのソーマが無いと、人々はこの世界に不満や疑問を抱き暴動を起こすだろう。
傍から見ると地獄でも、本人たちが幸せならばそれは幸せなのだ。地獄も天国も主観なのだから。

現代にソーマが存在するならば、精神科は要らなくなる。
自殺も無くなる。
しかし人々は労働や競争もしなくなる。
経済活動やインフラはストップし、街はゴーストタウンのようになるだろう。
しかし人々はソーマがあるので幸せだ。技術の進歩もないし、電気も通らない。娯楽も無いし、食料もないが、ソーマがあるから幸せなのだ。

どれだけいい環境に身を置いていても、頭が地獄なら意味は無い。
どれだけ劣悪な環境に居ようと、頭が天国ならば紛れもない幸せなのだ。
要は頭の中に快楽物質があるかないか。それが全てなのだ。


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