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娘の不登校であらわれた、わたしのインナーチャイルドと両親との関係

いろんな感情を、ジェットコースターのように味わっていた頃。学校を休んでいる娘とは関係のないようにみえるところから、感情を揺さぶられるような出来事が続いていました。

娘が学校に行っていないことは、わたしの両親にはしばらくの間伝えていませんでした。もともと過度に心配するところがあるので余計な心配をかけないという気持ちと、直接いろんなことを言ってくるわけではないけれど、繊細な娘もわたしも、離れていてもその心配を感じてしまうので、静かに時を過ごすため選んだことでした。


この頃に、癒されたはずだと思っていたわたしのインナーチャイルドの傷が、フツフツと顔をだしてきていました。

そんななか、両親が半年交代で入院を繰り返すという状況があって。正直、娘のことや自分自身を整えるのに精一杯な毎日で、このことも、さてどうしようか、という感じで。

わたしは長女なんですが、長女気質が抜けないことと、看護職時代の癖も抜けず、なんでもこう自分で動いてしまうというところがあって、抱えすぎてしまうところがあったのです。

できる範囲のことを精一杯やりつつ、遠方に住む兄弟と相談したり、おじやおばの協力を得たりしながら、なにもかもをひとりで抱え込むのは手放すことにしました。

一見、冷たく感じるかもしれないけれど、自分の人生と親の人生の境界をしっかり持つということが、これまでできていなかったのだと気がついたので。


よくいう一般的な家庭で育って、不自由なく生活させてもらっていましたが、大人たちの感情を繊細にキャッチしすぎて、本当の気持ちが言えないということがわたしの子ども時代にはたくさんあったのですよね。

大人になった今、客観的にみてみれば、それは単に捉え違いだったこともあるし、親は親の人生を生きているだけだったことでもあると理解できますが、なにせ子どもにはわからないから。

愛されていたのに、悲しみや怒りが強く記憶として残っていることもありました。


無意識の中にそういった悲しみや怒りが残っていると、自分が認識している意識のなかでどんなに明るくしあわせな生活を描いても、自分と周りの人間関係にもそのことが反映されやすくなるもの。

これも癒しのタイミング、完全に手放す時期なんだなと気がついたのは、いろんなことが落ち着いてからのことでした。


現実に飲みまれないで俯瞰してみることと、自分の人生と周りの人たちとの境界を持つことの学ぶための時間。

自分がしあわせだと周りがしあわせになるということを体現するための学び。


娘が起こしてくれた不登校という事柄は、結局のところ、私の持っている課題に気がつかせてくれている、そう感じるようになってから、二つの見かたで俯瞰することに意識を置くことを徹底することにしました。


そうやって過ごしているうちに、見ていた世界の景色が変わってきたのですよね。周りがどんな状況でも、自分が心地よさを感じて過ごせるようになってきた。

先のことを心配しなくても過去のことを後悔しなくても、大丈夫なんだということが深いところでどんどん腑に落ちる感覚でした。











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