カフェバリスタ なとわ

ちいさな町のかたすみで カフェ店員をしています。 たくさんのお客さまとのつながりを 見…

カフェバリスタ なとわ

ちいさな町のかたすみで カフェ店員をしています。 たくさんのお客さまとのつながりを 見知らぬかたと分かち合いたいと思い そっとnoteをはじめることにしました。 なとわは、あなたとわたしを意味します。 これは、わたしと読者、わたしとお客さまをつなぐ、大切な大切なものがたりです。

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あなたを思い出しながらコーヒーを飲むわ と言われた大雨の日

これから少しずつ、お客さまとのあたたかい思い出を書き綴っていきたいと思っているのですが、今日はまず、どなたよりも忘れがたいお客さまについて書きたいと思います。 夏の始まりの、じめじめとした日でした。午前中は青空が見えていましたが、午後になると大きな雨雲がやってきて、ゲリラ豪雨のような激しい大雨となりました。 誰もいない店内をひたすら磨いていると、激しい雨にも関わらず、一組の老夫婦がご来店になりました。 80代くらいのお2人で、深緑色のスーツを着たご主人はすらりとした長身、

    • 春に微笑める

      お客さまとのこころ温まるエピソードだけを綴るつもりで始めたこのノート 心が下向きになり続けた結果、仕事は変わらずがんばれても 言葉がやわらかに紡げなくなっていました。 ご無沙汰しています。 って、誰かいまだに読んでくれてるんだろか(苦笑)。 月に一度信頼するカウンセラーさんに会う日。 関西にお住まいで、関東に出てくるのは月に一度なのです。 飛び込まないように背中を壁につけて必死で耐えてたこの電車も あ、電車きた。 と、普通に乗れるようになりました。 5月で1年経つカウン

      • 人ひとりが生まれること

        世界には今、約80億人の人が生きているのだそうです。 その中で、世界を動かしていると言える人は何人くらいいるのでしょう。 著名人と呼ばれる人たちは、世界でどのくらいかな? すごい人たちは80億のうちの一握りだろうけれど 様々な分野で活躍されている、素晴らしい方々はたくさんいます。 では、自分は? 自分は80億人の中で、どんな立ち位置にいるのでしょう。 自分が生まれてきたことに意味を持たせると苦しくなるぞとアドバイスされたことがありますが どうせ生きるなら、役に立たないより

        • All I need is a hug

          ハグしたい。 たくさんの人と。 たくさんの友達と。 何回も何十回も何百回も、ハグしたい。 自分が生きてること 相手が生きてくれてること わたしのそばにこんなにもたくさんの人が存在すること 全部全部 体温で感じたい。鼓動で感じたい。 ありがとうって、言いたい。

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        あなたを思い出しながらコーヒーを飲むわ と言われた大雨の日

          やわらかい言葉を綴りたい

          金子みすゞ 星とたんぽぽ 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように 夜がくるまでしずんでる、 昼のお星はめにみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 ちってすがれたたんぽぽの、 かわらのすきに、だァまって、 春のくるまでかくれてる、 つよいその根はめにみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 金子みすゞさんの詩はどれもこれも好きなのですが この詩が大好きです。 若くして亡くなった彼女ですが あんなに若かったからこそ、こん

          やわらかい言葉を綴りたい

          君の価値は俺の価値

          大丈夫ともうダメだの行ったり来たり こんなにもたくさんの人に愛されているのに苦しんでいることを我がままだと言う人もいる 悲しみは人と比べられない どちらが大きいとか深いとか だから自分は大丈夫とか そういうものではない 夜は泣きたくなるので最近はすごく早く寝てしまう 考えないためには寝るのが一番だ 1000持っていても1持っていないがために空虚を感じることがある わたしは今それだ 苦しみの終わりはいつ来るんだろう 日が沈むと共にため息があふれる どこからともなく押し寄

          祈ること

          わたしはクリスチャンの家庭に育ちました。 でも、わたし自身は両親には申し訳ないけれどクリスチャンだという自負はありません。 それでも、クリスチャンの家庭に育ってよかったと思うこともたくさんあります。 中でもいちばん両親に感謝しているのは 祈りを教えてくれたことです。 両親は当然、キリスト教の神に対して祈るわけですが わたしの場合は、何かの神様に対して祈るわけではなく こうなりますようにと心を込めて願う、という感覚です。 神様はいないと今現在は思っているわたしですが 不思議

          昨日夢に出てきた人

          昨日夢に出てきた人 笑ってた 何か聞いてほしいことがあるようでおしゃべりが止まらなかった 終始笑ってた わたしはただただ、よかったなという気持ちでその話に頷いてた 彼がわたしの手のひらに指で何か書いた そして少年のようにまた笑った 穏やかな風が吹いてた 会話の内容も 手のひらの文字も 覚えていないまま目を覚ました いつもの天井があった わたしのシャンプーの匂いがするわたしの枕があった 夢は夢だ 夢は脳内の情報処理最中に見られるエンターテインメントに過ぎない わたしの手の

          明日君に会えたら

          明日君に会えたら どうしてたかなんて聞かない 明日君に会えたら 花咲く野原に誘う 明日君に会えたら お腹が空いて大きな音が鳴ったのを 顔を見合わせて笑おう 明日君に会えたら ベタに寝転んで空を見ようと誘う 明日君に会えたら 空を見上げながらきっと黙って泣く 明日君に会えたら 明日君に会えたら 君がまだ笑いかけてくれることに感謝しよう うっかりぶつかった手があたたかくて お互いが生きていることをじっと噛みしめる 明日君に会えたら 明日君に どこかで生きている君よ

          傘 ああ、雨かと僕が言う ああ、雨だと君が言う 君は雨を愛している 傘に落ちる雨粒の音も 水たまりに子供のように飛び込んで跳ねかす滴も はるか遠い雲から本当に落ちてきているのか信じられない と言いながら見上げる水玉の行列も 灰色の空だな、と僕が言うと これは灰色じゃないよ、と君が言う 空が泣いてるな、と僕が言うと そんな単純な例え、つまらない、と君が笑う 傘をひとつだけ持って出かけようよ 君が言う ひとつじゃ肩が濡れてしまうよ 僕が答える だから傘はひとつでいいの

          のたうち回る心の苦しみ

          これまでとあまりに違う内容で 引く方もいらっしゃるかも知れないのですが… 今の気持ちを再開したFacebookにぶつけたものを、転載します。 ⇩⇩⇩⇩⇩ SNSって、暗いこと書くと反応がなくなる。 反応しづらいからだとはもちろんわかってるんだけど(笑)。 いいねとかじゃないしなー コメントもなんて書いていいか分からんしなー そんな感じになるよね。 美味しいご飯報告も おでかけ報告も 素敵な写真のシェアも なんだっていいと思う。 みんなが自由に載せたいことを書けばいいっ

          のたうち回る心の苦しみ

          4年前の自分からのメッセージ

          Facebookで、4年前に投稿した記事を読み返す機会がありました。 そこに書かれていたことに、涙が出てきました。 自分で書いたことなのに、へんてこですね(笑)。 noteに転載することにしました。 よかったら読んでください。 1月1日、目が覚めて一番最初にかけられた言葉は 息子からの 「あーー今日も(おかあさん)かわいい」 だった。幸せすぎる年明けだ。 寝癖がついて顔のむくんだわたしを心からかわいいと言ってくれる息子。 彼はいつも計算なしに人をしあわせにする。 思えば別

          4年前の自分からのメッセージ

          サンタクロースの告白

          毎年、寒くなってくる頃になると浮かんでくる大切な思い出があります。 それは、わたしが小学校5年生の初冬に起きた出来事でした。 ある日の夜、母がわたしを2階に呼びました。 子供部屋は1階でしたから、2階に呼ばれるというのは姉たちに聞かれないように深刻なお叱りを受ける時と分かっていましたので、何をしでかしてしまったのだろうと子供のわたしは身を固くして2階に上がりました。 両親の寝室へ入ると、そこには深刻な顔をした母が座っていました。 「なとわ、ここへ座って」 母の目の前を指さ

          サンタクロースの告白

          もういない

          寝る前に考え事をするのは、あんまりよくないと知っています。 特に薄暗いベッドルームで書き物なんかするもんじゃないのです。 センチメンタルになったり、絶望的になったり、夜ってとても素敵なのに、考え事には圧倒的に向いていません。 それでも考えてしまうのが人間というものです。 黙ってこのまま眠ればいいのに、なぜだか心拍数が上がって、落ち着いて眠れそうにありません。 わたしはここ数ヶ月、ずっと寂しい気持ちを消せずにいます。 わたしの文章が好きだと、素晴らしいと、絶対に形にするべき

          書くべきだ

          心が弱りきって、いつも天から降りてくるように感じる言葉たちが まったく降ってこなくなり noteを始めたばかりなのに、突然書けなくなって1ヶ月ほどでしょうか。 noteを、やめようと思っていました。 いっそ閉じてしまった方がスッキリすると。 ところがそんなある日、先日書いた、25年前の読者との再会に至ったのです。 彼はわたしの文章をすごい文豪などに例えて褒めてくれるのです(笑) わたしの言葉は人の心を動かすから、書くのをやめたらダメだと。 noteをやめるなんてもったい

          自分を愛するが分からない

          冬から準備していた同窓会が無事に終わりました。 閉会の挨拶のあと、何人もの人がありがとうを言いにきてくれて 様々な言葉をかけてくれました。 何度も言われたのが、自分をいたわってねと言うこと。 そして、どうしてそんなに周りに愛を注げるのか、という質問。 それに加えて、人に愛を注いでばかりじゃ枯渇しちゃうよ、もっと自分を愛してあげて、というものでした。 自分を愛すると言うことが、わたしには分からないのです。 自分を愛すること=他人を愛することのような気がしているのだけど それ

          自分を愛するが分からない