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4年前の自分からのメッセージ

Facebookで、4年前に投稿した記事を読み返す機会がありました。
そこに書かれていたことに、涙が出てきました。
自分で書いたことなのに、へんてこですね(笑)。
noteに転載することにしました。
よかったら読んでください。

1月1日、目が覚めて一番最初にかけられた言葉は
息子からの
「あーー今日も(おかあさん)かわいい」
だった。幸せすぎる年明けだ。
寝癖がついて顔のむくんだわたしを心からかわいいと言ってくれる息子。
彼はいつも計算なしに人をしあわせにする。

思えば別れた夫は、人をほめない人だった。
他人のこともそうだけど、妻のことは、ほめるどころかけなすことしかしなかった。
ポジティブな言葉をどんどん口にするわたしに
日本人の美徳がないとか、以心伝心という言葉を知らないのかとかよく言ってた。
約7年の結婚生活で、大げさじゃなく、何度となく罵倒はされてもほめられたことは本当に一度もない。
離婚の話し合いをしてる時も、以心伝心について語ってたな。

昔、大好きなおじいちゃんが病気になった時
愛してるって言えなかった。
血の繋がりがなかったから。どう受け取られるか怖かった。
死に瀕したおじいちゃんに会いにいって、手を握った。
子供のいないおじいちゃんはずーっとわたしを本当の孫のようにかわいがってくれて
わたしも本当のおじいちゃん以上に愛してたけど
愛してるって言ったことなかった。
喉元までその言葉が出かかったけど、言えなかった。
おじいちゃんはそれからしばらくして亡くなって、遺体と対面した時
ずーっと大事にしてくれてありがとう、大好きだよ、愛してるよってなぜ言わなかったんだと自分のバカさ加減に凄まじい後悔の念がこみ上げてきた。
みんな、ちゃんと伝わってたはずだよって言ってくれたけどそれは分からない。
わたしがどれほど愛してたかって、それは言わなきゃ伝えられなかったことだ。
わたしはお別れの前に、絶対言わなきゃいけなかった。
10年以上経ってもまだあの時のことを思い出すと泣けてくる。

以心伝心。
奇跡的にそういうことが起きると胸がときめくけど
以心伝心はコミュニケーションの理想型ではない。
たまたま起きるから感動するのであり、目指すべきことではない。
言葉は伝えるためにある。
伝えなければ、相手にとってはなかったのと同じこと。
怒りや罵りなんかは伝えない方がいい場合がほとんどだけど
今日のお洋服似合ってる、朝ごはんすごく美味しかった、昨日のメールうれしかった、
そんなささいな気持ちは、日常の中でどんどん流されて消えていくし
言葉にしなきゃもう絶対、相手に伝わるはずもない。
けど伝えれば、その人の1日を変えちゃうくらいプラスに働くこともある。

人間の脳みそは、けなされた時よりほめられた時の方がずっと効率よく働くそうだ。
いい言葉は、人を生かすのだ。
その一瞬だけじゃなく、その先の人生すら支えることもある。
だからどうでもいいようなささいないいことを大切にしたい。
見つけたらすぐその場で伝えたい。

今朝のどんよりした空を見て息子
おー!雨???ぼく雨だいすきー!!
そして長靴を引っ張り出してきたチビたち。
何事も楽しむこと。惜しみなく愛を注ぐこと。
今日も大事にしていきたい。

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