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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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#毎日note

拝啓 竹内 〜2007年5月1日にインドのアグラからバラナシの夜行列車に乗っていた22歳の竹内へ〜

拝啓 竹内。 突然だが、竹内に長い長い手紙を書くことにした。 13年分の思いだからいつか読んでほしい、竹内。 竹内との出会いは今から13年前の2007年4月30日から5月1日に日付が変わったくらいの深夜。 インドのアグラからバラナシに向かう夜行列車が3〜4時間遅れていて、お互いに待ちくたびれていた時に、 アグラカント駅のホームで出会ったと思う。 インドをしばらく放浪していた私の元に、 妹がGWに休みを取って日本から合流しタージマハルを見た日の夜だからそれは確かだ。 心細そう

見知らぬあなたに、卒業おめでとうを、伝えたい。

きのう、同じハッシュタグをつけている 記事のひとつと、とても印象的に出逢った。 タイトルがわたしになじみのある学科の名前 だったので、なんとなくタップしてみた。 この3月21日に卒業された大学4年生の方。 無事に卒業証書(学位)を受け取って来たことが 綴られていた。 よくよく読んでいると、それはわたしの母校だった。 4年通ったあの大学だ。 いや、実を言うと4年よりも少ない。 半年ぐらい心の病で、休学していた。 ちょうど二年生の春か夏頃だったかも しれな

桜の季節、誰かが誰かを待っている。

noteをふいに訪れていると、誰かが 誰かのためだけを想っている言葉に であうことがある。 ふだんは、わたしはわたしのことしか 考えていないようなにんげんなので。 宛先がいつも誰かであるひとに会うと、 どうしようもないぐらい、恥ずかしく なってしまう。 じぶんの心を整えるために書いてきたので たぶんわたしの言葉はいつも宛先はじぶん だったような気がする。 だから、いっそもうじぶんのことは置いておき たいと思うことがある。 「わたし」や「じぶん」から遠

ふたりの春が、いつかどこかで歌っていますように。

春ってちょっと苦手だけれど。 わたしが苦手だからといって、春を 迎えたい人がたくさんいるのだから それを嫌いって言ってちゃいけないなって 思った親子にむかし出会ったことを 思いだした。 お父さんと娘さん。 幼稚園ぐらいの女の子。 わたしの隣のテーブルのお客さんだった。 私たちの方が少し先に来ていたので メニューが運ばれてくるまでちょっと 待っていた。 席を決める時に、そこにいないお母さんを 思いだしたのか、パパはここ、わたしはここ そこはママだね。 って言った

全然違った!義母の「白菜と天かすの土手煮」

私からのお裾分けと義母からの正解先日の白菜大量消費記事に書いた「白菜と天かすの土手煮」。 私が作ったものを少し保存容器に移して義母にお裾分けした。 白菜の水分を搾り切らなかったから水っぽくなったかも?と思っていたんだけど、なんとそれどころじゃなくて作り方が全然違ったので載せておきます。 お裾分けからの返信とでもいうような正解の「白菜と天かすの土手煮」がこちら。義母作のもの。 こっくりしていて見た目はまるでビーフシチューの様、食べた感じは味噌おでんとか味噌煮込みうどんの雰囲

40.かすかに感じた淡い春

今日、クリスマスイブを迎え、いよいよ週末明けると年末ムードが色濃くなり、なんとなく忙しない、そわそわ焦ったような気持ちになる。毎年繰り返されることなのに、ちゃんと毎年そわそわする。特に小さい頃、新しい年を迎えることは、まったく新しい世界に飛び込むような、大晦日にはそんな壮大な気持ちになっていた。それを繰り返すうちに、大晦日も元日も、ついに日常の延長であることを実感しながら、それでも大人になった今、新しい年を迎えることというのは、なんとなく背筋が伸びるのだ。 先日、冬至を迎え

人生7周目らしい私と、30周目くらいの彼。

会うと不思議な気持ちになる人がいる。 彼とは昔共通の友人を通じて知り合った。 10才以上年上の彼は、映像やデザインの仕事をしていて、音楽でもプレイヤーとして活躍する、字面だけで書くととてもキラキラした世界の人だ。 でも実際は、キラキラしたオーラはいい意味であまりなく、見かけると気軽に話しかけてくれたり、ずっと昔から知っている関係の深い友人のようにふいっと芯をついた話をふってきたりする。 真剣な話をしても圧迫感のような重い雰囲気はなく、心地よく流れる音楽のようにゆらゆらと

井の頭公園でボートに乗りながら「今の自分」について考える。

とある週末の話。 地元に帰ってしまった大学時代の友人が出張がてら東京に来ているとのことで、かなり久しぶりに何人かで集まって食事をした。 食事をしたなんて綺麗に言っているが、学生時代によくアホのように飲んでいたメンツ、いわゆる飲み会である。 皆仕事終わりで集まったのが遅かった上、ここしばらく夜遅くまで人と思う存分飲むなんてことはできなかった世の中。 それがやっといつも通りに戻り始めてきて、数年ぶりに再会し積もる話に華を咲かせていたら、いつの間にか皆、終電を逃してしまっていた。

ベランダ

私の家庭での大きな役割は、水回りの掃除である。ただ、もうひとつ、大きな役目を、ここ半年ほど忘れていた。 それは、ベランダの掃除である。 引っ越してきて数年経った、9月のある日、家内から言われたのだ。 そろそろ、また、ベランダの掃除、お願いします。 その前の掃除から、半年以上経っていた。感覚的には、そろそろやらねばならない時期だろう。私は、心の中の嫌がるリトル私を抑えつつ、 そうだ、ね....。 と、こたえた。 すると、家内が言葉を継いできた。 Eさん、知ってい

ナヨナヨする?

LGBTの件は理解者が増えて良い時代になったと思うけれど、ずっと不思議に思っていることがある。体は男性だけど心は女性よりの人の多くが、ぶりっ子でオーバーアクションでナヨナヨしていることだ。いわゆる世間一般が思っているゲイバーのノリである。あれってゲイというより水商売のノリだと思うのだが、昼間の仕事にもあのノリを通している人は多いと思う。あざとさというレベルでなく、全力でぶりっ子。 職場にちょっとナヨナヨした男性がいてゲイなのかよくわからないけど、いつもオーバーアクションで、

一緒に仕事がしたいと思われる人になりたい

社会人半年、仕事における自分のキャラクターがわかりません。 自分がどうやって人に見られたいのか、どうブランディングするのが最も目指すものに近づけるのか、わからないんです。 そもそも、自分がキャリアとプライベートのライフイベントを両立するための明確な目標がたっていません。結婚とか出産とか自分だけではどうしようもならないことが私の人生においては大事だから、そうなってくると仕事ばかりしているわけにはいかないなとも思ってしまいます。 ロールモデルを見つけることが大事なのかもしれ