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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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2022年3月の記事一覧

お客さんが自然にバイト化する定食屋

ぼくは定食屋が好きだ。中でも、個人で経営してて、孤独のグルメに出てきそうなところが好き。 使い古された中華鍋で、年季が入ったお皿に、変わらない味の料理を盛る店がいい。なんなら、店主はおじいちゃんかおばあちゃんがいい。 そこに行けば、長い年月が自分を受け止めてくれるような店がいい。 そんなぼくにとって、忘れられない定食屋がある。 🚶‍♂️ 「よさくくんがさ、絶対好きな定食屋教えてあげる」 ハンドルを握りながら、嬉々として先輩は言った。 ぼくは先輩の車でテニスコート

たまごに愛された男

誰もいないキッチンから、「ぱさっ」という音がした。 あぁ、またか。 想像したくないけど、きっとアレに違いない。 渋々、音のしたほうへと歩いていくと、悪い予感は当たっていた。 ふきん掛け(吸盤式)の落下。 ゆうべ洗ったばかりのふきんが、シンクで水を吸ってへたっていた。 落ちたふきん掛けとふきんを手に取り、なんか言ってやりたい気持ちになる。 ものにも心があるならば、言霊的にはけっして言ってはならない言葉だが、もろくもブチ切れた私の堪忍袋は収まりがつかず、捨て台詞のようなク

大企業で部長だった人が定年後、ホテルの清掃係になっていた

少し前の話になる。私は会社の先輩と駅のホームで電車を待っていた。 「あれ?Ⅰさん。」 「おぉ、久しぶりやね。元気?」 先輩が声をかけたのは、数年前までお世話になっていた方だった。 スーツ姿のIさんしか知らない私には、ポロシャツにリュックサックを背負ったIさんがとても新鮮に映った。 私はソフトウェア開発の会社に勤めているのだが、自社業務というのはほとんどない。大手企業で”派遣”という形で仕事をしている。 その、派遣先の会社で部長という役職だったⅠさん。物腰が柔らかい方で

見知らぬあなたに、卒業おめでとうを、伝えたい。

きのう、同じハッシュタグをつけている 記事のひとつと、とても印象的に出逢った。 タイトルがわたしになじみのある学科の名前 だったので、なんとなくタップしてみた。 この3月21日に卒業された大学4年生の方。 無事に卒業証書(学位)を受け取って来たことが 綴られていた。 よくよく読んでいると、それはわたしの母校だった。 4年通ったあの大学だ。 いや、実を言うと4年よりも少ない。 半年ぐらい心の病で、休学していた。 ちょうど二年生の春か夏頃だったかも しれな

「頑張ったんだから、いいんだ」と言い聞かせて家を出たあの日。

私がひとり暮らしを始めたのは、26歳の秋だった。 大学を卒業後、塾の講師をしながらフリーライターになり、1年経って、ようやく仕事がうまくまわり始めていた。 お金の心配がなくなると、私はすぐに家を出ることにした。 子供の頃から、実家を出て「自分の家」を持つことが夢だったからだ。もちろん最初は賃貸でいい。だけど、そこは自分が愛情をそそげるものだけで固めた、私だけの城にする。そう決めていた。 ひとり暮らしをしたいと両親に告げると、父はあまり良い顔をしなかったが、母は賛成してくれ

若槻千夏よ、永遠に

若槻千夏である。 彼女のインパクトは大きい。とにかく使えるアイドルというかタレントである。あまり一般に意識されていなかったが、かなりの長い期間若槻はバラエティを総なめしていた。たぶんほとんどの時間帯、どこかのチャンネルに出ていたであろう。芸人ではないのにきっちりボケられ、容赦ないツッコミもできる、まさにタレントである。 彼女を初めて認識したのは『笑っていいとも! 』に出ていたときだ。数名のグラビアアイドルとともにひな壇に出ていたのだが、他の子がおしとやかに話をする中、「わ

愛嬌が最強

愛嬌というものについて、よく考える。 愛嬌がある人に出くわすと、惚れ惚れしてしまう。 この人みたいになれたらいいな、と思うことも多々ある。 成功している芸能人には、愛嬌がある人が多い。 例えば、僕の尊敬するお笑い芸人の一人、ハライチ澤部さんは類まれなる愛嬌の持ち主である。 本人も「愛嬌だけでここまで来た」と語っており、娘や息子にも「愛嬌は無敵だよ」と教えているらしい。 澤部さん以外にも、愛嬌のある有名人、そしてそれにまつわるエピソードを挙げていきたいところだが、挙げ始めると

桜の季節、誰かが誰かを待っている。

noteをふいに訪れていると、誰かが 誰かのためだけを想っている言葉に であうことがある。 ふだんは、わたしはわたしのことしか 考えていないようなにんげんなので。 宛先がいつも誰かであるひとに会うと、 どうしようもないぐらい、恥ずかしく なってしまう。 じぶんの心を整えるために書いてきたので たぶんわたしの言葉はいつも宛先はじぶん だったような気がする。 だから、いっそもうじぶんのことは置いておき たいと思うことがある。 「わたし」や「じぶん」から遠

おせっかい、していますか

『となりのチカラ』を見ながら、そういえば「おせっかい」という言葉、最近全然聞かなくなったな、と思った。 そもそもドタバタの「世話焼きのおばさん」という人種が、少なくなったような気がする。 おせっかいなおばさん、おじさん、というのは、もう絶滅危惧種なのだろうか。 『となりのチカラ』は、少し語弊のある言い方で紹介すると、おせっかいなチカラが、同じマンションに住むさまざまな住人の悩みに次々と首をつっこんでいく、という一話完結型のストーリー。 おせっかいな人、といえば、とにか

ふたりの春が、いつかどこかで歌っていますように。

春ってちょっと苦手だけれど。 わたしが苦手だからといって、春を 迎えたい人がたくさんいるのだから それを嫌いって言ってちゃいけないなって 思った親子にむかし出会ったことを 思いだした。 お父さんと娘さん。 幼稚園ぐらいの女の子。 わたしの隣のテーブルのお客さんだった。 私たちの方が少し先に来ていたので メニューが運ばれてくるまでちょっと 待っていた。 席を決める時に、そこにいないお母さんを 思いだしたのか、パパはここ、わたしはここ そこはママだね。 って言った