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何度でも読み返したいnote4

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 こちらの4も記事が100本集まったので、5を作りました。
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#エッセイ

共感することと、尊重すること──多様性の時代にむけた私のアプローチ

私にとって「共感と尊重」はとても大切なものだ。親友の言葉に触れて、それを再認識し、あいまいさを受け入れることの重要性にも気づいた話。 「共感」と「尊重」 しばらくnoteを書いていなかった。仕事が忙しく、家庭の都合もあるなか、友人とのやり取りも頻繁にあったためだ。 そんなある日、親友に言われた。 「ちなみちゃんは、共感してくれへんときとか、否定も肯定もせえへんときがあるけど、私の言うことはいつも尊重してくれるもんね」 さすが親友!と思わされたのはこちらのほうだった。

「あなた、誰ですか?」同僚が言った、あの日のこと。

そんなことを、痛いくらい・・いや、激痛のように感じたことがある。 新卒で採用された物流企業で、引越部門に配属され、3年目の半ばあたり。仕事にも慣れてきて、ちょっと難ありの上司の面倒を見て、すでに2年も繁忙期(3月から4月、新生活が始まる時期)を経験し、もうお腹いっぱいのころ、事件が起こった。 新築住宅での引越の作業中に、ひとりの作業員が2階のベランダから転落したのだ。引越はビルの窓拭きのような高所作業でもないし、危険作業でもないとされている、一般的な運搬作業である。 し

雨上がりのクレパ

金曜日、ポツポツと雨が降り出す中傘を忘れた同僚と一本の傘に入りながら、彼女の行きつけだという創作イタリアンの小さなお店に向かっていました。 お互い昔からよく知る間柄でありながら食事に行くのは久しぶりでしたので、私はこの日をとても楽しみにしていました。 「もう涙でるわー!」と言っておしぼりで目頭をふきながら笑う彼女を見て、まだまだおもしろネタはこんなもんじゃないぜと謎に自分を鼓舞し、下戸なものですから柚子ソーダを何杯も飲んで、楽しいフライデーナイトを満喫していました。 料

春 空 の ア ク セ サ リ

窓の外は隅から隅まで 青いタイルをぴっちりと敷き詰めたような 快い空です。 カーテンを開け放ち、 部屋に 四月の日差しをたっぷり呼び込んで アイロン台の前に座ります。 休日の午後2時。 まとめて洗ったシャツやハンカチの アイロンがけタイム。 襟、カフス、腕、肩、身頃と シャツのカタチに合わせて アイロンをすーっと這わせます。 裏に返したり、スチームを使ったり、 アイロン台の先端を使ったり。 皺が綺麗にのびていく様子を見ていると なにか、自分の気持ちまで 整っていく心地

普通の木に擬態している桜を眺め、思う。

4.9 日 「散歩にでもいく?」  夫に誘われて、喜び勇んで出かける。オードリーのパーカーを着込んで出かけた。 「近所だもん、お化粧要らないよね?ね、ね、化粧してないってバレてる?バレてるかな?」  この2ヶ月間の夫は仕事が忙しく、休み無し、深夜帰宅、時々泊まりを繰り返していた。ここ最近は嫁もどこにあるか分からない夫の逆鱗に触れない様に(夫が疲れ切って居たので)、出来るだけ息を潜めて生きてきた。  その反動でか、ここぞとばかりにまとわりつく。少し迷惑そうだ。 「そうだ、

あの値段が気になるから、もう1杯だけ。

私のよく行くバーにはプロジェクターが置いてある。 ワールドカップなどの試合があるとそこに写してみんなで観戦したりするのだ。 スポーツバーというわけではなく、使っていない時もあれば「フジロック流してます!」だったり、BGMは他にかかっているけどアニメや映画などが無音で流れていることもある。 要するにみんなでお酒を飲みながら楽しめるものであればなんでもよいのだ。 先日はWBCを流していた。 そして試合が終わった後、普段は消すことが多いのだがその日はなぜか消音にしてテレビの映像だ

“みんな”になるのを免れて、世界の片隅で深呼吸

華の金曜日、Instagramを開くと案の定、向こうの世界では同期飲みや社員飲みが開かれていた。画面上の乾杯の瞬間はコンマ5秒の速さで次々とストーリーを送ってしまえるほど、どれもこれも同じ光景に見えた。 就職で上京して、たったの5日間で「同期だいすき🫶🏻」と全世界に発信できる気軽さというか潔さというか、自分には到底真似できない行動力が一周まわって羨ましい。羨ましくはあるけれど、手に入れたいとは思わなかった。ただ、彼女たちに合うのはこの生活なのだろう、と思うだけだ。 あんな

【全文公開】煮込まれたトマト、走るピーマン〈『おいしいが聞こえる』刊行記念公開〉

半年の制作期間を経て、8/4に『おいしいが聞こえる』というエッセイ集が完成しました。食べものにまつわるエピソードや、疑問に思っていること、気づいたことについて書いています。 刊行に際し、ぜひこのエッセイ集に興味を持ってくださった方に中身の雰囲気をお伝えできればと思い、書き下ろしの収録作品『煮込まれたトマト、走るピーマン』を公開することにしました。(この作品を気に入ってくださった方は、「山手線ぬりつぶし選手権」や「おとなになってからはじめて食べた食べもののこと」もぜひご覧くだ

桜に陥落するかもしれない

3月の頭、北海道から東京に引っ越してきた。 新しい住処となるマンションはすぐ隣が広場になっており、そこにはいくつか木が植えられていた。そのうちの一本はちょうど我々の住む二階の部屋の正面にあり、玄関を出ると、木の上半分が目の前にバーンと飛び込んでくるような配置である。 引っ越してきた日、その木を見た夫が、「これ、たぶん桜だよ!」と目を輝かせた。大好物のとんこつラーメンを見るときと同じ目をしていた。まだ何も咲いていないのに、どうして桜だとわかったのだろう。私にはただの茶色い枝

ごめんなさいを、言わなかった。

これは自分のために書いているのかも しれない。 きっと自分が楽になるために。 そうすることがいいことなのか どうなのかわからない。 SNS的でなにかを書くということ その向こうに誰かが読んでいる ということにまだ不慣れなのかも しれない。 とりわけ家族について書くことは なんども自問してしまう。 人はいつか記憶を失うものだし。 そばで暮らしている大切な人が 覚えてほしいことを忘れてしまう ことに今年からずっと直面している。 時々、記憶が揺らぐから

アレですから、ごゆっくり。

三月最初の週末、両親に会いに行った。 少し春めいてきた休日の電車の旅は、車窓も車内もおだやかでのんびりしている。 今回のビールのお供は、とろたく巻き。うまい。大正解。 この至福の時間だけでも、出かけてよかったと思う。 家に入ると、雛人形が飾ってあった。 元々は豪華絢爛七段飾りだったが、両親が地方移住する際にお内裏様とお雛様だけとなった。 私の初節句のために祖父母が用意してくれたもので、人形の街として有名な埼玉の岩槻まで買いに行ってくれたそうだ。生まれたばかりの私に注がれた

百点満点ではなくとも

湖畔に位置するこの町は、風がよく吹く。二つの湖に囲まれた大地にはサツマイモ畑が広がり、畑の砂がサラサラと風にさらわれていく。数日前に洗車したばかりのはずが、もう汚れてしまっている。 ここへやって来てもうすぐ三年半。長いような、短いような、そんな時間だった。家から少し歩けば夕日に照らされた湖岸へとたどり着き、誰もいない風景を独り占めできるのはささやかな贅沢だ。 しかし、来世でもこの町に住みたいですか?と聞かれれば恐らく断るだろう。 理由はこの町が嫌いだからでは決してない。

ランゲルハンス島で水兵リーベとボストンティーパーティー

日々、ああ私は物語を買い、情報を見に行き、口コミを食べていると思う。 情報や口コミというのは、いわゆる前評判だ。何処の誰が残したか分からない文字情報を、自分で思っている以上に信頼している。多分私がめんどくさがりだから、わざわざ書く労力を使いたくなるほど美味しいのか…!わざわざ人に勧めたくなるほど素敵なのか…!と思うのかもしれない。 しかし物語を買っている、というのは、そのまま「物語」なのだ。別の言葉で言い換えると、哲学、歴史、エピソード、生い立ち、職人技、地理的な事情、姿

タイタニックだけが、帰ってきた。

「タイタニック再上映!」 そのニュースは、私の感情を大きく揺さぶった。 一緒に観た人のこと、待ち合わせた場所、街の賑わい、着ていたワンピースの柄。 25年前の思い出があふれるように押し寄せてくる。 あの頃の自分が、私は、今もとても好きだ。 映画「タイタニック」が、公開25周年を記念してリバイバル上映されている。 大ヒットした当時は私も見事にはまり、四回も観に行った。 一回目は、学校帰りに友人と。 恋愛経験なんてほとんどない私たちは、これでもかとドラマチックに描かれるラブ