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何度でも読み返したいnote3

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。こちらの3も記事が100本集まったので、4を作りました。
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#日記

ジムの評判/渡辺茂夫さん。10月5日の日記

昨夜は23:45にRomiに音楽かけてもらって寝る。何度も目が覚め6:50に起きる。Romiも起きて「おはよう、ロミ。杉並区は今日、曇り一時雨みたいだよ。今日もいい日でありますように」とのこと。 コーヒーを飲みながらネット。パルの真だら西京漬けを焼いて朝ご飯。『舞いあがれ!』を観る。五島列島、きれい。いつか行きたいな。車がないと行けないとこだから、行くとしたらツアーになっちゃうかな。。。 ピアノを弾く。またハノン1~20番、小犬のワルツ、ワルツ10番。10番は変調の部分を

看護師だった母のこと

8月になり、母の何度目かの命日が訪れる。 大人になるまで、私は母が好きではなかった。 はっきり嫌いとまではいかなくても、自分の母と周りを比べて子供の頃からコンプレックスを感じていた。 母は看護師だった。 私が幼い頃から両親は共働きで、私と姉は当時でいう鍵っ子だったので学校から帰ってくると夜までひとりで留守番していた。 年が離れた姉は中学で部活をやっていたから、帰宅は母より遅かった。 留守番は苦ではなかったけれど、母が仕事の日に友達と遊びに行けないのが嫌だった。 ふだん

好かれようとし過ぎてた

異動まで、あと1週間。人生の終わりが残した思いに寄り添う仕事を離れて、来月から、新たな門出から続く長い旅路に花を添える職務に就く。さようならではなく、おめでとうと言える仕事に、少しだけ、心が躍っている。 あと少し、今の部署に在籍するものの、気持ちはすでに新しい部署に赴いている。幽体離脱で、朝礼に参加してる。あとは、現部署から、跡を濁さず、ライトにポップに、姿を消すだけだ。 ということで、金輪際、旧部署の人間に、どう思われても構わない。今まで被っていた猫をキレイサッパリ脱ぎ

夜涼みの缶ビール

考えごとをしていて、いつもどおり散歩へ出た。療養期間が明けて久しぶりに吸い込んだ夏の空気は、早くもどこか秋めいている。 季節ごとにタイトルを付けはじめて一年。この時期はどんな言葉があるのだろうと思って少し調べたら、良さげなのが見つかった。よすずみ。二文字で「やりょう」でもいいらしいが、夜道の足取りに関わるので夜涼みの散文とする。 整理、という言葉がある。 仕事をしているとよく出くわす。記録の曖昧な情報、数字の合わない根拠、部署間での意見の対立。少々都合の悪いことに一旦の

ノルウェイの森、葡萄の実

「東京なのに電話番号の市外局番が03じゃないんだね、って地元にいる彼女に笑われたよ」 私達が入学した東京のはずれの大学。そこから数駅のアパートにその人は住んでいた。 そこそこメジャーな大学の、まあまあマイナーで受かりやすそうな独文科。特に男子はたまたま合格したのがこの学科でした、みたいな人がクラスの大半だった。そして彼らの殆どは地方出身者だったため学校の近くで一人暮らしをしており、時間はあるが金はない同士でしょっちゅう誰かの家に集まって遊んでいた。なので私のキャンパスライ

長月に 揺れる 風鈴のこと

まだ残暑の厳しい九月のはじめ。 灼けるアスファルトの上を 先へ先へと急ぎ歩くなか、 信号待ちに 足を止めたときのことでした。 凛、、凛、、、 どこからか、懐かしい、涼やかな音がします。 日傘を下ろして、あたりを見廻すと、 道沿いの家の軒先に 綺麗な風鈴が一鈴、 下げられているのが見えました。 海月のように丸く 下の方だけ少しすぼめた外見は 縁に向かって青いグラデーションの入った 薄手のガラス作り。 そこへ白い糸が通って、 淡い絵をしたためた短冊が キュッと、結ってありま

家を出るダウン症の弟にはなむけをしたら、えらいことになった(総集編)

ゾッとした。 この二年間で、ばあちゃんは認知症になって施設で暮らしはじめ、車いすに乗っている母は心内膜炎で死にかけ、わたしは会社をやめて作家業についた。 ダウン症で4歳下の弟だけは、実家で暮らし、福祉作業所へ通って手仕事をし、マイペースを貫いていた。 ふと立ち止まって、ゾッとしたのは。 この先、わたしや母の身になにかあれば、弟がひとりぼっちになるということ。 わたしですら、ばあちゃんの介護がはじまったとき、役所で福祉の手続きをしたらあまりに面倒でややこしく、泡吹いて倒

「俺たちの本当の戦い」はもう始まっている

「俺たちの本当の戦いはこれからだ!」 みたいな、ジャンプ漫画の唐突な打ち切られ感満載のセリフ。 セットで 「〇〇先生の次回作にご期待下さい!」 これ実際に言っている人が結構いる気がする。 主に、現状に満足していない人。 子供の頃思い描いていた未来と現実が大きく乖離していて、それを認めたくない人。 うちの夫もそうでした。 ちなみに今は全く言わなくなりましたが、昔彼が鬱まみれになっていた頃、よく言っていました。 なにかにつけて「俺の人生、俺がまともに働き始めてから始まるん

一歩踏み出すのは、

ずっと、エスカレーターが苦手だった。いや、今でもちょっと苦手かも。小さい頃、お母さんとデパートに行って、屋上の駐車場から降りる時、恐らく初めてエスカレーターというものに乗った。お母さんは妹の手を引いて一緒に乗って、後ろをひとりで歩いていたわたしは、エスカレーターに乗れなかった。タイミングがわからず、足を出しては引いて、そうしてるうちに長靴が脱げて、わたしの長靴だけが下で待つお母さんのところへ行く。わたしはより一層焦るけれど、やっぱりエスカレーターに乗れなくて、悲しかった。通り

15歳の友達

先日、郵便ポストを開けると見慣れないキレイな文字のハガキが届いていた。 うっすらラベンダーの香りがしていたので、差出人の見当はついた。 15歳の友達だ。 「残暑お見舞い申し上げます。厳しい暑さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?」 あはは。いつのまに、こんなキレイな文字で、私を気遣うような文章を書くようになったのだ……。 彼女と初めて友達になったのは、母ちゃんのお腹の中3か月目。 以来15年とちょっと、私にさまざまな喜びと気づきを与えてくれる大切な友達である。

月経に伏して

トマトピューレをシンクにひっくり返し、洗剤を入れずに洗濯機を回し、単三でなく単四電池を買って帰って来てしまった日なんかにふと考えるのは、自分がこれまで普通に生きてこられたのはただの偶然の重なりで本当ならいつ気が狂ってしまうとも知れないし、そうでなくても既に狂ってしまった側の人間から不運にも命を強奪される可能性だってあるのだということ。自分がこの歳になるまでなんの事故にも犯罪にも巻き込まれず、また自殺もせず、本当の意味での生存の迫害を受ける機会が一度もなかったというのはひとつの

美しい名前をつけること

いつか愛する人の子に凛とした美しい名前を与える。 例えばそんな未来のたったひとつの行為のために、今僕は泣きながら勉強しているのだと思うことがある。 アメリカに来て様々な人に会った。 当たり前のことだが出会った人間皆に彼らだけの名前がある。 以前よりもスペルやアクセントが全くわからないということは少なくなったとはいえ、ここは人種と民族のるつぼであって、未だに聴き直したり書いてもらったりすることも多い。 日本にいるときもそうだったが、名前を反芻してもらうことには相手の領域に一歩

夕方の散歩にて

昨日、夕飯の前に散歩をしました。 持ちものは携帯と鍵と、スマホだけ。 いつもならバッグに、本に、財布にとなにかしら持って出かけるので、 身軽に歩けるのが散歩のいいところ。 散歩に一人で出かけるのも随分久しぶりな気がします。 普段、私は休日になると、ほぼほぼルーティンのように時間を過ごします。 スーパーで買い物をして、作り置きを作って、 書きものをして、英語の勉強をして、ヨガや筋トレをして、掃除をして。 だから何も考えずに、ぼーっと歩いて、近所を歩くことで、リラックスできる

思い詰めた友人の悩みを最後まで聞いてやる事ができなかった話

友人が非常に深刻な声で、相談したい事があるので会えないかと電話をしてきたので、 なりふり構わず即待ち合わせ場所の駅前へ向かう事となった。 何かイベントでもあるのか、道は駅に向かう人々で大変混雑し思うように進めなかった。 前方の待ち合わせ場所を見ると、既に到着していた友人と目が合った。 私の目にはいつもと同じ友人が映ったが、友人の目にはいつもの私ではなく女装したオカッパのダウンタウンの浜田が映っていた。 散髪に失敗したのだ。 しかも、花粉症で目が充血していた為、唯ならぬ迫力