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noteの世界は、20年前のインターネットのやさしさに似ている

120日書いたら、もうやめようかな。

もう、やめてもいいかな。

noteの連続更新が、100日を越えて、110日を越えて
なんだか、ずっしりと重たくのしかかってくるような感覚があった。

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不思議だよね。
数字自体は、少し軽くなっていくような気もするのに。
90日から10日を目指す10日と、
110日から120日を目指す10日は、
わたしにとって、ぜんぜん違うものだった。

そんな風に言葉にしてみると、
わたしは毎日、進化とか退化であっても、「変化」してゆくのだから
当然といえば、当然かもしれない。
神様になれたらよかったのに。
神様にも、ヒーローにもなれなかった。


120日を越える頃、新しく書いた小説を、noteの公式マガジン「#小説_記事まとめ」でピックアップしてもらった。

わたしの個である感覚や状況で、物事を語りきれなくなったので、逃げるように書いた小説だった。

Twitterでよろこびのツイートをしたら、「おめでとう」と言ってくれたのは、
noteで知り合った”仲間”だった。

飯尾さんは、わたしがnoteの連続更新を始めた頃に出会った。
わたしの記事に「いいね」をくれて、プロフィールを拝見したところ「音楽家」で「静岡出身」という共通項もあったので、フォローさせてもらった。
飯尾さんは、人柄がにじみ出るような、やさしい文章を書く。
ひとつひとつを、丁寧に紐解いてゆく様子が、いつもだってきれい。
(飯尾 早紀さんのnote)


カラエさんとは、 #磨け感情解像度 のおびコレを書いていただいたことで知り合った。

カラエさんのおびコレを読んで、「あああああ伝わった…書いてよかった」と思った感動を、わたしはずっと抱えて生きていきたい。

(カラエさんのnoteから引用)
まつながさんや、まつながさんのお母様のように生きるのは大変なことも多いのかもしれませんが、そういう方々が増えていくと、多様性が生き残っていく可能性はうんと広くなっていくと私は思います。

カラエさんの文章は、そばにいるような、隣から同じ景色を見せてくれて、語りかけてくれるような身近さを感じている。
勝手に、”親しい人”になれたような、そういう距離感がとっても好き。


わたしが勝手に記事を紹介したハスつかさんが、「嬉しかった」とご自身のnoteで語ってくれたのも、この時期だったと思う。

嬉しかった、と言っていただけて、わたしも嬉しい。
こんなしあわせな連鎖が、あるのだろうか。



この記事は、「おじさんの歌がすばらしいことを、わたしが無視できなかったので書いた」という気持ちだったんだけど、
山作戰を知る人にも、知らない人にもたくさん支持されて嬉しかった。

山作戰というミュージシャンをおじさん呼ばわりして、
最近はライブにも顔を出せていない薄情者の文章だったのに、noteでもたくさんご支援いただいたうえ、
TwitterやSNSで、たくさんの山作員(山作戰を応援するみなさま)から、「いいね」をしていただいたうえ、拡散もしてもらえた。
ひとえに、おじさんの歌が素晴らしいからということに尽きるけれど、わたしの「おじさんへの不格好な愛」を評価してもらえたことに、わたし自身の背中を押してもらえた。
おじさんのまわりには、本当におじさんを支援してくれる仲間がたくさんいて、それがわたしもすごく嬉しくて、ただただ純粋に、眩しい。かっこいいよ。



そんな風に、最近は「自分が発信したもの」起因で、沢山の人と触れ合う機会をいただいた。
めちゃくちゃ嬉しい。
わたしは部屋でひとり、毎日記事を、それも好きなことだけ書いているだけなのに。

好きなことだけ書くと決めたから、評価をもらうことは根本的な目的ではない。
愛されるための記事じゃなくて、「愛している」という記事を書きたかった。
それは、孤独な戦いだと思っていたし、
どれだけ孤独でも、続けてゆく覚悟だった。

ひとりでも、120日間頑張ってこられるわたしでありたかった。

結果わたしは、ここまでの過程をたくさんの人に支えられた。
「いいね」に「いいこ」された気持ち、っていう
この言葉そのものが、わたしの気持ちをストレートに表現できたと思う。


ひとりだったらここまで頑張れなかった。
と、言い切ることはできないけど、これは言い切らせて欲しい。
ひとりだと書けない記事や、見えない景色がたくさんあった。
わたしとわたしの記事に、意義や意味と、自信を与えてもらった。


ここ最近、わたしの背中をそっと押してくれたこのコミュニティ、
noteや、山作員のみなさんのあたたかさって、20年くらい前のインターネットの世界に似ている。

わたしは現在32歳で、中学2年(13歳か14歳)のときに、自分のノートパソコンを買ってもらった。
ISDN、電話線のインターネットの世界だった。

当時、BIGLOBEに加入していて、
わたしはよく、BIGLOBEのチャットページに遊びに行っていた。
いろいろ部屋があって、誰かがいたり、いなかったりした。
そこは、BIGLOBEの会員だったら誰でも遊びに来られて、適当なハンドルネームで適当な話をした。
身近な友達には言えないことだったり、
身近な人にはわざわざ話さない日々の出来事だったり
10代のわたしにとって、30代のおじさんと話せる機会はすごく稀だった。
おもしろかった。

別に大したコンテンツがなくても、みんなHTMLを打ち込んで自分でホームページを作って、
趣味についてのページを作ったり、日記を書いたり、BBSと呼ばれる掲示板で交流したり、
お互いのページにリンクを貼って行き来したりしていた。

「それ、いいね」
「そんなおもしろいことがあるの?」
「最近来てなかったけど大丈夫? げんき?」

メールは連絡手段として普及していたけれど、
だいたい、掲示板やチャットでやり取りしているので、個人的な連絡先は知らない。

ただ、
好きなことを話して
新しい世界を見せてもらって
いいことがあると「いいね」と褒めてもらえた。

「顔が見えないコミュニケーションだから」とか、ごちゃごちゃ言われる、その前の時代だったと思う。
mixiが流行するよりも、少し前くらいか、流行し始めた頃だったかもしれない。

自分の意見を述べる、というよりも
他者と気軽に関わる、ということに比重が置かれていたような気がする。

もちろん、好きなことの発信はみんなしていたんだけど
「こんなのが好き!」
「へえ、いいね」
「そーゆーのもあるんだ」
というような、やり取りだった。


30代になって、あの頃みたいな気持ちで、インターネットのやさしさに触れられて、嬉しい。

インターネットの世界はたのしい。
知らない人
遠くの人
外を歩いているだけだと、出会えない人に出会える。
新しい世界を教えてもらえる。


このしあわせに改めて触れられたわたしは、
noteで、もう少しインターネットの海を彷徨ってみよう、と思って
今日も、記事を書くことにした。

きっと明日も、書くと思う。


photo  amano yasuhiroTwitternote

model 優衣奈Instagram


勝手に人様のSNSやnoteページへのリンクをたくさん貼りました…
御本人から「下げてください!」と言われたら速攻下げますので、遠慮なくお申し付けください!
いつも本当にありがとうございます。

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