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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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2020年12月の記事一覧

美容師さんは、魔法使いだと思う。

美容院が嫌いだった。 そんなわたしがここ数年、「2ヶ月に1度は美容院に行く暮らしをしている」と聞いたら、20代中頃のわたしは目を丸くすると思う。 わたしは髪の量がとにかく多くて、美容院での要望は「量を減らしてもらいたい」が第一になる。 でも、ものすごい癖っ毛で、量を減らしすぎると跳ねてしまう。 そもそも、街の美容院にふらっと行くと半分くらいの確率で断られて気持ちが折れてしまっていたし(先に電話しないのが悪い)、要望を優先した結果似合わない髪型になってしまったり、美容院に行

「元気そうで、よかったよ」

Sちゃん、という友達がいる。 いまではしれっと「友達」だと思っているけど、Sちゃんのことは「大学の先輩の友達」と認識していた。 詳細は覚えていないけれど、確かにそういう出会いだった。 20歳か21歳くらいの頃、新宿で一緒にライブをやって 23歳か24歳のころ、これまた別の共通の先輩を通して、一緒にスタジオに入ったこともあった。 これくらいの年齢のときは、今より多少”上下関係”を意識していたし、いまよりうんとトガっていた。 Sちゃんも、今より少し近寄りがたい雰囲気があって

なんと健全な痛みだろう

(ああ、そうだった) 明滅するひかりを追いながら、わたしは思い出している。 2020年12月28日 町田プレイハウスの年末イベント、”渾身の一曲”に招かれていた。 プレイハウスに縁のあるミュージシャンが、タイトル通り”渾身の一曲”を披露する、という忘年会イベント。 今年は、無観客の配信ライブで、出演者の約半分も事前収録での参戦となり、会場が密にならないよう、気遣われていた。 去年よりずいぶん人が少ないのに、似通ったあたたかさがあるのは、なぜだろう。 「久し振りだね」と、

日常に溶け込んだものを

朝、ねぼけまなこでキッチンに立つ。 作り置きのコーヒーは切らしている。 でも、コーヒーを飲みたい。すぐに飲みたい。 わたしはお湯を沸かしながら、インスタントコーヒーの瓶を手に取る。 少量のお湯はすぐに沸いて、粉は驚くくらいにすぐに溶ける。混ぜながら牛乳を入れる。 そうしてわたしは、気がつく。 あれが、ない。 いつも足元に置いている、あれがない。 どちらもない。 辺りを見回したけど、やっぱりない。 そういえば昨日、同居人がこのあたりの掃除をしていた。 掃除は基本的にわたし

神様のこども

ときどき、神様のことを思い出す。 そういうときは、だいたい音への自信を失ったときで わたしはすがるように、宝箱の奥底に眠る言葉に触れる。 神様とは、ギターの神様のことで、わたしに音楽の多くを教えてくれた人だった。 音楽の多くと、 バンドに於いて大切なことの大半を、わたしはこの人に教えてもらった。 バンドのバの字もわからないわたしだったけど、神様の真似をしてコードを刻むと、わたしはいっちょ前のバンドマンみたいに、うまく弾けるようになった気がした。 「ギターソロを弾いてい

「タイムカプセル」、そして「思い出」

座る場所を、探していたのだと思う。 それは「どうぞ」と、”用意された”席で、誰かに与えられるものだった。 誰かに、与えて欲しかった。 そこに座っていていいよ、と言われたかった。 あなただけの席、わたしだけの席。 わたしは、誰かに必要とされたかった。 わたしは、誰かに裏切られたわけではない。 でも、ずっと同じ席に座り続けることは、できなかった。 環境も変われば、あなたもわたしも変わった。 居心地が良い、と信じたーーー信じたかったその椅子は、気づいたら堅く、凍りついていた。

魔法が消えた日

「今日はもう書けない」と思う夜は、突然訪れる。 心身のバランスを崩している日、というときもある。 そのときは「書くことがない」というよりも、「書く体力がない」場合が多くて、それでも心が「書きたい」とか「書かなきゃ」に向かっているから、苦しいけれど頑張り続けてきた。 「なぜ今日?」という日に、不慮の落とし穴にハマったみたいに、ダメになることもある。 元気なのに。 今日は当社比で早起きをして、日中に家事をすませて 元気よくダイナマイト(SMAP。子供のときによく聞いた)を流

「良い人」になりたい人生だった。

オンラインを生きるわたしが、SNSで気をつけていること。 それは「良い人であろうとすること」だった。 オフラインより、オンラインで人と接する機会が増えてから、もう半年以上経つ。(無職歴8ヶ月) 「実際に会って話せばなんとかなる」みたいな信条で生きてきたわたしだけれど 「会って、話す」ができない今日この頃。 わたしはSNSの発信で、細心の注意を払っている。 「実際に会ってしゃべるまつなが」を知っている人が、わたしのSNSの発信を見たら、どう思うだろうか。 「まつながらしさ

なかったことにしちゃえばいい

なかったことにしちゃえばいい そんなことを、うたっていた人がいた。 なかったことには、ならないよ。と、思っていた。 いまでも、思っている。 吐き出された言葉は、決して戻ってこない。 薄れてゆく記憶の終着点は”なかったこと”になるのだろうか。 わたしはいまも、考えている。 それでも、いまは いまだけは “なかったこと”への、帳尻合わせ、しちゃえ! * 毎日noteで載せている「ピアノ日記」まとめ動画。 思い立って始めてから、辞める理由がなくて継続している。 再生回数

美味しくなあれ、と念じること

やたらと美味しいコーヒーを淹れる友達がいる。 アーソンとは、ライブハウスで知り合って、もうずいぶん経つ。 バンドをやっていたはずだったのに、気づいたら弾き語りのミュージシャンになっていて、 気づいたら、アーソンがコーヒーを提供するイベント「アーソン珈琲店」を開催していた。 弾き語りを始めたばかりのわたしのことを、いちばん気にかけて、うたのことを教えてくれたのもアーソンだった。 いくつ年上なのかは毎度忘れてしまうけど、わたしにとって親しい友人であり、兄貴分だ。 そして、ア

満たされる部屋

わたしはお酒が飲めない。 「全然」と言っていいくらい飲めない。 わたしが生まれ育った家は、4人のおとな(両親、祖父母)がいたけれど、誰もお酒を飲まなかった。 田舎で、車が主な移動手段だったこともあるけれど、数回だけ見た「ビールグラスを持つ父親」の顔は、どの記憶でも信じられないくらい真っ赤になっていた。 お中元やお歳暮で届くビールは、知らないうちにどこかの家に旅立っていく。 冷蔵庫にビールがある暮らし、というのは、都市伝説ではないか。と思ってしまうくらい、わたしには縁遠いもの

インタビューの極意を学ぶと、人見知りを解消できる気がする →ライブハウスで試してみて!

言葉って、なんだろう。 日常に於いて、”日本語”で最低限の会話ができるくらいは、おしゃべりができる。 “エッセイ”と、自分で言い切れば、こうしてnoteで記事も書ける。 それでもわたしは、”日本語”こそ学んできたけれど 「文章を書くことそのもの」や、文章を用いて「伝える方法」を、を学んだことはない。 200日以上、毎日noteを書き続けてきたけれど そうだ、わたしは誰かに「書くこと」、文章で「伝えること」を学んでみたい。 文章寺子屋「ぶんしょう舎」が、わたしを呼んでい

まつながは、「勇者のよろこびのポーズ」を覚えた!

最近、同居人がドラクエ11をやっている。 わたし自身は、ドラクエをやったことなくて (兄がFF派だった) はじめてのドラクエを、わくわくしながら見守っている。 ドラクエをやっている後ろ姿を、ずっと見ているわけではないのだけれど 重要なシーンは一緒に見せてもらったり、 見られなかった部分については、あとで補足してもらったりで 大筋はだいぶ理解できた。 ドラクエ11、壮大過ぎるストーリーだね……!!! いままでドラクエのこと、「食わず嫌い」だったけど ドラクエっておもしろ

空っぽの引き出し

書けないなあ…… そう思って、わたしは10分と少し、パソコンの前に座っている。 準備は万端だった。 朝のうちに、簡単な家事を終え、冷蔵庫のコーヒーをあたためた。 煙草を吸っているあいだに、コーヒーのあとに飲む用のハーブティーも淹れた。 背筋を伸ばしてくれる北海道産のアロマ(北海道の友達が贈ってくれた、いま一番のお気に入り)を炊いた。 家を出る前に、記事を書かなきゃ、という日がある。 人と会う約束があって、帰宅が遅くなる、または帰宅時にバテていることが想定されている日。 そ