なんと健全な痛みだろう
(ああ、そうだった)
明滅するひかりを追いながら、わたしは思い出している。
2020年12月28日
町田プレイハウスの年末イベント、”渾身の一曲”に招かれていた。
プレイハウスに縁のあるミュージシャンが、タイトル通り”渾身の一曲”を披露する、という忘年会イベント。
今年は、無観客の配信ライブで、出演者の約半分も事前収録での参戦となり、会場が密にならないよう、気遣われていた。
去年よりずいぶん人が少ないのに、似通ったあたたかさがあるのは、なぜだろう。
「久し振りだね」と、わたしは手を振る。
わたしにとっては、約10ヶ月振りのライブ。
今年は友達のライブにもほとんど行けなかったから、ライブハウス独特のあたたかく懐かしい空気を、ゆっくりと吸い込む。
そして、ひかりを見つめる。
ステージに立つ、そのひかり。
もうすぐ、わたしの出番だ。
*
弾き語りをはじめたのは、ここ数年の出来事だ。
それまではピアノばっかり弾いていて、
音楽の授業ですら口パクの、”歌嫌い”だった。
それでも、自分のバンド活動を休止して、ひとりぼっちになったわたしは、歌うことにした。
このときの感傷や感情を、同じ形で保持することはできなかった。
でも、輪郭はハッキリ残っている。
コンプレックスだった。
弾き語りでもライブができるボーカリストの後ろで、演奏すること。
わたしは、ボーカリストがいないと、何もできない無力な鍵盤屋だったこと。
それがずっと、苦しかった。
そのことを、覚えている。
いまとなっては、その痛みの詳細を思い出せない。
だけど、「もうすぐ自分の番」が来ることに、わたしは気がつく。
きっとわたしは、「自分の番」が欲しかったんだ。
あのときの感傷が、ふつふつと沸き上がってくる。
10代とか20代の前半から歌を続けてきた人に、わたしはこれから一生追いつけないかもしれない。
歌が好きで、歌ってきた人の眩しさに、焼き尽くされてゆく。
だから、歌おうと思った。
忘年会とか、オープンマイクみたいな「会場にいる人で歌える人はどうぞ」みたいなイベントで、わたしはいつも、名前を呼ばれなかった。
ボーカリストがいるときだけ、わたしはバンドの名前で呼ばれていた。
ひとりじゃ何もできなかった。
それが嫌だった。
「ステージに立っている人は、選ばれた人じゃない。選んだ人なんだよ」
自分自身にそう言い聞かせて、ステージで吐き出した言葉を、わたしは今まですっかり忘れていた。
そうだ、そうだったんだ。
「下手くそでも選んだ人」、それがわたしの掲げた道標だった。
*
「まわりの共演者さんがすごすぎて、穴があったら入りたい」と弟は言った。
気持ちはよくわかる。
かつてのわたしなら、深く頷いて、一緒に穴を探していたと思う。
いまのわたしは、深く頷きながら考えている。
思い出している。
名前を呼ばれなかったあの頃よりも、ずっといい。
自分の下手さに苦しむなんて、なんと健全な痛みだろう。
どれだけ優れた芸術家だって、時には自分の未熟さや至らなさに苦しむものだ。とわたしは思っている。
未熟なら、努力をすればいい。悔しさは、進化への切望だ。
名前を呼んでもらえる。
この先はもしかしたら呼んでもらえないかもしれないけど、それでも「呼ばれたら駆けつけられるわたしでいられること」が、わたしにとっては美しい。
そういう生き方を、したかった。
世界で一番になれなくたっていい。
言い訳のようにそう思う。
それでも、何かが輝きますように。
わたしはまだ、諦めていない。
弾き語り、という行為には、多くの情報がこめられている。
曲、歌詞、声、歌、演奏、おしゃべり、髪型や服装だってそうかもしれない。
そしてそのひとつずつがまた、細分化されてゆく。
そのどこか、奥底で
ささやかでもいい。
どうか、わたしにもきらめきを
「ここなら負けない」って、思えるような
それは音かもしれないし、言葉かもしれないけれど
なにか、強い輝きを
わたしは、わたしなりの「世界でいちばん」を探し続けてゆきたい。
*
わたしの音は、旅だった。
物語の、続きのページをめくり続けるように、「次週へ続く」みたいに
そうやって、紡いでゆこうと思ったんだ。
音楽の神様に選ばれなくても、ステージを選んだわたしの
これは小さな希望を紡ぐ、英雄譚だ。
ダイジェスト後編の途中に、わたしいます(・∀・)
アーカイブ配信は2021年1月4日(23:59まで) まだチケット買えます!
この日のライブの、裏話?的おしゃべり
【photo】 amano yasuhiro
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