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なかったことにしちゃえばいい

なかったことにしちゃえばいい

そんなことを、うたっていた人がいた。

なかったことには、ならないよ。と、思っていた。
いまでも、思っている。

吐き出された言葉は、決して戻ってこない。
薄れてゆく記憶の終着点は”なかったこと”になるのだろうか。
わたしはいまも、考えている。

それでも、いまは
いまだけは
“なかったこと”への、帳尻合わせ、しちゃえ!



毎日noteで載せている「ピアノ日記」まとめ動画。
思い立って始めてから、辞める理由がなくて継続している。
再生回数が増えたり、「YouTubeも頑張ってるんだ!」と自分にかける暗示が、わたしの魂をすこやかに導いてくれている、と思っている。

月のまとめとして出す動画は、4本。
10日ごとに区切った3本と、それらをまとめた1本。

1ヶ月は4週間あるから、毎週1本ずつ載せていけば、翌月末にすべてのまとめ動画を公開することができる。
というのが、最初のわたしの算段だった。

それなのに

週に1度って、どうして面倒になっちゃうんだろう。
どうしてわたしは「月曜日にやる」とか、ルールを決めるのが苦手なんだろう。
それだったら「毎日やる」のほうが、すこやかに過ごせてしまうのはなぜだろう。
ふしぎだなあ。おかしいなあ。

なんて思っていたら、10月のまとめを出すのがすっかり遅くなって、12月も中旬になってしまった。
時の流れが早すぎる。
やっちまった、とも思うし
それでも、やれてよかった、と思う自分がいる。

ときどきいまでも、思い出す。
少しうまくいかなくて、投げ出してしまっていた自分のこと。
「毎日やろう」って思っていたことが、一日だけできなくて、「じゃあもういいや」と半泣きで投げ出していた、幼いわたし。

「やっちまった」だけが残っていた、あのころとは違う。
「それでも、やれてよかった」というすこやかさが、いまのわたしを守ってくれている。



それじゃあさ、と少しおとなになったわたしは言う。

やっちまったと思うなら、いまからリカバリしちゃえよくない?と、
頭の中の、陽気なわたしがささやく。

10日ごとにまとめた動画の編集にかかる時間は、1時間弱。
それから更新の作業まで含めても、2時間もあれば絶対に終わる。
いまのわたしの暮らしなら、その気にさえなれば、明日も明後日も2時間を捻出することは、難しくない。
毎日続けて動画を載せれば、12月の末までに、11月分の動画を全部載せられちゃうんじゃない?

気づいたときには、脳内のわたしが「あはは!」「たしかに!」と笑っていた。

そうして、「なかったことにしちゃえばいい」と、つぶやいた。



薄れゆく記憶の終着点が”なかったこと”になるかは、いまでもわからない。
動画の編集をサボってしまったわたし、という事実も、どこかに残り続けるとは思う。

でも、「やっちまった過去」は戻ってこない。
過去のわたしを責め立てるのは、いまじゃなくていい。

いまは少しだけ手を動かして、
無邪気な前向きさで、「なかったことにしちゃえばいい」なんて歌いながら
笑って、リカバリしてゆく。

これがきっと、わたしが「なりたかった大人像」のひとつなんじゃないかなあ。
と、陽気なわたしが、笑ってつぶやいた。




(そんなわたしが最近編集した動画たち)





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