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日常に溶け込んだものを

朝、ねぼけまなこでキッチンに立つ。

作り置きのコーヒーは切らしている。
でも、コーヒーを飲みたい。すぐに飲みたい。
わたしはお湯を沸かしながら、インスタントコーヒーの瓶を手に取る。
少量のお湯はすぐに沸いて、粉は驚くくらいにすぐに溶ける。混ぜながら牛乳を入れる。

そうしてわたしは、気がつく。
あれが、ない。

いつも足元に置いている、あれがない。
どちらもない。
辺りを見回したけど、やっぱりない。
そういえば昨日、同居人がこのあたりの掃除をしていた。
掃除は基本的にわたしの担当ではあるけれど、同居人の中で「キッチン周りは自分の領域」という意識があるらしく、キッチンだけはたまに掃除をしている。

どこかにしまわれてしまったのか、
あるいは
捨てられてしまったのだろうか。だいぶ汚れていた。
わたしの物を勝手に捨てるような人ではないとわかりながらも、最悪の事態が頭をよぎった。
そして「仕方ない」と納得させる。
同居人の領域に、ずっと邪魔になるようなものを置いていたわたしが悪い。

同居人が起きたら、聞いてみよう。
探すことを諦めて、わたしはコーヒーのマグカップを握る。
今日のコーヒーは、少し薄い。

「ねえ、あれがないんだけど」

わたしは、キッチンの床を指さしながら、同居人に尋ねた。
「もしかして、捨てちゃった…?」と、おそるおそる声を上げる。
捨てていないであろう、と思いながらも、人はこういうとき、最悪の事態を想定して衝撃に備えるものだ。

「ああ、忘れてた!」と同居人は言い、バスルームに駆け込んだ。
「汚れていたから、昨日洗ったんだった」

「わあ!」と声を上げながら、わたしはそれを受け取る。
足元に置くものだし、汚れていてもいいや、と何年も放置していたものだったけど、こういうサプライズは嬉しい。

「捨てたりなんかしないよ」という声が、わたしの頭上で明るく響いていることを確認しながら、わたしは受け取ったものを、足元に設置した。

ピンクの板に、そっと乗る。
足の半分くらいを乗せて、背筋を伸ばす。
ふくらはぎ、腰、背中まで伸びていることを確認して、おしりにぎゅっと力を入れる。
わたしは、わたしがなんだか正しい人間になれているような感覚を、しっかりと確かめる。

「そう、これこれ」
わたしは、ぐんと伸びをする。

長年キッチンの足元に置いているのは、「乗るだけで痩せる」という、ピンクの小さな板だった。
そりゃあ、本当に痩せれば嬉しいけれど、レビューにあった「体が伸びる感じがして良い」という言葉に後押しされて、購入した。

この板に乗ると、体が伸びる。
ぐいっと伸びる。
朝、眠たい体を乗せると、少しずつ目覚めてゆくのを感じる。

それでも身体が重たいときは、足の形をした板にも乗る。
足つぼマッサージ用の板。

そうしてわたしは、目覚めを迎える。

「うん、やっぱりこれだよ」と、わたしはひとり頷いた。

なくなってしまっても仕方がない、と諦めた。
別にすごく困るわけではない、と思った。

でも、改めてピンクの板に乗ったときの安心感を、わたしはきっと忘れない。
ほんとうに小さな、ただの板。

「大切なものって、なくならないと気づかないんだわ」なんて、大真面目に思ってしまったわたしのことも、忘れない。
好きなものの数を、きちんとかぞえながら生きていこう、と思ったけれど、当たり前に日常に溶け込みすぎてしまったものは、”好き”とか”大切”のカウントから外れてゆく。

わたしは、薄いコーヒーを伸びながら、いつも通り少しだけ伸びた体で
もう一度、しっかりと視野を広げて大切なものを数えてゆこう、と誓った。




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