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「良い人」になりたい人生だった。

オンラインを生きるわたしが、SNSで気をつけていること。
それは「良い人であろうとすること」だった。

オフラインより、オンラインで人と接する機会が増えてから、もう半年以上経つ。(無職歴8ヶ月)

「実際に会って話せばなんとかなる」みたいな信条で生きてきたわたしだけれど
「会って、話す」ができない今日この頃。
わたしはSNSの発信で、細心の注意を払っている。

「実際に会ってしゃべるまつなが」を知っている人が、わたしのSNSの発信を見たら、どう思うだろうか。
「まつながらしさ」の片鱗を感じ取ってもらえたら嬉しいけど、「ちょっと気取ってんじゃないの?」と思ってもらえたら、もっと嬉しいかもしれない。

実際のまつながという人間は、ものすごく口が悪い。
口の悪さのすべてを、網羅している。
言葉遣いそのものは反抗期の男子中学生みたいだし、口癖は「やばい」「まじか」なので、言語解像度がかなり低い。

この口の悪さは「顔を見なければなんとかならない」ことを、わたしは理解している。
SNSの、限られた語数の中で、口の悪さはただの「悪さ」にしかならない。
少なくともわたしは、口の悪さから状況を好転させる術を持っていない。

だから、SNSでの発言には注意している。
そもそも、「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」がわたしの人生のモットーなので
(スガシカオさんの「午後のパレード」という曲の歌詞です)
「いやまあ、なんとかなるっしょ」という気持ちを限られた語数で伝えるには、「ハッピー野郎」であることが、わたしにとってはいちばん手っ取り早かった。
だから、どんな出来事もハッピーに切り開いたし、逆にハッピーな表現ができないものは、発信してこなかった。

わたしは、良い人でありたかった。
わたしに触れた人が「なんかいいかもしれない」と思ってもらえる言葉を、届けなかった。

わたしの言葉で、「こんなちっぽけでもハッピーになれるのか」と思ってもらった結果、「なんとかなると思っちゃう」にたどり着いてもらったら、こんなに嬉しいことはない。



急に謎のネタバレみたいな話をしたことには、理由がある。

本日、ぶんしょう舎4回目のトイアンナさんの講座を受けて、わたしはいつも通り感想をツイートした。
ぶんしょう舎の講座は、気合いを入れてリアルタイム視聴+感想を140字で言語化するというのは、自分に課せた約束だった。

実際には140字で感想は収まらないし、目からウロコだった表現は他にもたくさんある。
文章の信頼度を上げると、親近感が下がる。とか(バランスが大切です)
わたしの物語を、わたし以外の人に共感できるように。とか
あと、暇潰しに辞書を読むっていう話も、めちゃくちゃいいなと思いました。(クリスマスプレゼントに自分で辞書買います)

講座を聞き終えて、わたしは即座にこの内容をツイート。
すべての終わりを告げる一服を迎えるために、満を持して部屋を出た。

「今日の講座もおもしろかったよ」「Wi-Fiこっちに譲ってくれてありがとう」と、リビングの同居人に声をかけた。
「すごく学びがたくさんあってね」と、今日の講座の内容について同居人に告げた、次の言葉こそがわたしの本心だった。

「いやもう学ぶこといっぱいありすぎて、わたしもう文章でお金稼ぎたいとか思わなくなったわ!
 一生わたしのためだけに、わたしの好きなものだけ作って暮らしたいって思ったわ!!!」

がっはっは、というわたしの開き直った笑い声が、リビングに響いた。



トイアンナさんの講座は、ほんとうにジェットコースターみたいに情報が流れていった。
びゅんびゅん、
解説がわかりやすいのでひとつひとつの内容はある程度捉えられたけど、情報の数が多すぎた。
文章を書くことを生業にしている人は、こんなにもたくさんのことを考えているのか。ほんとうにすごすぎる。(めちゃくちゃ勉強になりました、最高の講座でした)

わたしは毎日文章を書いてきて、なにを意識していただろう。
「声に出してみる」は、気にして実践していたけど、他には何一つできていなかった。
「リード文の重要さ」には気づいていて、いろいろ試行錯誤はしたけれど、それは自分の頭の中だけだった。
文章だって最近は、他の人のnoteをいくつか読むだけで、全然インプットしてない。
憧れの文章を書く人はいるけれど、いつも「ほえ〜〜〜今日もすてきだな〜〜〜」と思って、終わっていた。

そんなわたしに襲いかかるジェットコースター、情報の洪水。
まじか、そんなにやらなきゃいけないのか。

「いやもう、わたしこのままでしあわせかもしらん」っていうのが、正直な感想だった。

SNSでは良い人でありたいわたしだった。
この感情を140文字で表現できなかったので、noteに綴ってみた。
ここまで2000文字使って解説したので、今日めずらしく「SNSで蓋をしていたわたしの本音」をひとつ、旅立たせることにする。



良い人でありたくて、気取っていた。

今日は、細心の注意をはらいながら、ちょっと本音に触れてみた。
やっぱプロってすげえなー
到底追いつけないというか、あそこまでの努力はできないというか、わたしそもそも努力したくなかったのかもしれない。
そのままの自分を好かれたかっただけだったかもしれない。
実際noteは、「そのままの自分をちょこっとわかりやすく加工した状態」なので、ハートマークを押してくれたすべてのひとに、わたしは毎日投げキッスを送っている。


それでも、ぶんしょう舎で教わったことを忘れない。

今日、トイアンナさんが言っていた「発信するときのマナー作り」という言葉も大切にしようと思った。
「良い人でありたい」それがわたしのマナーのひとつだと思う。

いままで「わかりやすく書く」とか「売れるものを作る」って、「自分を譲ったり消したりすること」だと思っていたけれど、「自分の感情や作品を、相手に届きやすく加工すること」だと教えてくれたのも、思わせてくれたのもぶんしょう舎だった。

あんなすばらしい講座を聞いたあとに、わたしは今日も文章を書くのか…

トイレの前で絶望しながらも笑ったわたしのことを、一生忘れずにいたい。

今日もわたしの文章は、成長していないかもしれない。
「毎日」と自分に課せた約束に、どこまで意味があるかわからない。

それでも、誰かの心に小さなハッピーを灯す。
「なんとかなると思っちゃう」と笑っちゃう
わたしは、やっぱり良い人気取りの、愛の道化師のまま生きていきたいと、思ってしまっている。

そして、そのために言葉と文章を磨くしかない、という。わたしは、エンドレスワルツを奏でるピエロとして生きていきたいと、心底願っている。









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