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満たされる部屋

わたしはお酒が飲めない。

「全然」と言っていいくらい飲めない。
わたしが生まれ育った家は、4人のおとな(両親、祖父母)がいたけれど、誰もお酒を飲まなかった。
田舎で、車が主な移動手段だったこともあるけれど、数回だけ見た「ビールグラスを持つ父親」の顔は、どの記憶でも信じられないくらい真っ赤になっていた。
お中元やお歳暮で届くビールは、知らないうちにどこかの家に旅立っていく。
冷蔵庫にビールがある暮らし、というのは、都市伝説ではないか。と思ってしまうくらい、わたしには縁遠いものだった。


だから、「毎晩ビールを呑む男」と同居したときは、衝撃だった。

同居人は、「お酒をかなり呑むほう」なんだと思う。
仕事が終わった帰ってくると、すぐ呑む。
休みの日も、少し暗くなってくると「そろそろかな〜」なんて言いながら、コーヒーやお水から、ビールに切り替える。
ビールを呑み始めたら、他のものは飲まない。
「水だってそんなに飲めないよね??」と思う量を、ずっと呑んでいる。

同居人に「君はね、お酒が飲めないところだけがね…」なんて言われたのが悔しくて、ジュースみたいな味のお酒を呑んでみたけど、半分くらいで酔っ払ってしまった。
顔はすぐ赤くなるし、眠くなるうえにへらへらして、分別がなくなる。

それでもときどき、家だったらすぐ寝たらいいわけだし、と思いながら
ビールと、甘いお酒で乾杯をする。
彼は、嬉しそうに笑う。



同居人とわたしは、家が好きだと思う。
だから、「飲みに行かない?」と言われると、「うちにくる?」と尋ねる。

同居人は、いつもより少しだけ気合いを入れて料理を作る。
こういう夜は、居酒屋みたいに順番に料理が出てきて嬉しい。

まずサラダ、それからお刺身
そのあとは揚げたての唐揚げだったり、前日からコトコト仕込んでいたモツ煮の日だったりする。
わたしはキッチンで煙草を吸いながら、良い気分で少しずつ摘む。
「好きなものを、好きなだけ食べてね」という同居人の口癖を、今日はわたしが真似てみたりしながら。
少しずつ、いろんな種類っていうのは、特別な夜の証のような気がしている。

わたしは、みんながお酒を呑むのをずっと見ている。
愉快そうに笑う、きみたちを
好きなだけ食べる、きみたちを

ある夜は、少しだけまじめな話をする。
ある夜は、うっかりつけてしまったアニメを、まじめに最後まで見ちゃう。
ある夜は、学生の頃みたいにはしゃいで、ゲームをする。
ずっと、食べたり呑んだりしながら。

「最後のいっこ、食べていい?」と言いながら、同居人の料理を食べる友達に、わたしは「もちろん」とほほ笑みかける。
自分が作ったわけじゃないのに、「うちのごはんは最高でしょ!」となんだか嬉しくなる。



わたしはお酒が、ほとんど呑めない。
お酒好きの人に言わせたら「ぜんぜん呑めない」タイプだと思う。

でも、この部屋で
みんなが日常に背負っている、いくつかの肩書を捨てて
友達が「先輩」であったことも忘れ
部屋中が、あたたかい空気に満たされている。

この時間を「しあわせ」と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろうか。

わたしはまだ、その答えを知らない。
いくつもの夜があって、答えなんかないままでいい。
みんなの笑顔だけ、残ればいい。と、思っている。




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