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連続投稿を断念したら、心に余裕が戻ってきた話

アオイです。11月に(ほぼ)連続投稿をしていましたが、ギブアップします。連続投稿を、志半ばで断念せざるを得なくなりました。ごめんなさい。投稿を楽しみにしてくださった皆さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

理由は、日々の生活に心の余裕が無くなってしまったからです。最近の私は起きたら支度して、出勤まで執筆、仕事をして帰ってきたら再びnote執筆という生活でした。

その生活を続けていたら、ものすごく多忙になってしまって、感情を味わう余裕が無くなってきてました。note執筆は「アウトプット」のはずだったのに、気が付けば「タスク消化」という捉え方になっていました。

note以外の他のやることも、あまり手をつけられていない状態でした。noteや連続投稿が悪いというより、私の予定の立て方が下手だったので、そうなってしまいました。

というわけで、今から(ほぼ)連続投稿の振り返りとこれからについて書いていきます。それでは、よろしくお願いいたします。


下書きを投稿したかった

この11月、私はnote執筆に追われていた。「追われていた」というか、自分で「書きたい!」と思ったから始めたのである。詳しい経緯は、下のリンクのnoteから見ることができる。

予め、何日にどんな内容のnoteを投稿するかまでを公開していた。投稿を怠らないようにするためである。溜まった下書きを、とにかく投稿したかった。

そして、「この中で気になるnoteがあれば教えてください」と、Twitterで発信した。モチベーションを上げるためだ。連続投稿をして、下書きを完成させて公開させようと意気込んでいた。


ズレていく投稿予定日

なのに、私は3日目にして、連続投稿が途絶えてしまった。その日のnoteが、とにかく書くことが多かったのと、急遽皆既月食を見ることにしたからである。

私は急遽の予定が入りやすい。天気や季節の進み方で、当日に京都巡りの予定を入れることもよくある。なので1日だけ、note投稿をパスしていいことにしていた。

というわけで、1回限りのパスも使えなくなってしまった。私は予定通りに事を進めるため、朝から晩までnoteを書き続ける生活をすることになった。自責が止まらなくなりそうだった。立てた予定が上手くいかないと、私はそうなる傾向がある。

帳尻を合わせるため、1日2回投稿をする日を作った。しかし書いている途中で寝落ちして、投稿が翌朝になってしまった。

更にnote執筆や疲労で寝落ちの日々が続き、朝すぐに起きられなくなった。そもそもの行動開始が遅れ、またしてもnote執筆が間に合わない事態となってしまった。悪循環に入っていた。


書きたい気持ちはあるのに

noteで睡眠時間が削られるから、連続投稿をやめようと考えていた。だけど、記事を楽しみにしている方たちがいて、何より自分が書きたい気持ちがあった。だから、連続投稿はやめないことにした。

連続投稿ができない自分を責めていたけれど、「書きたいことが多い!note書きたい!!書かせてください!!!」という気持ちでもあった。私はそれほどnote執筆が好きだ。


だけど…………、私は今回の連続投稿をやめることにした。

仕事や京都巡りで最近バタバタしており、その反動で家でダラダラすることが増えた。そして、noteの投稿・閲覧、Twitter等で投稿報告、タイムラインのチェックというSNSの時間で、かなり疲労していた。投稿や情報収集で脳が休まらなかった。


noteをその日中に書き切らないといけないので、他の予定をほっぽり出して執筆していた。すると、

起床→支度→note→仕事→帰宅→スマホ→風呂→note→就寝

という、仕事以外の時間はほぼその日に書くnoteの時間になっていた。最近は、仕事の休憩中でも執筆していた。とにかくnoteを書いていた。

感情を味わう暇すらなかった。毎日Twitterではポジティブ3行日記という、1日にあったポジティブな出来事を3つ書くというツイートをしていた。最近は、それの投稿が翌日以降になったり、思い出せなくて飛ばしたりしていた。

確かにポジティブな出来事があったはずなのに、当日の出来事なのに思い出せなかった。そしてnoteを書く時間を作るため、3行日記を後回しにしていたので、更に記憶が薄れていった。仕事とnote執筆をした、ということしか思い出せなかった。


「これ以上続けていたらしんどくなりそう」

危機を感じた。あと4記事だけ書いたら連続投稿は終わるところだったが、私は連続投稿を断念することにした。


予定通りいかないと、責められる?

私がしっかり連続投稿をする前提の予定を組まなかったことが原因で、起こったことだ。思い立ったら吉日、という感じで見切り発車をした。

そもそも連続投稿をしようとしたのは、生活リズムを整えるためだった。この連続投稿の前にも、31日間連続投稿をしていた。そちらの方は、無事に31日間書き続けられて終了した。しかし、連続投稿が終わった途端に寝落ちして、生活リズムがすぐに狂った。

もっと投稿を休む日を作るなどして、予定をしっかり立てればよかった。いや、実際に何日休むかなどは、やってみないと分からないこともある。最初から失敗しない予定を組むのは、難しいのだ。


「最初から失敗しない予定を組まない方が難しい」ということを知っているはずだった。だけど、私は予定が狂うと、度々自分のことを責めていた。31日間連続投稿の時もそうだった。

私は私が思うより、完璧主義なんだろうな。noteで連続投稿宣言をした人が、途中で投稿しなくなるのをよく見かける。でもわざわざ「投稿できなくてごめんなさい」という人は、そんなに見かけないのだ。別に謝ることでもないのかもしれない。

宣言したからには、やり遂げなければならない。当初の予定を変えるのは、相手を混乱させることになる。という気持ちで私は取り組んでいた。私のこの考え方は、仕事で身についたものだった。

また、昔からTVで政治家が、当初掲げていた政策から二転三転して政策が別物になったことに対して、議員や国民から猛批判をくらうという場面もよく見ていた。「発言を変えてはならない」ということが、昔から刷り込まれていたのかもしれない。

と言っても私は政治家ではないのだから、そこまで責められることもないだろう。私は国を背負ってない。私だけを背負っている。私は、私だけしか背負わないと決めている。他人を助けることはあっても、他人を背負うことはしない。

私は私だけを背負っているつもりが、いつの間にか他人の私に対する期待も背負っていた。だけど他人が期待してくれると嬉しい。他人の期待が、連続投稿のモチベーションになり、同時にプレッシャーにもなっていた。他人の期待を上手く活用したい。


それでも得られたものとは

失敗した連続投稿だったが、もちろん良いこともあった。

今日のおすすめ記事に選ばれた

連続投稿の記事が、なんと、今日の注目記事に選ばれた。

1日投稿を休んで執筆した、京都巡り。写真が多いから、読むのに時間がかかる。だけど、どういうわけか選ばれた。

書いた甲斐があった。大原は京都とは思えないような自然がいっぱいの場所だ。なのに京都駅から、バス1本で行けてしまう。私のイチオシ落ち着きスポットだ。


熟成下書きを投稿したら、スキをもらえた

以前から書いていたが、なかなか投稿できなかった下書きを投稿した。すると、自分が思ったよりスキをもらえて、嬉しかった。

自分では上手く書けた気がしてなかったので、意外だった。世の中には、甘えられない人が多いのだろうか。生きづらさを抱えている人も多そうだ。精神科受診のnoteも多くスキが付いていたので、「生きづらさ」がテーマのnoteもどんどん書いていきたい。


書きたいnoteが増えた

連続投稿をしているのにもかかわらず、書きたいnoteが増えてしまった。

具体的にはこんな感じだ。

・皆既月食を撮って、カメラの面白さに触れた話
・私は完璧でない人間が好き
・他のnoteクリエイターへの嫉妬心がふつふつと湧いてきた
・自分の気持ちが言えないのは、自分を守ろうとしているから
etc……

と書き出したが、投稿するかどうかは不明だ。

noteを書きたい感情には、旬みたいなものがある。その旬を逃すと、「何書こうとしてたんだっけ?」と忘れてしまう。

当時思ったことを下書きに保存して、日が経って投稿しようと思って内省すると、違う意見が出てくることもある。私はその当時の感情をnoteに残したい。でもこういうのは、Twitterの方が向いていそう。だけどnoteに書いて、1つの作品にもしたいんだよなぁ……。

自分の思考の癖に気付く

31日間連続投稿をしていた時から、立てた目標が上手くいってないと、自責していた。できない時に「ではどうするか?」ではなく「何で私は……」と、どうしても自分を責めてしまう。そして、更に自分を追い込んで、それもできなくて、また自分を責めるという悪循環に入る。これは昔からの思考の癖だった。

その対処法として、セルフコンパッションというものがある。

上のリンクから解説を見ることができる。「『慈悲のフレーズ』って本当に効くのか……?」と、私は疑いの目で記事を読んでいた。まだ試していないので、効果の程は分からない。セルフコンパッション経験者の意見も聞きたい。


まとめ

連続投稿をやめた途端、心がスッキリした。だけど、懲りずに連続投稿をする可能性もある。例えば年末年始とか……。その時は、京都巡りなどプライベートの予定とすり合わせて考えていく。

このnoteを書いている時は、今の自分の気持ちをそのまま書いているから楽しかった。気が楽だった。何だかホッとする。「今、ここ」を味わえているからだろうか。連続投稿を断念したら、心に余裕が戻ってきた感じだった。

書きたい時に気ままに書く。その時感じたことを、その時に書き留めて、投稿する。私にはそういう使い方が向いているのかもしれない。noteを始めて1年以上経つが、まだ分からない。私はこれからもnoteの使い方を模索していく。

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