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別居婚を、8年間やってみた


「今日は、何して遊ぶ?」


土曜日の朝。
ピロン、と電子音が鳴った。
テーブルに置いてあったスマホの画面を見てみると、LINEが来ていた。

近所に住んでいる、私の結婚相手からのLINEだ。


結婚相手が「近所に」住んでるって、どういうこと?


と、思われたことだろう。
そうなんだ。
結婚相手は、私の家……ではなく。
近所の家に住んでいる。


私はわりと若い年齢で、結婚した。
結婚してすぐ、賃貸マンションを選んで夫と一緒に住み始めた。

結婚相手とは一緒に住むのが普通、と思ってたから。

お互い激務で、仕事に没頭しながら最初の一年が過ぎた。
あまりに忙しくて、平日はもう呼吸するだけで精一杯だった。

そんな、ある日。
忘れもしない、土曜日の朝だった。

「あれっ?髪切った?」


夫にそう聞かれた。
うん、切った。
でも切ったのは、月曜だった。

美容室に行ったのが「月曜」の夜なのに。
髪を切ったのか聞かれたのが「土曜」の朝。

ここで気づいてしまった。

私たちは、平日、一秒たりとも顔を合わせていない。

平日、私はかなり早朝に家を出て早めに家に帰ってくる。
夫は、かなり昼前に家を出て深夜に家に帰ってくる。
だから、まったく顔を合わせないのだ。

そういえば、結婚してからのこの1年間……。
平日に晩御飯を一緒に食べたことが、一度も、ない。

切ったばかりの短い髪をくるくるいじりながら、考えた。
あれっ……?
夫婦って一緒に住むのが「あたりまえ」だと思ってたけど。

そうでもないのか?


「思い込み」は、自由な人生の足かせになる


結婚は、しなければいけない。
結婚したら、一緒に住まなければいけない。
結婚したら、子どもを産まないといけない。

世の中には「こうあるべき」という考えがたくさんある。
もちろん、この「べき思考」にも良い点はあると思う。社会規範として機能するとかね。
ただその一方で、自分が自由に生きることの「足かせ」にもなりうると、私は思うんだ。

「結婚したら相手と一緒に住むってのは、絶対にそうしないといけないものじゃなくって、あくまで選択肢の一つなんだ」

と、夫から髪を切った?と聞かれて私は気づいた。


だから、別居のプレゼンをしてみた

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なんで別居を提案したかっていうと、こういうロジック。

【問題】平日、2人とも食事・睡眠時間がすごく短い

【原因】なぜなら、自宅が職場から遠いから

【提案】別居すれば、2人とも自分の職場の近くに住める!

もうね、とにかく、平日のQOL(=Quality of Life、生活の質)を向上させたかった。

ご飯はつくれないし買ってきたお惣菜もゆっくり食べられないし湯船につかる時間もなくていつもシャワーだし睡眠時間は6時間以下だったし。

本当に毎日、2人ともヘトヘトだったから。


だからプレゼンしてみた。

ちなみに、なんでプレゼン資料を用意したかというと、もし用意してなかったら夫から

「別居って、どれくらいの期間を考えてる?」
「それによってQOLはどれくらい向上できると予想してる?」
「その予想をした根拠はなに?」

と聞かれるからだ。
こうした雑多なコミュニケーションコストをかけさせないために、事前に準備をした。

別居の提案に限らず、夫婦の間でとても大きなことを決めるときは、必ず5枚程度の簡易的なプレゼン資料を用意することにしてる。
そのほうが、物事が決まるのがものすごーく早いのだ。


別居を提案された夫の反応

土曜日の午前11時だった。
夫は、会社の同僚から旅行の土産でもらったというご当地ポッキーをポリポリ食べながら、のほほんとした顔で聞いてくれた。

疲れてるだろうからスライドはたったの5枚でまとめた。
発表時間は5分。
タイムマネージメントもうまくいき、時間内にパワポのプレゼンが完了。

「発表は以上です。何か質問はありますか?」

って言ったら、ニコニコしながら「プレゼンお疲れさま」とねぎらいの言葉をかけてくれて、案の定いっぱい質問がきた。

別居婚以外の別の手法は存在しないのか、存在するとしたら別の手法と比べたときの優位性は何なのか、現在の提案事項のボトルネックは何か、それを解消するためにとれる手段は何か、QOLとはWHOが定めた定義に準拠するのか、QOLの定量測定をすることは理解できたが現在メジャーな測定方法として採用されている定性測定を行わない理由は何か。

学会の質問タイムか?


って思ったけど、ていねいに一つずつ答えていく。

そして、不明点を全部解消できた夫は目を輝かせながらこう言った。

別居婚、めっちゃいいじゃん!


「うん、ボクこれ、いいと思う。やってみようよ」

って言いながら夫はソファから立ちあがり、「プレゼンおつかれー。喉渇いたでしょ、お茶入れるから一緒に飲もー」とキッチンに行ってしまった。

平日一緒に住めないということに対して悲しんじゃうかな、と心配していたけれど。
夫は「平日は基本的に1秒も顔を合わせないから、別居しても今と何も変わらない」「別居しても、週末一緒に過ごせるなら、ボクは特に異論はないよー」って言ってた。


別居婚プロジェクト、発動。

「まず隗より始めよ」ということで、私が別居婚プロジェクトの指揮をとることになった。
キックオフミーティングと称して夫と駅前の居酒屋でビール飲みながら、事前に組んでおいたPDCAサイクルのスケジュールを見せて承認を得た。

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こんな感じ。
シンプルでわかりやすいシートができあがり、これに則って引っ越しと新居への入居が完了。

こうして別居婚がスタートし、8年続けて今に至る。


最初は、前述のスケジュール表にある通りお試しで2クォーターだけやってみるという約束だった。
でも、特に大きなトラブルもない、自分たちの生活スタイルにすごく合っている。

ということで、細かいルールを時折ブラッシュアップしつつ、別居婚を8年も継続して今に至るのだ。


別居婚を8年やってみた感想

いいなと思った点はこれ。

・職場が近いのめちゃくちゃ快適
・ご飯もゆっくり食べられるし、お風呂ものんびり入れるし睡眠時間もたっぷりとれるようになった
・早朝、まだ寝てる夫を起こさないよう気遣わなくても大丈夫

デメリットだなと思った点はこれ。

・風邪をひいたときにお互いを看病できない
・平日、ちょっとした助け合いができない
 (身長が低い私が、高いところの電球を取り替えるのを夫に頼むなど)

「こんなことが起こるなんて予想もしてなかった!」みたいなトラブルは幸い起きなかった。

メリットもデメリットも、予想していた通りの結果が出たのだった。


別居婚がもたらした、予想外のメリット


が、1つだけ「予想外」のメリットがあった。何かっていうと、

「ものすごく自由に生きるようになった」こと。

別居婚をしてから、なんだか「こうあるべき」という思い込みをほどいていくのが上手になってしまったのだ。

たとえば土日、私はよく夫と公園でキャッチボールしたり、家でマリオカートしたり、酒でねるねるねるねをつくったりと、放課後に友達と遊ぶ小学生みたいなことやってる。

「大人なんだから、土日はこう過ごすべき」という思い込みを解除した結果、こうなったのだ。

そして、夫にも同じような変化が出てきた。

「ヤギの金玉、食べてみたい」


普段は丸の内OLが食べてるようなおしゃれランチを好むのに、「イッテQっていう番組でヤギの金玉食べてたから、ボクも食べてみたい」って言いだした。
調べたら横浜で出しているお店があったから、行ってきた。
私はこういうの結構好きなので、ラクダとか深海ザメとかタツノオトシゴとかトドとかペロっと食べてしまい夫はビックリしてた。
デザートにミルワームがいっぱいのったプリンを私が食べてるのを見た時は、夫はビックリ通り越してドン引きしていた。

さらにこんなことも言い出した。

「女装、してみたい」


「ええやん!やってみよ!」と、ブライトララのサイトでウィッグ買って、私が持ってるDiorのコスメでメイクしてみた。

私がメイクしたんだけどさ、メイクが終わって鏡を見せたら夫が「こんなんじゃ外に出られない」とポツリ。
「ありゃ。もっと違う感じのメイクがよかった?」って聞いたら

「ボク、かわいすぎて5メートル歩くごとに告白されてしまう」

って言ってた。
すごい自信で笑ってしまった。
この私がメイクしたんだ。かわいくなりすぎて当然だ。


「無関心という優しさ」を知った

そんなこんなで別居婚をして8年になるんだけど、別居婚を始めたらきっと周囲から糾弾を受けるだろうなって思ってた。

「夫婦なのに、別居するなんてとんでもない」って。

覚悟してたんだけど驚いたことに糾弾を受けたことは、ない。友人や家族の反応は、判を押したように一緒だった。

「好きなように生き、幸せでいてくれれば、それでいい」。

もうね、全然関心がないの。
私が私らしく自由に生きているのか、その確認だけして後はもうどうでもいいみたいな。
私が別居婚を選択したことに対して、それが良いとか悪いとかの判断を下さないの。「みんな違ってみんないい」とかじゃなくて

「みんな違ってどうでもいい」


って感じ。無関心な金子みすず。

「人にはたくさんの選択肢がある。
そして、その人が自分の意志で選択肢のひとつを選んで生きている。
その選択を、"これは良いこと・これは悪いこと"って判断する権利を、他人である自分は持ってないと思うんだ」

って感じのスタンス。

ある意味無関心なんだろうけど、そういう「優しい無関心」というものがこの世にあるんだなと、別居婚をしてから知ったのだった。


「思い込み」は、ほどよく捨てていきたい

こういう経験から、自分を呪縛するような「思い込み」は、ちゃんと解除していきたいなーって思うようになった。
こうしてちゃんと意識しておかないと、ついつい「こうするべきだよね」っていう思い込みにひっぱられちゃうから。

「もっと自由に生きればよかった」

なんて、死ぬときに思わないように。
自由に、自分らしく生きていきたいから。

こないださ、実家の断捨離やったんだけどその時に手紙が出てきたの。
「10歳のわたしから20歳のわたしへ」って手紙。
それ読んだら、

「私って、こうあるべきという思い込みを持ちやすいタイプなんだな~」

と実感した。手紙には、要約するとこんなことが書いてあった。

大人になった私へ。

結婚は、しましたか?
子ども、生みましたか?
家は、ちゃんと買いましたか?

大人なんだから、きっとちゃんとしてるよね。

もちろん、結婚や出産や不動産購入が「たくさんある選択肢の中から、これがいいなと思い、自分の意志で選んだこと」だったらいいんだけど。

そうじゃなくて、この時の私は「世間に認められる大人の女性は、きっとこうだ」「だから自分がそういう"ちゃんとした女性"になっているか心配だ」という思いで書いてたのね。

だから、今の私なら、子どもの私にこうお返事を書くと思う。

10歳の私へ。

結婚はねぇ、したよ。
でも、「結婚はするべき」って思ったから結婚したわけじゃない。
一人でも生きていけるけど、二人でいると楽しさが倍になるし、悲しみが半分になるから結婚したんだよ。

大人の君は、たまのご褒美に大好きな焼肉をたらふく食べてるよ。
ビールが大好きで、よく週末に飲んでるよ。
ちょっとした収入が入ったら、「アクセサリー買ってイタリアン食べよ♪」とかじゃなくて全額株とプロテインにつっこんでるよ。

つまるところ大人の君は、好きなところに行き、好きに生きてるよ。

いわゆる「世間さま」から認められるような立派な大人じゃないかもしれない。でも、自分らしく楽しく生きてることを、誇りに思ってる。

そんな大人になったことを君もよろこんでくれたら、うれしいな。


P.S
来年の春、クラスに転校生が来ます。

初日から教科書忘れてくるから、貸してあげてね。朝の登校の時とか、部活の時とかも、なるべく優しくしてあげてね。その子とは長い付き合いになるから。

その子はね、とってもおもしろい子だよ。

鉛筆を最速何日で使い切れるか実験に夢中になって先生に怒られたり、夏休みの読書感想文の宿題で「自由に楽しめるはずの読書という領域で感想を強制的に書かされることへの不服」を書いてみたり。

最近は「ヤギの金玉食べたい」とか「女装したい」とか言いだして本当に飽きないよ。

……ぜひ、仲良くしてあげてね。




土曜日の朝。

洗濯を終え、自分の部屋でまったりコーヒーを飲んでいると、夫からいつものLINEが届く。


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さあ、何してあそぼっか。








あとがき


文章を書く時にさ、「最後の一文」から書き始めることってあんまりないと思うんだ。

でもね、このnoteは、実は「最後の一文」から書き始めた。

普通さ、小説とかエッセイって「最初の一文」がすごく印象的じゃない?

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」

「メロスは激怒した。」

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

こんな感じで、「あ、この最初の一文、知ってる」っていうの、あるやん?

最初の一行目で読者をひきつけている作品が、たくさんあることは知っている。でも私ね、「最後の一行」で、ノックアウトしてくる作品も大好きなんだ。

その作品のひとつが、林京子さんという作家が書いた『ギヤマン・ビードロ』。

私が高校生だったころに、国語の教科書に載ってたのね。
堅苦しいテーマでさ、「まーたこういうの読まされるのか、しんど……」と最初はちょっとうんざりした。

でも、ぐんぐん世界に引き込まれていく。
林さん本人と、彼女の友だちが長崎の街を歩く話なんだけどさ。

なんというか、こう……自分の手首をガッ!とつかまれて、世界に引き込まれていく感じ。ただ街をぶらぶらと歩く、エッセイなんだけど。

世界に引き込まれて、自分の意思とは関係なくすらすらと文章を読み進めさせられ、そしてこの作品の最後の一文で、ノックアウトされた。まだ読んでない人のために、どういう一文だったのかはあえて書かないけど。


たった三文字の、「セリフ」で、この作品は終わるの。

三文字だよ?三文字。
でもね、自分の魂を削られてもっていかれるような三文字だった。

みんな三文字で、人の魂を奪うこと、できる!?私はできないよ!

かつてヘミングウェイは、友人と会話をしていて「たった6つの単語じゃ人の心を動かせないだろう?」と言われて、こう書いたんだって。

For sale: baby shoes, never worn

訳すとね、

「売ります、赤ん坊の靴、新品未使用」

無理。


泣く。こんなん泣く。さすがヘミングウェイ。『老人と海』じゃなくて『涙の海』って作品ができちゃう。


ほんでね、私は思った。
いつか、自分が腹を痛めて生んだわが子のような作品で。
その最後の一文で、読んでくれた人の心を奪ってみたいって。

だから、この作品は最後の一文から書き始めた。

この作品の背骨となるような、根幹をなす、たった一言から、書いた。かつて目指した、林京子さんの「三文字」には及ばず「十文字」になっちゃったけどさ。すごーく楽しかった。

次の作品も頑張っていいやつ生むから、楽しみに待っててね!






【関連note】いつか本を出したいあなたへ


「いつか本を出すのが夢」「一生に一度、本を出してみたい」

と思ってnoteの更新を頑張っている。
でも、なかなかイイネがつかない。なかなかフォロワーが増えない。
出版なんて、夢のまた夢……。

そんなことないです。


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「いつか本を出したい」ではなく、「10か月後には近所の本屋で自分の本が並んでいる」ことを確実に目指せるnoteです。

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「一生に一度、自分の本を出したい」と夢見る方はぜひ読んでみてくださいね。


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