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一歩づつ進んでいこう 近代化を伴う気候変動危機のモン族窯業無形文化財研究

昨日、紆余曲折の困難を乗り越え、やっとこさでメルカリで新品より半額の中古の電動臼を注文した。電動臼を買う契機は私がタイでモンの陶工への弟子入りや日本政府の開発が絡むモンの少数民族問題や先住民教育家だった親しかった古老の死別を経験したからである。

ここでは先住民教育をしていた古老の死別を次回以降に話すとして、現代史におけるモン窯業問題の概略を紹介する。。タイのバンコク郊外にはモン族の窯業地帯がタイのバンコク郊外にはモン族の窯業地帯がある。半分近隣住民である親族と共同窯と王立の手工芸組合の複合によって産業・社会が出来上がっている。けれども日本政府による近代化の都市開発を伴う文化財危機や民主化問題によって、まるで縄文時から弥生土器の「社会変遷」のように陶磁器もモン族も様変わりした。けれどもこれは「技術発展」ではなくアルコールが滲まない「南蛮焼締」の古代の高度な焼成技術からカビが生える食器の販売へと「後退」している。
かつ、かつての彼らの窯はイサーンのモンの窯業地帯を事例が日本の学術で知られている。日本の古墳時代の窯のように穴を掘ってシロアリ塚の煙突や窯の傾斜を調節したもの、もしくは甲鉢をレンガの代わりとして土で積んだ窯と考えられる。日本の国際開発によって宅地、工業化し、シロアリの「生態」と共存してきた文化がすたれ、モンレンガと呼ばれる特定の企画の赤煉瓦が使われるようになった。このレンガは古代のモンの史跡でもつかわれている。昔のものは耐火物であるケイ素を多く含みかつ断熱効果があるジャポニカ米の籾殻が骨材として使われていた。
しかし、耐熱のために砂が多く含まれるが、鉄分が異様に多く割れたり溶けたりする恐れがある。クレット島ではラジャパット大学という師範大学が2011年の洪水で文化財保護として教育用モン窯を提供したが、異様に鉄分の多いいレンガを提供し、モンの伝統工芸=低温焼成、カビの生える土器である食器となって、彼らの未来が危うい。ましてや採土場は生物豊かな田園でありかつてあった浅草の窯業地帯の景観と似ており、モンの窯業が生成する生態系は未来の地球の宝であり守るべきだと言える。

復元考古学的研究手法で「ケッコン」の意味が分かった

そうなると、いい加減な文化財支援でかつタイ軍政との距離が近い大学の研究に対抗し職人の文化伝承と発展のためには、自ら窯を研究開発する必要がある。

タイ語の論考を参考に研究したがつい最近までタイでは土を掘った窯だったし、レンガの代わりになったタイの甲鉢の成分も不明である。ミャンマー連邦共和国のモンの窯の文献があるものの内乱でレンガの成分は不明である。ましてや現地の粘土を日本に持っていこうとすると「検疫」に引っかかる恐れがあるし土に鉄分がおおいいので難しい。しょうがないので確実に安全だとされる近世日本の技術を転用することにした。幸い和光大学の卒業生で福島釉薬で働いてた大先輩が技術指導をしてもらい助かっている。粘土の生成には乾式・叩きと呼ばれる「粉砕方」と水肥と呼ばれる「加水攪拌方」がある。『瀬戸市史』には愛知県瀬戸の江戸期から1970年代の戦後の間に伝承されていた築窯技術が記載されている。そこには直径1メートルほどの蕎麦石臼を2人がかりで挽いて、窯のレンガの骨材である「木節粘土」を製粉して、砕いたエンゴロ(甲鉢)の粉を混ぜて作っていた。コロナの頃に加水攪拌法を試したが、粘土の礫が溶けきれず骨材である砂や籾殻が混ざりにくかった。瀬戸の場合、築窯に関して乾式が使われていた。材料を入れる臼の口は非常に小さいため、杭を打つための大きな杵と金槌を使って塊を粉砕していたと観られる。

 けれども実際に製粉から始めると、現代都市社会の問題、エネルギー問題にぶつかってしまう。なぜならモン語には「ケッコン」という職人集団、親族集団で構成される窯業地域社会によってクレット島のような煉瓦の巨大な薪窯が作られてきた。これを1人でやると私自身が内部障害を持つのでなおさらであるが、疲労を伴う嘔吐やぎっくり腰、肉離れで倒れてしまう。それなりの「身体の運動エネルギー」が必要で、機械がなかった前近代は「地域住民の協力」が欠かせなかった。
ここ最近、早稲田大学のある西アジア考古学者によればエジプトとバングラデシュを事例に運営形態と窯の品質と窯業地帯の規模は比例するという指摘を参考に私はこのように考えた。原土の生成はかつて水車がなかった時代、どこの国でも近隣住民や家族に協力してやってもらっていた。北米先住民の土器のように労働作業が少ないほど家族経営の傾向があり、陶磁器を焼くための窯がある地域は地域住民や大家族の親族が工房を運営しておりそれなりに労働も燃焼エネルギーも後者より大きい。
私は現代の都市社会で活動を行っている。多くの陶工は都市部であろうが機械に頼って1人で制作を行っている。私の場合、日本の都市社会でその「ケッコン」を仕切ってきたが、手伝い人と称して反社会的な芸術活動をするチンピラじみた美大生、知的障害の傾向がある美大生が工房に乱入されて大変なめにあってしまった。コロナだったためなおさら志望者は少なく乱キチガイ野郎が乱入するハメになった。人々の繋がりが薄く、信頼できない人材が集りやすく人災が起きやすい。


 家族経営への切り替え

美大生による父への洗脳の被害、美大生からの脅迫、美大生の工房の乱入、和光の先輩の仲間である職人の窯の荒らしなどこのような人災で私はしばらく精神科病棟をシェルターとして借りて生活していた。退院した今ではコロナや医療福祉の協力もあって人生で最も難局であり最も人生の苦悩の原因の1つとなった虐待・学校教育の腐敗による様々な被害を理解できない両親との関係を解消することになり、より良い生活が遅れていると自負する。 父は自分が美大生=息子の親友と洗脳されていたこと、私がいた大学の美術教育がどれだけ腐敗しチンピラまがいな学生を生産しているのか、私が重労働ゆえに危険な集団に依存しなければならなかったことを猛省して、私の作業の小間使いをしてもらい、家族経営へ切り替えてくれた。最近では父は掃除、窯出しや粘土の礫を豆粒まで砕いてもらい助かっている。それ以降、嘔吐に苛まれることがほとんどなくなった。

国際協力としてのリサイクル陶芸研究を始める

昨年、鶴見大学の学芸員資格がメインでほとんど私は工房へ行けなかったが、今年から工房にある木節粘土1トンを片付けるために煉瓦を作ることにした。鶴見大学の教育が合わなくて学芸員資格2科目を先住民教育向け博物館学芸員資格をだす放送大学で履修することになり、今年から日中の自由時間が増えた。
一生懸命、手動の鉱物粉砕器を回していくうちにギックリ腰になりここ今年の3月4月は休むことになった。ぎっくり腰の時に、私は陶芸が「人新世」と関わっており、現代の陶芸は産業廃棄物と資源の枯渇が問題になっており、日本とくに東京都町田市鶴川に住む安諸さんという陶工を中心にリサイクル運動が始まっていると鶴見大学で習ったのを思い出した。廃棄される陶器の粉末「セルペン」と「長石」を使った粘土と釉薬が開発されている。そしてぎっくり腰のある夜、インドの貧困層向け生理用品開発者の自伝映画である《パッドマン》を見て身近な機材や材料を代用すると様々な人々の利益(りえき・りやく)になると知って、製粉機の購入や窯用レンガの骨材である水酸化アルミニウムを石灰水と炭酸ナトリウムで拵えた水酸化ナトリウム水とアルミ缶で作ることを思いついた。

 20年前の論文になるがクレット島の近辺はゴミ問題が凄まじく酷い。現在も人の目に入りにくい薮には不法投棄のプラスチック、缶ゴミがたくさんある。私はクレット近辺が温暖化によっていつ水没してもおかしくなく人新世の危機だと多くの学者が警鐘しているのに、モンの職人や地域のシャム人(タイ人)がゴミを林や河川にポイ捨てするのが悲しい。モンの職人は彼らの文化財である窯に土器とタバコのゴミを廃棄しほったらかしにする。ゆくゆくは海に流れて海亀といった様々な生物を「殺生」してしまう。シャム人やモン族も私と同じく仏教者であり、そして先住民というべきモンがやるべき素行なのあろうか。ましてやモンは東南アジア最古の仏教の宣教師、欧米近代化からタイ仏教を守ったとも言える人々である。
タイに戻った時のことを考えると、業務用の製粉機や水酸化アルミニウムは高すぎる。とりわけタイでは極右の軍人が牛耳る格差社会であり、その底辺に少数民族や農家が搾取されており、彼らが貧困で機材の購入が困難である。誰でもできる方法は世の中のためには良い。


臼の設置に向けた工房の改装


今日の昼から電動臼の設置にむけて両親のクリニックにある私の工房を大片付けした。石膏型として使うはずだったいらないカップラーメンの容器がどっさり出たり、探していた埼玉県の「長石」が見つかったりした。両親と共に電気窯の足に自前の薪窯用耐熱レンガの上に乗せて、ほこりを窯のファンが吸い込こみ故障の原因とならないように、窯の下の床を掃除しやすいようにした。精神科医なのに両親はここ10年で私の内部障害や美大教育の腐敗によるハラスメント被害を理解できなかったが、コロナの時から窯を購入していただき、率先して築窯の下準備を率先して手伝ってくれるようになった。一昨年まで1人でやるのは大変でどこの教育を受けたかわからない美大生を雇って知的障害の傾向のある美術学生らに邪魔され大変だった。医療福祉職員のおかげもあって両親はここ最近でやっとこさで正気を取り戻したようだ。

 本当は片付けをyoutube に出し、クレット島のモンの親方やクレット島でボランティアをした吉本芸人や在日モン人に見せたかったが、心身の調子が悪くてできなかった。というのも色々と心労する出来事がこの頃多すぎた。
先週、薬剤の調合を間違えて、電気窯のレンガを溶かしてしまった。電気窯は非常に小型のため亜炭を多く含む窯用の木節粘土を焚くと有機物ガス(煙)が多く出るため窯にとってよくなく、今朝、窯からエラーが出てしまい、私個人の内部障害を伴ってパニックに陥ってしまった。教育虐待のトラウマもあり相変わらず頓珍漢なことを言う母に暴言や強度行動障害紛いな言動をしてしまい、自分で私自身に私自身が傷ついてしまう。犬畜生ではないのに犬畜生の言動をしてしまう。「仏、遠ざかる」…逆流性食道炎になりそうである。また叔父の死別で家族がバタついている。家族からは、まだ得度・僧籍を取得していないが在家信者としてできる限りターミナルケアをやってくれたから、心身を労るためにも叔父の葬儀には出なくてよいという。

授業でさらに心労する 日本の人心荒む

 期末試験に向けて電車内で放送大学の博物館展示論を観て憤りを感じ不安に帰宅中に胃酸を嘔吐してしまった。というのも私が経験した日本の文系とりわけ美術・文化財の大学教育をドイツの博物館を事例に遠巻きに指摘されていかからである。鶴見大学と揉めた理由にもつながるが、モンの陶磁器を研究するある教授が日本の学芸員たるものは政治に関わってはいけなく自分や博物館自身の意見や見識を述べてはならないと叩き込み、展示物の表面の美しさ以外に社会、社会教育に無関心・希薄な学生が大量生産している。モンの洪水と文化財の危機をこの教授にいえば「政治問題」だからと跳ね除けてしまう。在籍期間中に下手なことをネットでかけば、大学の経営不振を背後に大学職員がSNSを検閲しており追いかけ回される。

 またヘイトスピーチという別の視点から見れば、塾・高学歴・受験・知識変調というキャリア教育のため生涯学習・博物館教育が形骸化され、Xなどで他者排斥・異文化否定の言動が起きてブレーキとなる博物館が機能していない。さらに授業に出ていたドイツの展示方にはナチズム・極右民族主義との決別を推し進めるためのミクストメディア展示方が紹介されていた。しかし多くの日本の美大では「技術」だけが優先され「目的・コンセプト」を育むための「人文教育」が腐敗してきた。私個人の経験であるが一つ事例をあげる。人文教育がないためある超有名な美術大学の多くの学生が住宅地で有機溶剤系固形物を燃やし近隣に迷惑行為を日常茶飯事に行っていたり、美術が社会問題に貢献するということを軽視してきた。愉快犯な作品、制作活動を介してカルト宗教教祖の道へ走る学生もいる。教授も人文知がないためなおさらひどい。一方で私が専攻する東南アジア地域研究も文化財を扱うのに、現地の軍政府と癒着する日本政府の顔色を伺って研究を進めており、マイノリティの文化財を扱うことに無責任である。

日本の大学は東大すら世界ランキングから下落しており、悲壮感が漂う。私は日本の大学という「倫理」が欠けた阿呆な教授と学生の社会で生きていいる。知識をどう慈悲に生かすかがわかっていない。私は私の信念を貫いて研究をすすめてやろう

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