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学校は自分たちで掃除した方がよいのだろうか

「これは何をしているところ?自分たちの教室を自分たちで掃除しているの!?毎日!?」

子供の友達のお母さんに、日本の子供たちが教室を自分たちで掃除している写真を見せたら、すごく興味を持たれた。

子供が小学2年生のとき、夏に一時帰国した際、2ヶ月ほど日本の小学校に通った。そのときに担任してもらった先生が、記念にと学校での様子をアルバムにしてくれたものを子供の友達のお母さんに見せていたときのことだ。

彼女は中学校で教師をしている。中学校と言っても、トルコの学校は小、中、高は4年制なので、日本の学校で考えると小学5年生から中学2年生の子供たちが通っていることになる。

「子供たちに、日本の学校では自分たちで教室を掃除しているということを教えてあげたいから、この写真を写真に撮ってもいい?」

そう言ってスマホで写真を撮って、満足そうに見ながら、絶対にこの話を子供たちにしようと言っていた。

トルコの学校では毎日、学校が終わったあと教室や廊下などモップがけをし、トイレ、校庭と全ての場所を掃除してくれる清掃スタッフさんがいる。そして、それは海外ではめずらしいことではない。

一方、教室もトイレも他の家庭科室や理科室なども子供たちが掃除する日本の学校。自分たちで学校を掃除することが始まった起源だとされる要因は、大きく分けて2つあるらしい。

1)「道」の存在(剣道、柔道、華道、茶道など)

武道の世界では、稽古場をきれいに保つことはとても大切。稽古の前後には必ず道場を掃除することで心を磨くとされている。

2)仏教の存在

仏教の修業は「一に作務、二に勤行、三に学問」といわれている。そして、一の作務の代表的なものが掃除。
僧侶の修行においてはお経を読んだり勉強をしたりするよりも掃除のほうが優先順位が高い。

学校清掃にどのような起源があるのか知らなかったけれど、どちらも見てきた経験からいくと、自分たちが通っている学校は、自分たちで掃除した方がよいと私は思う。ゴミが落ちていたり、ガムがくっついていたり。みんなで使う場所だけど、自分が掃除しないため子供たちは汚しても平気になる。清掃スタッフさんの仕事を奪うとも言われているけれど、そこは話がすり替わっているように思う。

海外では学校は勉強を教えるところ、躾は家庭でするものと言う考えが一般的なところもある。日本は学校にいろいろと求め過ぎだけど、学校の売店でお菓子を買って校庭で食べている子供たちが、そのままポイッとして、風に飛ばされているお菓子の袋。(もちろんゴミ箱にちゃんと捨てに行く子も多い)そういうのを見ていると、家庭で教える躾と、皆で協力して学校をキレイに保つ、というのは少し違うように感じる。

当たり前に思っていた学校での掃除。意外と良いことなのだなと考えるようになった。子供のときはちょっと面倒臭かったけど。





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