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ことばを大切にしたいし、ことばを信用してる

 noterさん(という呼称にも慣れてきた)とのつながりや会話がすこしずつ増えてきている気がして、嬉しく思っている。

 最初は遠くから見ているだけ、ときどきスキを送り合うだけだった相手と、なにかのきっかけでコメントを交わしたり。
 はじめたころは「タイムラインに流れる作品(を書いている人)」だったのが、だんだん人として認識できてきて、キャラクターがわかってきて。

 noteでつながっている人は、もともと知り合いだったごく一部の数人を除いては、顔も知らない、年齢も素性もわからない人ばかりだ。
 なのにその人となりがうかがい知れるような気になってしまうのはなぜだろう。


 それはきっと、私がことばをとても信用しているからなのだと思う。
 noteは、それなりの分量をそれなりに高頻度で書く人が多い。
 それはもはや断片ではなく、連綿とつながるその人自身なのだと認識しているから、自然と「この文章好きだな」の段階をこえて「ああ、このひと好きだな」という感情が湧くのだと思う。
 もちろん、ときにハッとするような素敵なことばが「ひと」よりも前にでてくることもある。私には書けないようなことば、私には思いつかないような切り口、私には描けないような色。

 そこにひとがいる。


 言葉はたしかに、ごまかせるし、偽れる。
 心にもないことを言うことだってできるし、ただ口の上手い人が得をすることもある。
 それでも、それだけの人には発することができない言葉もあるし、嘘もまた言葉にあらわれる気がするのだ。
 それをつねに見抜くのは、難しいかもしれないけど。

 私はたぶん、リアルなおつきあいでも「ことば」をすごく重視する人間なのだと思う。
 ことばを観察するし、そのひとのことばを愛するし、そのひとのことばを尊重したいと思う。

 だから、ことばの力だけでつながれるこのnoteという場所が私にはとても新鮮で、居心地がよいのだと思います。

 つながってくれている皆さん、ありがとう。

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