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「生きづらさ」を感じずに、生きていくことはできるのか?

「生きづらさ」を感じる時って、ある?

私は、ある。

だから、「生きづらさ」を感じないで生きている人もいる、と知った時は、すごく驚いた。

夫にも試しに訊いてみると、「…感じたことないなぁ。」という返事。

そうなのか。めっちゃ身近にいたやん、感じないで生きてる人…!(驚)

最近(私の中で)Hotなワードである「生きづらさ」とは何なのか、感じることを思いのままに書いていこうと思う。

今の時点で、結論は見えてない。だけど、書いてみたいので書くよ。

このnoteは、「生きづらさ」を感じてる人には共感してもらえるかもしれない。

「生きづらさ」を感じたことがない人には、「そんな風に感じる人もいるんだな」と知ってもらえるきっかけになるかもしれない。

そんなことを考えながら、書いていこうと思う。

・「普通」がわからなかった幼少期

子どもの頃は、自分の感性と友達の反応の違いに驚くことが多かった、と記憶してる。

例えば、女の子特有の「〇〇ちゃんは、私以外と遊んじゃダメ!」みたいな所有欲とか、仲良しグループを作る意味を、はじめは理解出来なかった。

小学生の頃、休み時間に大好きな読書に集中してたら、友達からの声掛けに気付かず、こっぴどく怒られたこともあった。

そういう些細な「違い」に、いちいち驚いて、傷付くことがたくさんあった。

でも、「そういうもんなんだ」と、受け入れるしかなかった。

人間が営む社会に順応していくことは、私にとって「そういうもんなんだ」の連続だった。

「普通の子」が、「普通」にわかることが、私には全然わからなかったんだけど、一つずつ噛み砕いていった。

私のその「普通じゃない」感じが、誰かを傷付けることもあったのか…いじめられたこともあった。

「自分は普通じゃないんだ。だからいじめられるんだ。普通になりたい。」と願って、過ごしていた。

・「社会人」の洗礼

高校、大学と成長するにつれて、気の合う友達にも恵まれるようになった。

もちろん、友達と衝突したり、手痛い失敗もたくさんしたりしたけど、全部ひっくるめて、すごく充実していた。

だけど、社会人になって、また新しい社会に放り込まれた。

学生社会の「普通」を学んだのと同じように、今度は「社会のルール」を学ばないといけなくなったのだ。

私は案の定、「普通」であることや、「常識」について、全然知らなかった。

だけどどうにかして、「仕事がちゃんと出来る人」になりたかった。

たくさん失敗もして、怒られて、学んで、きっと少しはマシになってるんだろうと思う。

それでもまだ、「私は仕事がちゃんと出来ていないんじゃないか?」って、いつまでも自信が持てない。

何か悪いことが起きると、自分のせいだと思ってしまうのだ。

だって、「私は普通じゃない」から。「普通の人」が「普通」に出来ることが出来ない、と思い続けてきたから。

そうやってずっと、「生きづらさ」を抱えて、生きてきた。

・「生きづらさ」は、克服するものではないのかもしれない

新卒から今の会社に勤めて、9年間。

私は「生きづらさ」を克服するために、ひたすらに努力を重ねてきた。

「会社=社会のルール」だと思い込んで、そこに順応するために力を注いできた。

だけどこうしてnoteを書いて、冷静に考えてみると、「会社=社会のルール」というのは、半分あってて、半分間違ってるな、と思う。

半分あってる、というのは、「社会のルール」は会社の中に確かに存在している、というここと。だって、会社は社会を構成する要素の一部だから。

そしてそれは無機質に守るべきもの、というよりは、人と人とが協力するために、敬意を表して働く上での「マナー」に近いように思う。

わかりやすく伝えることや、レスポンスを極力早く返すことや、締め切りを守ること。つまり、相手を尊重し、信頼に足る人間であること。

これについては、人より多くの失敗を重ねたからこそ、その経験が今の私に生きていると思う。

だけど、半分間違ってることは、「会社」が社会の全てではない、ということだ。

書いてて気づいたけど、私が生きづらさを感じるのは、実は「社会」に対してじゃなくて、「会社」の中でだけ、なのかもしれない。

保育園のママ友付き合いも、仲が良い友人も、家族も・・・一緒にいて生きづらさを感じることは、あまりない。

会社の中で頑張り続けた9年間だけ、私は息苦しかったように思う。

別の環境に身を置けば、こんなに苦しくならないんじゃないか?という考えが、頭をよぎる。

もしかしたら、「生きづらさ」っていうのは、克服するものではなくて。

うまく付き合って、自分らしくいられる環境に身を置くことができれば、そもそも「生きづらさ」なんて感じずに済むのかもしれない。

・「生きづらさ」を感じなくなる日は、本当に来る?

私は32年間、この「生きづらさ」を克服するために、生きてきた。

だけどまだ全然、「生きづらさ」が消え去ってくれない。

正直、「生きづらさ」を感じないで生きていくことは難しいのでは?と、諦めかけていた。

だけど、ほんの少しだけ期待してる自分も、まだ存在していて。

私が自分らしくいられて、「生きづらさ」を感じないで済む環境に、いつか巡り合えるのではないか?という望みも、捨ててはいないんだ。

この先にもし、私の人生の中から「生きづらさ」が存在しなくなったら、また報告したいと思う。

それまでもうちょっと諦めないで、もがき続けてみようかな。

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