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「我慢するのを辞める」、その先にあるものとは?

母さんどうして  育てたものまで  自分で壊さなきゃならない日がくるの?

私は今、これまで育ててきた「私」を、壊さなきゃならない時を迎えてるのかもしれない。

そんな予感を感じてる。

我慢するのが普通だった幼少期

幼い頃の私を、限られた記憶と周りの大人からの証言を元に表現するならば、こんな感じの子だった。

・頭の回転が速い
・感受性が強い
・我慢強い

割と周りの子たちを「みんな単純で直感的なんだなー、なんで何も考えないんだろ?」と冷めた目で見てたところもあったし(可愛くないな笑)、かと思えばアニメや映画に感情移入してはしょっちゅう涙を流すような感受性も持っていた。

そんなバランスの悪い子どもだったから、様々な外部環境との軋轢に耐えるために、自然と我慢強くなっていった。

それは時に、出る杭を打たれる経験(いわゆるイジメ)だったりしたのだけど、一番ボディーブローのように効いていたのは、母親との関係だったと思う。

母は愛情深かったけど、とても弱い人だった。

そして、その弱さの矛先は全て、私に向いていた。

私は母から理不尽に怒られた時も、ママ友との人間関係を相談された時も、いつだって受け容れた。

母の気持ちがなかなか父に伝わらなくて悩んでいた時は、何度も二人の橋渡しをした。

母の愛情を信じていたし、私も母を愛していたから。

だから大人になるまで、「仲の良い母子」だと信じて疑わなかった。

だけどそれは、私の我慢の上に成り立つものだったのだ。

親離れの始まり

そうやって母親と共依存関係にあった私も、大人になって社会に出たことで、自ずと親離れが始まった。

社会に出て仕事をするということは、自立して自分で思考し、プロとしての責任を果たすこと。

しょっちゅう先輩や上司に怒られたりしたけど、それは「育ててやろう」という優しさから来るもので、私も自然と「働くとはなんぞや」ということを少しずつ理解していった。

時を同じくして、母親ともちょっとしたことで喧嘩をしてしまうようになった。

今にして思えば、母は娘の親離れの予兆を、本能的に感じていたのかもしれない。

社会人になっても実家に暮らしていたけれど、段々と実家暮らしが窮屈になっていった。

そして社会人になって4年目、夫と結婚することになる。26歳の時だった。

「やっと、母親から解放される」

そう思った。

育ててきた「私」を、自分で壊す

今思えば、思春期に思春期らしい反抗期もしなかった私の、長い長い反抗期があの頃から始まっていたのだ。

人間、然るべき時に然るべき時期を迎えないと、後から回収するには利子がつくようで。

私の結婚、妊娠、出産…と、少しずつ利子を返済して、元本も減らしてきた。
ここまでなんと、6年もかかった。

そしてここへ来て、最後の大きな負債が残ってる。

それは、

「我慢するのを辞めること」

思えば、常に「誰かの目」を気にして生きてきた。

親の目、クラスメイトの目、先生の目、同僚や上司の目、一般常識の目…

自分では自由にしてきたつもりだったけど、根底では「誰かから見た自分」を常に意識し続けてきた。

それは一貫して、母親に対して我慢して、愛されようと必死だった子どもの頃の私の姿そのものだった。

「我慢するのを辞める」ということは、これまで育ててきた「私」を壊す、ということでもある。

「オラオラ〜我慢すんじゃねぇよ〜!ドドドドド!!」

と、ブルドーザーで丸ごと全部壊して、土をならす。

そこには、何もない広大な土地が広がっている。

生まれて初めて私は、自由になる。

「我慢するのを辞める」、その先にあるものとは?

広大な土地があなたの目の前に広がっている。

「この真っさらな土地、全部君の自由にしていいんだよ」

"誰か"にそう言われたら、あなたは何をするだろうか?

家を建てる?畑を耕す?街を作る?遊園地や美術館を建てたっていい。何だっていい。

あなたの夢が膨らんだ頃に、その"誰か"は言う。

「道具や建材、建設費用や協力してくれる人は全部自分で手配するんだよ」と。

そして彼は続ける。

「でももし、僕の仕事を手伝ってくれるなら報酬を出すよ。世界一高い塔を建てるんだ。君も一緒にどう?」

人生も、同じだと思う。

我慢を辞めたら、自由だ。

自分一人で、やりたいことをやったらいい。

もちろん、誰かと夢を一緒に叶えたっていい。
(ただ注意してほしいのは、本当はやりたくないことを我慢してやるのはよくない。"誰か"の誘いに報酬目当てで臨むなら、それは奴隷にも似ている。)

どちらにせよ、「我慢を辞める」その先にあるものとは、「自由でいるための責任を果たす」ことだと思う。

自分の夢を叶える努力をすることや、誰かと一緒に夢を叶えるために、その人と徹底的に向き合うこと。

我慢するのを辞めて自由になるのは、決して楽になることじゃない、と私は思う。

でもね。

同じように険しい道だとしたら、やっぱり私は「我慢」よりも「自由」を選びたいんだ。

母さんどうして  育てたものまで  自分で壊さなきゃならない日がくるの?

それはね。

「もっと自分が自由になるため」、だと思うんだ。

壊すことで、また新しい何かが始まる。

あなたが自由という険しい道を選ぶなら、私は心の底から応援する。

私も険しい道を一歩ずつ、進んでいきたいと思う。

〜宇多田ヒカルさんの「Be My Last」の歌詞をお借りしました。Hikki大好き!!〜
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