選ばなかった選択肢に、応援される私でいたい
何かを肯定することは、それ以外のことを全て否定することだ。
お休みをいただくようになって、今日で4日目。(詳しくはこちらのnoteをどうぞ💁♀️)
本当だったら、7日が仕事始めで…
今頃は毎日忙しく働いてるはずだった。
なんだか、今の私は確かに休んでいるはずなのに、一生懸命働いてる自分もどこかにいるんじゃないか?という気持ちになってしまう。
今までどんなにしんどくても、最長で1週間程度のお盆休みしか休んだことがなかった。
だから1ヶ月もお休みをもらうという選択肢は、私の頭の中に全く、無かった。
それでも今、私はお休みをもらっている。不思議な感じだ。
選ばなかった選択肢は、本当に捨ててしまってよかったのか?
今まで、選ばなかった選択肢はもうこの世には存在せず、いつだって道は1本道で続いてると思ってた。
だけど今回、想定外の「休むこと」を選んだことで、ふと感じたことは。
選んだ道も、選ばなかった道も、実はコインの表裏みたいに一体となってるんじゃないか?
オセロの裏表みたいに、何かがきっかけでパタンパタンとひっくり返ることだって、容易だったのではないか?
そんな思いだった。
抽象的すぎるので具体的に言うと、
過去に選ばなかった選択肢だって、本当は選んでもよかったんじゃないか?ということ。
例えば、私はずーっと会社員で、同じ企業に勤めていて、転職だってしたことはないわけなんだけど…
やろうと思えば、転職したってよかったし、派遣社員や契約社員やフリーランスを選んだってよかった。
だけど何となく、それは選べないと思っていた。
というか、選択肢だとも思ってなかった。
新卒一括採用で何となく就職した企業に、何となく勤め続けて、それ以外の選択肢を否定し続けたのは他でもない自分だった。
今になって、思う。
私が選ばなかった選択肢たちに対して、これまでの私は胸を張れない。
これまで何となく勤め続けてきた私は、それ以外の選択肢を生きるはずだった私に対して、胸を張って肯定する自信がないんだ。
選ばなかった選択肢に、応援される私でいたい
じゃあ今回のお休みについては、どうなのか?
今でも仕事を続けてる私(仮に存在するとして)に対して、私は胸を張って言える。
「今回、勇気を出して休んでよかったよ」って。
きっと、働く私も応援してくれる。
「無理しないで休んで正解だよ。勇気を出してよかったね。ちゃんと元気になるんだよ!」って。
これからは、無数に広がる選択肢に対して、目を背けるのは辞めようと思う。
"うまくいかないかもしれないから"とか、"怖いから"とか、"いまさら挑戦するなんて無理だよ"とか、そうやってごまかすのは、もう辞める。
そんな逃げ腰で選んだ選択肢は、もっと自分が生き生きするはずだった選択肢たちから、応援されないだろう。
そしていつか、別の選択肢を選んだ自分のことを、羨ましがる時がくるかもしれない。
「あの時、あっちの選択肢を選んでおけば…」
そんなのって、情けない。
全ての選択肢は、コインの裏表。
簡単にひっくり返るものだから、もっと自由にやりたいことを選んでいこうと思う。
私がたった一つの選択肢を肯定して、その他の選択肢をすべて否定する時。
その時にも、他の選択肢から「頑張れよー!」って言われる自分であり続けようと思う。
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