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手段が先か、目的が先か?
夫がはてブで見つけた記事が、LINEで送られてきた。
noteに書かれた、エンジニアの方の退職エントリーだった。
記事の内容を要約すると…
文系からエンジニアになったんだけど、「"エンジニアになった"その先に、何がしたいのか?」が明確ではなかった。その結果、しんどくなってしまったとのことだった。(今は元気に過ごされてるようだ。よかった。)
私はこのnoteに、とても共感した。
まるで自分のことを、書かれているかのように感じたからだ。
・「〇〇になりたい」という、手段の目的化問題
前述のnoteを書かれた方は、「エンジニアになる」という手段を目的化してしまったのだ、と私は解釈している。
「エンジニアになった」その先に、何を作りたいのか?何を成し遂げたいのか?
その目的に対して、「エンジニアになる」という手段は、あとから付いてくるものだ。
この構造を、そっくりそのまま自分に当てはめてみる。
私は新卒で就活をしていた時に「大企業の会社員になる」という手段を、目的化してしまっていた。
「その会社に入社して、何を成し遂げたいのか?」という目的が無かったのだ。
(面接対策で考えた目的はあった。だけどそれは本当にやりたいことではなかったのに、見ないフリをしていた。)
私たちは往々にして、手段を目的化してしまう。
一番不幸なのは、その手段に対して魅力を感じていない時だ。
「エンジニアなら食いっぱぐれないから」
「大企業の会社員なら、収入が安定するから」
もちろん、仕事をライスワークと割り切って、趣味を充実させる手段として活用するのは、結構だと思う。
だけど残念ながら、私はそういうタイプではなかった。
仕事にやりがいを求めていたから、「会社員になる」という手段の目的化を、ずっと続けることはできなかった。
・好きなことなら、手段が目的化したっていい
じゃあ、「手段の目的化」は全て悪なのかというと、私はそうは思わない。
本当に好きなことであれば、目的と手段は転倒するから。
例えば私は、「文章を書く仕事に就きたい」という"夢=目的"を持った。
この目的を達成するためには、様々な"タスク=手段"がある。
この一つ一つの手段が、好きなことだからめちゃめちゃ楽しいのだ。
こうしてnoteを書くことも楽しいし、Twitterも楽しいし、これから挑戦しようと思っているライター業やメディア運営も、楽しみでしかない。
こういった手段の全てが、私の目的になっている。
本当に好きなこと・やりたいことであれば、手段が自然と目的化していく。
ときには挫折を感じることもあるかもしれないけど、きっとまた立ち上がれる予感がしてる。
これって理想的な「手段の目的化」なんじゃないだろうか?
・自分の「好き」に蓋をしないで
冒頭で引用させていただいたnoteの著者の方も、今は好きな漫画を描くことを続けてらっしゃるとのこと。
どうか、自分の「好き」に蓋をしないでほしい。
どうせ手段を目的化するなら、楽しいことをやり続けよう。
あなたの好きなことは、何ですか?
その目的を、手段を、楽しめていますか?
もし楽しめていないなら、これからぜひ見つけてほしい。
簡単には見つからないかもしれない。
だけど興味があるものに思い切って手を出していけば、いつかきっと見つかるはずだから。
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