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美術史第31章『新古典主義美術-後編-』

*この記事は30章とそのまま繋がって始まります。注意してください。


ハンガリー革命の様子

 フランスで共和国が復興し、イタリア統一が開始した「1848年革命」もとい「諸国民の春」では、それらの他にも神聖ローマが滅んだ後、ハプスブルク家の勢力下の地域で結成された国であるオーストリア帝国では民族や自由の弾圧の影響でハンガリー、ボヘミア、オーストリア本土で暴動が発生した。

ベルリン3月革命

 同じく神聖ローマ滅亡後にホーエンツォレルン家の勢力地域で結成されたプロイセン王国でも暴動が発生し「フランクフルト国民議会」が結成、現在のドイツを形作る政治思想「小ドイツ主義」の方針が決定している。

チャーティスト運動

 また、ヨーロッパ大陸の主要国以外でもデンマークでは革命で憲法が制定されプロイセンとの衝突も発生、スイスでは分離同盟戦争という内戦が勃発しスイス連邦憲法が制定、イギリスでは選挙法の大幅改正を求める「チャーティスト運動」、穀物法の廃止運動などが発生、ワラキアとモルドバの併合が議論され、ロシア領のウクライナやプロイセン領のポーランドなどでも暴動が起きる事態となった。

かつての17世紀に結ばれ、主権国家を生み出したウェストファーレン条約

 1848年革命発生の原因としては民衆の不満の他にもロマン主義の影響で誕生した民族意識が高まり、一民族で一国家を持とうと言う「国民国家」の思想が誕生したためと言えイタリア統一運動や、小ドイツ主義の議論、ハンガリーなどの暴動は一民族で一国家を持つことが目的となっているといえる。

初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世
ドイツ帝国の領土
初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世

 その後、プロイセンはドイツ民族を概ね支配下に入れドイツ帝国を建国、イタリアでのサルデーニャ王国の下で統一が達成されイタリア王国が建国、オスマン帝国の支配下だったセルビア、モンテネグロ、ルーマニア、ブルガリアもそれぞれ独立を達成することとなった。

皇帝となったナポレオン3世
ナポレオン3世が築いたフランス植民地帝国
パリ改造で整備された道

 また、フランス共和国が復活したフランスではナポレオンの甥ルイ・ナポレオンが大統領に就任、1852年にはナポレオンを継いでフランス皇帝に即位し、民主的で人民主権を重視しながら皇帝の権力も維持するというフランス第二帝国が誕生、パリ改造、金融改革、鉄道網整備などを行い、クリミア戦争に参加した事でイギリスと共に影響力を強め、アフリカやアジアに植民地を拡大していった。

ブーレーのニュートン記念塔
「アル=ケ=スナンの王立製塩所」

  建築の分野では古代建築の遺跡の研究が進んだ事で、建築部位の比例や柱式の決定が議論され、ロココ美術で話した通り18世紀後半には古代建築を規範とした建造物の造営が本格的に開始、幾何学的な比例を重要視した一部の建築家はエティエンヌ・ルイ・ブーレーや「アル=ケ=スナンの王立製塩所」などある意味、幻想的な建築が行なわれた。

サント=マドレーヌ大聖堂
カルーゼル凱旋門
世界で最も著名な建造物の一つでイギリス議会が置かれる「ウエストミンスター宮殿」

 19世紀に考古学への関心が薄れ入りフランスで帝国の威信を示すために美術が使われるようになると、他の美術と同じように過去にあったさまざまな建築様式を応用しての建築が行われるようになり、「サントマドレーヌ大聖堂」「カルーゼル凱旋門」「マルメゾン城」「ウエストミンスター宮殿」などの建造物がこの時代に建築された。

カノーヴァの代表作『エロスの接吻で目覚めるプシュケ』
トルバルセンの将軍ポニャトフスキ像

 彫刻の分野では、古代の彫刻が比較的多く残っていたこともあり、古典美術を理想視する新古典主義において彫刻は美術における最重要の分野とみなされており、古代を目指した特徴を忠実に再現した上で、バロック美術で行われた複雑な構成を融合させたヴェネツィアの彫刻家アントニオ・カノーヴァと、ヘレニズム美術を再現したデンマークの彫刻家ベルテル・トルバルセンが新古典主義彫刻の中で最も著名である。

 この時代の大きな変革としては今まで使われてきた大理石ではない石材や青銅が好んで彫刻材料とされるようになり、ルネサンス以降、造られ続けた裸体彫刻ではなくテーマの人物の時代に合わせた衣服を着用させた彫刻が増加した。

ヴィアンの描く神話画
グルーズの作品

 絵画の分野では1760年代に活躍したジョゼフ・マリー・ヴィアンという画家がロココの絵画に古典的な構図やポーズを使った作品を発表、これ以降、新古典主義絵画が始まり、ドゥニ・ディドロの影響を受けたフランスの画家ジャン・バティスト・グルーズによってローマ史を主題とした作品が制作された。

新古典主義の巨匠ダヴィッドの自画像
ダヴィッドの描くナポレオン
ダヴィッドの代表作「ホラティウス兄弟の誓い」
ダヴィッドの代表作「ナポレオン戴冠式」
ダヴィッドの代表作で世界的に有名な「ソクラテスの死」
ダヴィッドの代表作「マラーの死」

 18世紀末期になるとヴィアンの弟子で「マラーの死」「ナポレオン戴冠式」「ソクラテスの死」「ホラティウス兄弟の誓い」などこの時代最も有名な絵画とも言える作品たちの作者であるジャック=ルイ・ダヴィッドがナポレオン皇帝の宮廷画家となり活躍、新古典主義は全盛期を迎えた。

プリュードンの神話画
ゲランの描く神話画
ジロデ=トリオゾンの神話画

 その後には優美な画風のピエール=ポール・プリュードンや劇的な表現法を用いたピエール=ナルシス・ゲランなど新古典主義を受け継ぐがそうでない要素もあるという絵画が登場、有名な文学者シャトーブリアンの挿絵を担当したアンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンは新古典主義に強い明暗を加え後の時代のロマン主義美術の前触れとなっている。

グロが描いた戦場のナポレオン
世界史レベルで著名な新古典主義の大巨匠画家アングル
アングルの代表作の一つ『泉』
アングルが80代の頃に描いた代表作「トルコ風呂」

 その一方、ナポレオンの肖像画や征絵画を制作していたアントワーヌ=ジャン・グロやドミニク・アングルが完全な新古典主義を継承、アングルはナポレオン没落後にブリュッセルに亡命した後、「トルコ風呂」などを制作、一気に注目され現在では最も著名な画家の一人、新古典主義画家では最も著名となった。

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