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[小説連載]絡新婦 #6(期間限定 全8話+あとがき 無料公開 毎日20時連載)

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各話リンク
#1(第1話)
#2(第2話)
#3(第3話)
#4(第4話)
#5(第5話)
#6 (第6話)
#7 (第7話)2020/07/24(金)更新予定
#8 (第8話)2020/07/25(土)更新予定
#あとがき2020 /07/25(土)更新予定

 目が覚めると、目の前は真っ暗だった。目が暗闇に慣れてきて、時計を見ると7時前だった。どうやら、朝からそのまま寝てしまっていたようだ。パソコンの電源も点けたままで、ファンの低い音が部屋に鳴り響いていた。朝から何も口にしてなくて、空腹でしかたなかった。私はキッチンへと向かい、冷蔵庫の上におかれた昨日の昼食の残りのフランスパンを取り出し、冷蔵庫を開けて、一昨日に残り物のベーコンや野菜などで作ったクリーム煮をタッパーから皿に移し電子レンジで温めた。その間にフランスパンを切り分けて皿に乗せ、電子レンジで温め終わったクリーム煮と共に、そのままパソコンのデスクに運んで椅子に腰掛けた。

 フランスパンはとても湿気っていたので、クリーム煮に浸して食べることでそれを誤魔化した。窓の外を見ると、もう辺りは夜の帳に包まれていて、ディスプレイの明かりだけの室内からは外のベランダ辺りまでしか見えなかった。ベランダには朝干した洗濯物が下がったままで、これを食べ終わったら取り込もうと思った。そのまま、物干し竿の端の方に目を向けると、朝の蜘蛛だろうか、早くも新しい巣を張っていた。まだ巣は未完成のようだったが、蜘蛛も夕食時のようで、小さな羽根のついた虫を捕らえて食べていた。

  私みたいだな。

 食べている様子がというよりも、私の行動そのものがといった方がいいだろう。私は最近までまったくインしていなかった仮想空間に頻繁にインするようになり、夜な夜なネットで知り合った男たちと寝ていた。それが、何もかもがどうでもよくなってしまい満たされない心を体で満たそうとしているのか、それとも単に何もすることがないからなのか、自分でも理由が分からなくなっていた。ただ、体が望むままにそうしていた。誘う男は様々で、知り合いに話しかけて誘うこともあったし、初対面の人でもそのまま相手が良さそうならば話をあわせて会って寝る流れへと持ち込んだ。そう、丁度それは蜘蛛の巣に獲物がかかって、蜘蛛がそれを食すように。

 食べ終わった後の食器を流し台に置き、取り込んだ洗濯物をベッドに放り投げ、コーヒーメーカーのポットから冷めたコーヒーをカップに注いで、パソコンに再び向かった。案の定、朝淹れたコーヒーは冷め切っていて、もう苦味しか感じなかった。仮想空間にインすると、誰もまだオンラインになっていなかった。まだ7時過ぎなので、夕食を食べている人や帰宅中の人ばかりなのだろう。仕方がないので何処かに行って時間を潰そうと思い、以前彼とよく行ったバーに向かうことにした―


 ネットカフェの店内に入ると、ニスのきつい匂いが漂ってきて少しくらっとした。円形のカウンターには退屈そうな店員が一人、店の外を眺めていた。カウンターに行くと、「いらっしゃいませ」という歓迎の声とは全く分離した態度で俯いてレジを打ちながら「会員証はお持ちですか?」と聞かれた。持っていないと答えると「ならばお作りしますので、身分が確認できるものをお持ちですか?」と言われ、財布から車の免許証を取り出して渡した。すると、ボールペンと書類を渡され、そこに名前などを書き込んでくれと言われた。その書類に、名前の苗字を書いているときに父の顔が浮かび、年齢を書いているときに今までの父との思い出が浮かび、住所を書いたところで現状を否が応にも思い出した。何をしているんだろう。こんなところで。
 感傷に浸っていると会員証を手渡され「何時間のご予定ですか?今ならナイトコースが御座いまして―」と店員がこの店のシステムを説明してくれたが、よく言っている意味が分からなかった。私には言葉が単なる音の羅列にしか聞こえなくなり、ただ店員の口の動きだけを眺めていた。反射的に「泊まりで」と説明を遮るように答えると、勝手にコースを決めてくれ番号札のついた鍵を手渡された。私は覚束無い足取りでその番号の個室へと向かった。

 廊下を奥へと進み突き当たりの扉を開けると、エントランスの照明よりもやや少し暗い照明が並ぶ廊下がさらに続いていた。その廊下には、同じ扉が両側の壁にずらっと並び番号が順番に振られていた。各番号の書かれた部屋を通り過ぎるたびに、ピザや、ポテトや、ハンバーガーや、ジュースなどの食べ物の匂いが、各部屋から漏れ出してきて気分が一層悪くなった。自分の部屋の番号にたどり着くと、隣から少し声が聞こえてきた。それはただの声じゃなくて、どうやら喘ぎ声のような声だった。何をやっているんだとさらに気分が悪くなったが、仕方なくそのまま個室に入った。


 個室に入ると、また気分を害すような惨状がそこには広がっていた。紙コップの清涼飲料が蓋を開けられたまま放置されていて、食べ残した何かが入った紙袋も放置されていた。狭い部屋にはその匂いが充満していてさらに気分が悪くなった。「だろうな」と一人納得して、リクライニングチェアに深く腰をかけてそのまま仰向けに倒れた。あんな店員だ、片付けもろくにしないだろう。天井を眺めていると、隣からさっきの喘ぎ声がわずかに聞こえてきた。女は声を必死に押し殺しているようだが、唾液の交わる音や服の擦れる音が微かに聞こえてくる。聞きたくも無いのに、ますます気分が悪くなる一方だった。何かせずにはこの苦痛に耐えられないと、体を起こしてデスクに置かれたパソコンの電源を入れようとすると、すでにパソコンの電源は点いたままで、何かのアプリケーションが立ち上がっていた。そこには3Dグラフィックで男性の姿が描写されていて、なにやらその男性のキャラクターはバーのようなところに放置されていた。個人情報もあったものじゃないな、どうせ私の会員情報もこんな杜撰な店から漏洩して、様々な企業のダイレクトメールとなって届くのだろう。不快な音から耳を塞ぐためにヘッドホンをかけるとバーの環境音らしきものが聞こえてきた―

 彼とよく通ったバーに入ると、そこには先客がいた。先客のその男はただ一人ぽつんとカウンターの椅子に腰をかけていた。その男は初めて見る顔で、私が店内に入っても、何一つ言わずにそこに居るだけでそのまま放置して席を立っているのではないかと思うほど反応がなかった。あまりにも反応がないので声をかけてみた。


  「こんばんは」


 声をかけても、男から一切反応がない。きっと何処かに行っているのだろう。そう思って、私が別の場所に移ろうと動き出すと


  「こんばんは」

 男性からの返事があった。

  「今、暇?」

 急に、バーに入ってきた女性から話し掛けられた。

  「暇だけれど、なんで?」

 一々話すのも面倒なので端的に男に答えた。


  「今、現実で暇かってこと。」

  女が不思議な事を聞き返してきた。

  「ああ、暇だけど。」

  男の返答に対してこう言った。

  「じゃあ、何処か連れて行ってよ。私も暇なの。」

  女はそう言ってきた。

  「何故?大体お互いどこに住んでいるかもわからないし。」

  私は男の返答を待たずにこう言った。

  「私、今何もする気が起きないのよ。だから、何処か連れて行って。」


  
  私みたいだ―

  「わかった。場所は何処。今から行くから。」

 そう答えると、女は待ち合わせ場所を書いてきた。案外近くに住んでいるようで、待ち合わせ場所はこのネットカフェの近くの駅から二駅先の駅前だった。早速私は向かうことにした。自分でも何故かはわからない。でも体がひとりで動き出した。相手が、男でも女でもどうでもよかった。ただ、自分と似たような境遇の人間がそこに居る。それだけで十分だった。

 扉を開けると、隣の部屋からジーンズ生地のショートパンツに、紫のダウンを着た若い女が部屋から出てきた。さっきの喘ぎ声の主だろう。その後からその女よりも年齢が高めの、上はジャージ、下はジーンズを穿いた男が女に向かって「先に行って」と扉の間から顔を覗かせた。私は開けた扉が若い女が通るのに邪魔になるだろうと思い、一度扉を閉めて若い女が通り過ぎるのを待った。女が、続く廊下の扉を開ける音を確認してから再び扉を開けると、今度は隣の男が出てきて、また扉を閉める羽目になった。扉の隙間から男が出て行くのを見ていると、男は手に持ったハンディカムをバックにしまいながら通り過ぎていった。本当に、本当に、つくづく気持ちが悪くなる場所だと嘔吐しそうになった。

 店員に、「さっき来たばかりなのに」という顔をされたが、会計を素早く済ませて店の外へと出た。「こんな気持ち悪い場所にずっと居てたまるか。」と振り返って、店内の店員に向かって言い放ったが、相変わらず店員は俯いてカウンターに前のめりにもたれ掛かりながら、レジの周りを気にしているだけだった。私は隣の駐車場に停めていた車に乗り込み大通りへと車を走らせた。

 自分でも馬鹿馬鹿しいことをやっているのは分かっていた。見ず知らずの男とも女とも分らない相手のところに、父親が亡くなったという夜に車を走らせているのだ。ビルのネオンや、街灯の光、車のライトが筋をなして通り過ぎてゆく。すべてがぼんやりとしている。
 女の気持ちは手に取るように分かった。何故女がそう思ったか理由は分からない。でも、何もする気が起きない夜に誰かに連れ出して欲しい気持ちは分かった。私が待ち合わせ場所に向かう理由はそれだけで十分だった。例え私がこのまま事件に巻き込まれて死んでも、私はそれでいい。此処にはもう愛していた父も居ないのだから。

 車からは妙な金属音が聞こえていた。その音は周期的にして、カツンカツンと金属同士がぶつかり合うような音だった。でもそれさえもどうでもよかった。このまま車が故障して、事故に巻き込まれて死ぬのもいいなとも思った。私はゆっくりとアクセルを踏み込み加速した。車を走らせているというより、道路を垂直に落ちていっているような気分だった。どうせ地に落とされるのだ。あのマンションからも、父がくれたあの部屋からさえも蹴落とされるのだ。いっそ目の前に並ぶ街灯に叩きつけられて、死んでしまえればいいのに。そう思えるぐらいもう、どうでもよかった。もう、どうでも―

 電車に乗り込みながら妙だなと思った。何故あの男は、即座に躊躇なく私と会うと決めたのだろう。でもさして気にするほどでもなかった。何かで自分の中に空いてしまった穴が一時的にそれで塞げるのなら。最初から空いてしまったその穴を完全に塞ぐことは出来ないことも分かっていたし、心を満たすことも出来ないことは分かっていたので、一時的にでもその傷口を塞ぐ何かがあればそれで十分だった。


  このまま、殺されてしまったら―

 なんの脈絡も無くそう思った。でも、それも良いかもしれない。このまま芯から突き動かされるような生きる情熱も湧き上がってこないなら、死ぬ事なんて少しも怖いことはないのだ。寧ろ今怖いのは、仕事にさえ就けない自分よりも、まともな生活が出来ていない自分よりも、今電車にこうやって乗っている自分よりも、これから抱かれてしまう自分よりも、殺されてしまうかもしれない自分よりも、ぼんやりと感覚すべてが働かず、ただ漂っている自分が一番怖かった。そして、厭だった。ただ、厭だった―


 電車から見える夜の町の姿は、光で満たされてはいてもけして明るい光景ではなく、誰の心も照らすこともなく、ただ、街の輪郭を浮かび上がらせるのみだった―

 駅前に停めた車の窓から見える行き交う人の姿はどれもこれも、駅からの逆光で人をぼんやりとただ輪郭を浮かび上がらせるだけだった―


  一体、私は何をしているのだろう―


 黒い軽自動車を駅の前の駐車場に停めて待っている。黒いジャケットを着ている。ただそれだけしか相手から聞いていなかったが、それだけの情報で十分だったようだ。駅前の駐車場の入り口を入って直ぐ右手にその車が停まっていて、車内には黒いジャケットの男がいるようだった。ようだというのも、街灯の光がとても弱いので相手の顔もよく見えなかった。そのままその車に向かい、助手席の扉を開けて乗り込んだ

7へ続く(2020/07/24 20:00更新予定)

©2019 絡新婦 村永青(むらなが はる)

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