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[小説連載]絡新婦 #5(期間限定 全8話+あとがき 無料公開 毎日20時連載)

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各話リンク
#1(第1話)
#2(第2話)
#3(第3話)
#4(第4話)
#5(第5話)
#6(第6話)2020/07/23(木)更新予定
#7(第7話)2020/07/24(金)更新予定
#8(第8話)2020/07/25(土)更新予定
#あとがき2020/07/25(土)更新予定

 そうこうしていると日も完全に沈んでしまい、朱璃がもう時間だといい始めたので店から出た。外はとても肌寒く、ジャケットを着てきたのは正解だったなと思う。朱璃が心細そうに「静の変わりに来ない?」と私に縋ってきたが「いや、あんたと昨日呑んだ帰りに車を置いてきたから、それを取りにいく」と断ると、わざとらしく哀しそうな顔をして片足で空を蹴った。

 朱璃と静を店の前で見送って、私は昨日車を停めた駐車場へと向う。駅前のこの店から駐車場へは街中の大通りを抜けていくと遠いし、外はあまりにも寒くて早く車までたどり着きたかったので、路地裏を通って近道することにした。私は信号待ちをしている間にイヤホンをつけた。信号が青になり、歩き出すと、横断歩道を渡り終えた辺りで携帯電話がヴーヴーと低い音を立てて震えた。ジャケットのポケットから取り出して開くと、母からの電話だった。

 「もしもし」

 私がそう言っても、返事はなかった。もう一度「…なに?」と少し威圧するように言ったが、向こうからはまったく返事はなく、耳元からはサイレンの音やガヤガヤと騒ぎ立てるような声が漏れてくるだけだった。暫くすると電話口でガサっと音がして

 「ああ、もしもし!七海今何処なの!」

 半ば叫ぶような声で、母が電話口で怒鳴った。「一体、何…?」と苛立ちながら訊ね返すと、電話口からは「今、色々事情を説明してるところなんだけど―」や「いえ、娘です―」と支離滅裂な言葉が聞こえてくるだけで、一体なんのようなんだとさらに頭にきはじめていると、電話口に戻った母が

 「お父さんが亡くなったの!今、警察の人が居て―」

 一瞬耳を疑った。反射的に「何?」ともう一度聞き返すと、電話口からは「どうやら会社の社長室で首を吊って死んでいる父が発見されたらしい」や、「遺書があったことからも自殺だろう」とか、「とにかく帰ってきなさい!」とか、「迎えを出すから場所を教えて―」といった言葉が聞こえてきたが、どの言葉も私の耳から零れ落ちて地面に浸透していくだけで、私には何一つ理解できなかった。何故、何故、父が突然。私が状況を飲み込めずにいると、

 「お父さんの会社、不動産を扱っていたでしょう…?それで今回の不況の影響を直に受けてしまって、会社の経営も逼迫してた状態だったの。それで会社自体も傾いてきていて…どうしようもなくなって…。そのことを全部自分の責任だと思って―」

 母が何か喋っているのはわかった。でも、どの言葉も意味が分からなかった。いや、何一つ分かりたくもなかった。何も分からない、なんで。なんで、父が私の前からいなくなるんだ。あんなにも私を思ってくれていた父が。でも、そんな思いとは裏腹に、次の瞬間自分の口から出た言葉はまったく別物だった。

 「んじゃなんで、なんで、あんたは、そんな、お父さんを放っておいて遊び呆けてたのよ。」

私は母に向かって淡々と聞き返した。すると母は「今そういう話をしているときじゃないでしょ!いいからこっちに来て―」と怒鳴り、私は無性に腹が立って電話を切った。直ぐに携帯電話に着信があったが、そのまま電源を切った。

 何が起こったのか、何を言われて、何をすべきか分ってはいたけれど、そのどれも受け入れたくなかった。父が事業に失敗して自殺。でも、父は会社が危機的状況にあるなんて、そんな陰を一つも見せなかった。そうだ、母のせいだろう。あの女は、父がそんな状態であることを知っていたはずなのに、夜な夜な会議だ、打ち合わせだ、接待だという名目を立てて豪遊していたではないか。そんな母を見て絶望して自殺してしまったんだ。いや、でも…。でも、父はそんなに器の小さな人間じゃない…。母が結婚する前に二股をしていて、その相手と別れきれずにいたのにそれを待っていた父だ。やはり…やはり…、事業の失敗に責任を感じて自殺を選んだのだろうか―

 体だけが駐車場を目指すために路地裏を通り抜けようとしていた。路地裏には誰もいない。自分が歩く方向の先には賑やかな歓楽街があるが、ここは薄暗く、電柱に備え付けられた街灯でようやく道が見えるぐらいだ。私はイヤホンを外した。雑踏の中での音は遮断したいが、緊張を強いられるこういう場所ではつけない。高校3年のとき、こんな暗がりで強姦にあった。そのときから暗い道は怖くて堪らない。父は強姦にあった時に物凄く優しく接してくれた。着ていた服がボロボロになるほど犯された私を抱きしめてくれた。私は気の強いほうなので男性恐怖症にはならなかったものの、多少のトラウマは残った。そして父が抱きしめてくれたあの時から、父のような人となら一緒に幸せになれるかもしれないと思い始めた。父となら一緒に居られると―

 でも、その父はもういない。

 コツン、コツン、と何か硬いもの同士がぶつかるような音がした。頭上を見上げると、小さな蛾が街灯に体当たりをしながら飛んでいた。そして、その蛾の手前には蜘蛛の巣があり、蜘蛛が小さな米粒のような虫を糸で雁字搦めにしている様子が見えた。蜘蛛は手元が狂ってしまったのか獲物を落としかけたが、獲物はだらりと糸に垂れ下がるだけで、地面に落下することはなかった。私は思わずその光景から目を背けた。


  父も、今はあんな姿だ。

 私が見たくないものをまざまざと「逃れるな」と言わんばかりに見せつけられた気がした。少し早歩きで、煌々と明るい光が差し込む賑やかな歓楽街の方へと急いだ。でも、急ぎ足でそちらへ向かう私自身が光に寄せられて彷徨う虫のように感じた。今しなければならないことは分かってはいるのに、体が光に吸い寄せられてしまう虫のようだった。
 暗い路地裏を抜けて歓楽街に出る。駐車場へと行く道すがら、グローブとヘッドギアをつけた男が若い男性に殴られていたり、コンビニの前で首をだらんと垂らして屯しているものがいたり、客引きで男を誘う女たちがいた。その光景は車道に沿うようにしてどれもだらしなく陳列されていた。行き交う車はヘッドライトやテールランプの光の筋を残し、忙しく動き回りながら乾いた音を飛び交わせていた。どれも目障りだ。耳障りだ。五月蝿い。

  どれもこれも、虫。

 気がつくと、昨日車を止めた駐車場に着いていた。でもこの車に乗って今あの場所に行ってしまったら、自分はどうなってしまうんだろう。不安になってとても帰ることができなかった。それに今、母の、あの女の顔すら見たくない気分だった。兎に角、一旦何処かで休みたかった。一時的にでも何処かに腰を下ろして考える時間が欲しかった。私は駐車場の隣にあるネットカフェに向かって歩き出した―

6へ続く(2020/07/23 20:00更新予定)

©2019 絡新婦 村永青(むらなが はる)

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