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水曜日の会議

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毎週水曜日更新。ときどき水曜以外にも更新。どうしたら毎回こんなにくだらないことが書けるのだろうか、と書いている本人も呆れています。本当に申し訳ないです。
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#コピーライター

徹夜とわたし

そういえばいつから徹夜しなくなったのだろう。 ある日の朝、唐突にそうおもった。そうおもっ…

お金のことを口にするのは

「クリエイターたるものお金のことを口にするのはよくない」「追求すべきはモノづくりであって…

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面白いことを言う人と広告コピー

すごい真理というものを、若くして知る事ができた人から成功する。 これは間違いない事実です…

2022年の大型連休を振り返る

ついせんだって、オンテッドリーからこんなメールが届いた。 ずいぶんとまた、昔の出来事を振…

東京広告制作者独立奇譚

これは、一度出社すると2週間ぐらい家に帰れない制作プロダクションで働いていたとき、ボスか…

きょ年の服では、恋もできない。

昨日、Twitterでこんなつぶやきをした。 したついでにちょっとした昔ばなしをおもいだして連…

狂気と正気は紙一重

22歳から25歳までの3年間、ぼくは世の中で何が起こっていたのかまったく知りません。流行りの音楽も、衝撃的な事件や事故も、人気のお笑いも、政治経済含めてまるごとズッポリ記憶がない。記憶というか知見がない。 勤め先のコピーブティックとアパート。それだけがぼくの世界でした。 世間一般と完全に分断されていた。テレビを眺める時間も、新聞を読む気力もなかった。音楽を聴いたり、映画を観たり、旅行に出かけたりする余裕もない。ファッションや食事、お酒を楽しもうという意欲すら。 知ってま

フリーランス×サラリーマン=フラリーマン

14年間勤めた上場企業を辞めて渋谷のベンチャーに転職したのは45歳の秋。年収は300万円ダウン…

霞町『浜の家』のおもいで

代々木公園から原宿を抜けて表参道へ。交差点を赤坂・乃木坂方面に直進すると右手に根津美術館…

オフィスで年末年始を過ごした24歳男子の話

あれは24歳になったばかりの年末。夏の終わりからはじまった某携帯電話最大手(当時)のプロジ…

耐え難くも甘いBUNBUN倶楽部

ぼくの名前が「博報堂の博」と「電通の通」で出来ているという話はあまりにも有名ですが、実は…

ラジオCMのアルバイトを一度断ったら二度と発注されなかった話

なんとなくのイメージとして、コピーライターとして会社に属していながら外部からの依頼を受け…

そのオフィス移転、私心なかりしか

ぼくが20代に六本木のアウシュビッツと呼ばれた事務所で毎日徹夜していたことはすでに有名な話…

追憶の六本木ランチ

ぼくの初任給は11万円でした。いまから32年前、1988年のことです。そしていろいろあって辞めるときには15万円になっていました。それが転職先の2社目では13万円に。そして3社目でまた11万円に戻ってしまいます。 ふつう、コピーライターの若手というのは転職を重ねてキャリアもスキルも、そしてお給料もアップしていくもの。どうしてぼくは右肩下がりなのでしょうか。いまならわかります。バカだから、です。目先の計算がまったくできないんです。 まあ、それはそれでいいとして(いいのか?)