狂気と正気は紙一重
22歳から25歳までの3年間、ぼくは世の中で何が起こっていたのかまったく知りません。流行りの音楽も、衝撃的な事件や事故も、人気のお笑いも、政治経済含めてまるごとズッポリ記憶がない。記憶というか知見がない。
勤め先のコピーブティックとアパート。それだけがぼくの世界でした。
世間一般と完全に分断されていた。テレビを眺める時間も、新聞を読む気力もなかった。音楽を聴いたり、映画を観たり、旅行に出かけたりする余裕もない。ファッションや食事、お酒を楽しもうという意欲すら。
知ってました?お酒って意欲がないと飲めないの。追い詰められるとお酒に逃げることすらできないんです。
朝、絶望的な気分で会社に行く。目の前に仕事がある。でもひとつも進まない。書いても書いてもボツになる。ボスからOKが出ないことには終わらない。終わらなければ帰れない。徹夜のはじまりです。
これが、ひどいときは2週間続く。月曜に事務所に行って、帰るのが翌々週の木曜日ということもある。その間、ほとんど徹夜に近い毎日。
それがぜんぶ自分の能力不足によるもの、という絶望的な状況でした。何かのせいにすることもできなければ、逃げることもできない。せめてもう少し気の利いたコピーが書ければ。ボスのOKがもらえるコピーが書ければ。
そんな毎日を送っていると、ちょっと感覚がおかしくなります。感覚がおかしい人間が書くコピーがまともなわけありません。すると書いても書いてもボツになるサイクルにハマる。締め切りまでずっとボツが続きます。最後の最後にボスが「しょうがねえなあ」と言って回答のようなコピーを書く。
それを見て、あふれ出てくる感情。
それは「これで帰れる…」でした。
■ ■ ■
自分のアホバカ小僧時代の話を面白おかしく書こう、と思っていたのになんだかダークなトーンになってしまい、自分でもびっくりしています。本意ではないのでちょっと彩度と明度あげます。
ある夜、いつものようにOKが出ないコピーを書いていました。あれは確か小田原のほうに建てられるマンションだったかな、戸建てだったかな。とにかくコピーブティックが得意としていた不動産関係の仕事です。
ホールズを舐めながらその日2箱目のキャメルマイルドに火を点けて、ボスの叱責を思い出しつつキャッチコピーをひねり出そうと脂汗をかいていました。もう300本は書いたと思います。
「木を見て森を見ずなんだよお前は」
「購入者の気分を想像しろよ、想像」
「お前のコピーには学がなさすぎる」
「文学性の欠片も感じられないんだ」
「もっと色気ってもんがあるだろう」
「表現ってのはふくらませるものだ」
「お前このコピーで買いたくなるか」
「売りの現場がぜんぜん見えてない」
……この他「お前みたいなヤツがコピーを書くなんて世も末だな」とか「とっとと名古屋に帰っちまえこのゴミムシ野郎が」とか「もうお前に何を教えたらいいかわかんないよ」とかも言われていました。
でも、不思議と平気でした。
なぜなら、たしかにそうだな、と妙に納得できたからです。ボスは決して間違った事は言ってない。おっしゃる通り。できていない自分が悪いのだからどんなこと言われても仕方ないよね。
その夜もいつものようにひたすらコピーを絞り出し続けるつもりでした。なのに、なぜか急に書けなくなったんです。コピーどころか、文字すら書けなくなった。一文字も。
もしかしたら限界だったのかもしれません。体力の限界っ、気力もなくなり…というのは横綱千代の富士の引退会見の名ゼリフですが、弱冠23歳にしてその言葉を口にする日がきちゃった?
これにはさすがのdullなぼくも焦りました。
■ ■ ■
やばいやばいやばい。時計の針は午前4時半を指しています。窓の外は漆黒の闇。明日、っていうか今日ボスが会社に来るのは…いつもより早めの9時。あと5時間しかないのに、キャッチが一本も書けていない。
ゆうべも帰り際に「朝イチまでにキャッチ仕上げておけよ」「最低でも100本な」と言われたのに。どうするどうする。気ばかり焦ります。
とりあえずチャゲアスでも歌うか。
「ああ…午前5時…」
と『モーニングムーン』を歌っているうちにホントに5時になりそう。なんでこういう時に限って時間の進みが早いのか。とりあえず過去に書いたコピーをもう一度ひっぱり出すか。いやそんなことしてバレたら殴られる。
……ボスの作品集からパクるか。
よおし、そうしよう。そうするしかない。覚悟を決めたぼくはボスのデスクの後ろのクローゼットにしまってある作品集を漁ろうとしました。
「ガチャ」
あれ?鍵かかってる?
マジか……万事休すか。ってほど万事尽くしてないけどな。さあ本格的にヤバくなってきた。どうするどうする。
そうだ…もうこうなったら
狂おう。
そうだよ、狂えばいいんだ。狂っちまえばさすがのボスも同情してくれるはずだ。それだけじゃなくて今日はもう帰っていいと言ってくれるかもしれない。少なくとも愛人兼秘書はハヤカワくん帰りな、と言うはず。
キャッチ書いてなくても責められないし、しかも帰ってもいいとお許しまでいただける。めちゃくちゃいいプランじゃんね。
よし!さっそく実行だ。
と、いうことでぼくは早朝6時半にデスクの下のささっと潜ると
(あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ…)
とわななきながら小刻みに震える、という自分なりの「狂ってしまった人」のモノマネをはじめました。目は白目。口元には涎。完璧じゃん。
(あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ…)
このままあと3時間もやりすごせばボスが来てぼくを発見してくれる。そして「ハヤカワ、お前、どうしたんだ!?」と心配するだろう。ぼくはそれには応えずひたすらわななきつづけるぞ。「いいよ、お前、もう帰れよ」と言ってくれるまで。
(あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ…)
10分ほど経過したでしょうか。ぼくはふと「あれ?このままこれやり続けると、本当にくるっちゃうんじゃないか?」と思うに至りました。
そして、ふと我に返り、デスク下から抜け出し、洗面所で水を一杯飲みました。鏡にはボサボサの頭に目の下の隈がまっくろな自分の顔が。だいぶ痩せこけて、ヒゲぼうぼうです。
(おれ、なにやってんだろう)
ぼくはデスクに戻り、また一からキャッチコピーを練りはじめました。
■ ■ ■
ボスが来るまでになんとか30本ほど形にして、朝イチでコピーチェックです。その日は珍しく書いたキャッチを事務所の壁に張り出すスタイル。ミスったコピーの裏紙、一枚にキャッチ一本。30本あるとなかなか壮観です。ダメコピーもなんとなく光ってみえる。
「うーん」
ボスは30本のコピーを眺めながらうなります。
「よくないな」
そうですか。
「いいか、キャッチってのはこう書くんだよ」
そういいながらボスは事務所オリジナルのA4原稿用紙のどまんなかに太いダーマトで
横浜、丘の手。
「な、これで言えてるだろ全部」
鼻息あらく、どうだと言わんがばかりです。
ぼくは「ははーっ!さすがでございます!ありがとうございます!」と頭を深々と下げて「わー、横浜丘の手かー。なんでこれが出ないんだよオレからは…」とかひとりごとのようにヨイショします。
「じゃ、オレ、マッキャン行ってくるから」
いってらっしゃいませ、と玄関で正座してボスをお見送りします。ああ、ようやく終わった。今日は帰れる。それにしても狂ったマネなんかしないでよかった。本当によかった。あのままやってたら本当に狂ってた。
そして、この時ボスがどうよって感じでサラリと書いた「横浜、丘の手。」は、以前ぼくが提出してボツになったキャッチなのでした。もちろんわかってましたがそれを口に出すほどバカではありません。
そして、その時にはじめて(俺、ちょっとだけ書けるようになってきたのかも…)とひそかにうれしく思ったのであります。
その一年半後、ぼくはコピーライターからあっさり足を洗うのでした。
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