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オフィスで年末年始を過ごした24歳男子の話

あれは24歳になったばかりの年末。夏の終わりからはじまった某携帯電話最大手(当時)のプロジェクトが年内で終了する予定が押しに押して、どうもこりゃ年末年始休んでるわけにはいかないなあ、なあハヤカワ、と社長に肩を叩かれまして。

それまでレンタルのみだった携帯電話がとうとう買取も選べるようになったよ、という時代。いわゆる第一世代というやつですね。そのレンタル/買取スタートが翌年の4月に控えていて、それに向けた広告制作を担っていたのであります。

もちろん4マス媒体は雲の上のほうにあると聞くステキ代理店やステキプロダクションが手掛けるに決まってます。ぼくがいた末端のさらに下請けなんてのは上から降りてくるクリエイティブをいかに上手く流用しつつ、パンフや業界紙、社内印刷物などをシコシコ作るのであります。

それだけに作業量と点数が多いの。あと細かいの。あと電子機器ってこともあって仕様がギリギリまで変わるの。おびただしい量の資料と数字の山との闘いでした。しかも雲の上のほうのクリエイティブが二転三転し、なかなか決まらない。

せっかく納品寸前まで積み上げてきた各種印刷物のクリエイティブでしたが最後の最後でひっくり返って再びやりなおし、と相成ったわけです。

ちなみにそのプロジェクトメンバーたる某大手代理店や、その携帯大手の親会社がこしらえたばかりのハウスエージェンシーの人たちは見ていて発狂するぐらい優秀な人ばかりでした。しかも物腰やわらかいし。いい人たち。

なので納品寸前のやり直しにもぼくはなーんにも言わず(言えず)「ハイよろこんで!!」とやる気茶屋ばりの元気と愛想のよさで年末年始休暇を返上することになりました。

■ ■ ■

「じゃ、あとはよろしくな。よいお年を」そういいながら笑顔でオフィスをあとにする社長を正座してお見送りしたぼくは、さてと、と独り言をつぶやいてデスクに向かいました。

パンフレットのトップページを飾るキャッチコピーは『どこも、満開。』というもの。まさかこんなダジャレ(はいこれでだいたいどこのキャリアかわかりますよね)はありえないだろうとおもっていたんですが、なぜかこれがボスのチェックを「いいんじゃない、春だし」と通った。

さらにするりするりと代理店やハウスエージェンシーのCD、そして驚くことにクライアントからも承認が得られた。たぶん店頭置きのパンフはそんなに重要なものじゃないと認識されていたのでしょう。それでもOKはOKです。しかも上流のクリエイティブとは明確に分けられていたので年末に吹き荒れた修正の嵐の影響もうけず。

しかしパンフレットで重要なのはイメージコピーではありません。商品ごとの特徴を端的に、わかりやすく、魅力的に伝える。そしてスペックを正確に表記する。表記ルールや凡例までぼくが作っていたので、大変でした。

事務所の社長の方針は、パンフレットにしても、チラシにしても、マス媒体にしても、その広告にある文字の全責任は担当コピーライターが負う、というものでした。非常に潔く、男気あふれるルールなのですが、実際に手を動かす現場からするとかなりヘビーです。なんせ表組みのレイアウトまですべて作るんですから。もちろんエクセルなんてない時代です。

不動産の仕事なんかだとさらに加速して、現地の地図を書き起こすんですよコピーライターなのに。おかげでキルビメーターの扱いにも慣れ、現地案内図はおろか路線図などもオリジナルで作れるように。用地用途や建蔽率、容積率まで詳しくなった挙げ句、代理店の営業さんに「ハヤカワくん宅建取れるよ、マジで」と太鼓判を押されました。なんの太鼓判なのよ、それ。

で、話をもどすと、年明けにリリースされる新製品がメーカーごと6種類。だいたいどの機種も小さい。だいたいどの機種も薄い。だいたいどの機種もビジネスシーンにフィットする。あとは通話品質については触れてならぬというお達しだったので差別化なんかできない世界です。でもしなくちゃいけない。それがオレの仕事。

ってことでなんとかスペックから特徴を立ち上げて、切り口と表現を少しずつ変えていくことで6種類の違いを出す…という作業をやっていたらあなた、大晦日でした。

テレビ付けたら除夜の鐘が鳴ってるじゃないですか。そういえば今日は朝から何も食べてなかった、とおもい、よし、まだ終わってないけどおそらく1月2日にはフィニッシュできそうだから、いったん切り上げてメシでも食いに行こう、とダウンジャケットを手に事務所を出ました。

いったん切り上げて家に帰ろう、じゃなくてメシでも食いに行こう、というあたりが完全に感覚マヒってますよね。完全感覚Dreamerですよ。

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あ、ちなみにこのとき事務所は六本木ではなくて、赤坂に移転していました。赤坂といっても最寄り駅は青山一丁目。青山ツインタワーの近くです。歩く土屋耕一さんを目撃したり、櫻井よしこさんとすれ違ったり、山王病院で某芸能人を見つけたり、というナイスな立地。

外に出ると小雪がチラホラ舞っているではありませんか。そして驚いたことに、あてにしていたツインタワーの飲食店はどこも開いていませんでした。よく考えれば当たり前ですよね。いくらなんでも大晦日の0時過ぎ。

これが豊川稲荷や氷川神社のある赤坂であれば賑わっていたはずです。しかし青山一丁目界隈は当時はまあ静かなものでした。困ったぼくは、コンビニってこの辺あったっけ…とウロウロしはじめます。そういえばまだコンビニも少ない時代。

だんだん寒さと心細さで悲しくなってくるのですが、そんなぼくをやさしく迎え入れてくれるオレンジ色の看板を見つけました。そうです『牛丼ひと筋80年』で有名な牛丼チェーンです。ぼくは満面の笑みでカウンターに座り、大盛りつゆだく生卵に味噌汁を頼みます。

店内BGMからは「あけましておめでとうございます!1994年も〇〇屋は早い、安い、うまいの三拍子揃えてみなさまのお越しをお待ちしております」というナレーションが繰り返されます。

そうか、もう1994年なのか、となにが「もう」なのかさっぱりわからないくせにそれっぽいことを頭に思い浮かべました。

入店からずっと、お店のお客はぼくだけ。食べ終わるとぼくはどことなく居心地が悪くなって「ごちそうさまでした」と店員さんにお金を払い、またオフィスに戻っていきました。そして作業の続きにかかります。

翌日、いわゆる元旦です。昼過ぎまでソファで寝てしまったぼくは、なんだかちょっと仕事する気になれず、ボーッと事務所備付けのテレビを眺めていました。ブラウン管の向こうではお笑い芸人が渾身のギャグを繰り出します。振袖姿の女の子が爆笑します。

そうかとおもうと日本全国空からお年玉、みたいな企画でヘリからの映像が。なんか見覚えあるなとおもったらふるさとの名古屋でした。ああ、今年は正月帰れなかったな。ほんとうならいまごろおばあちゃんの墓参りしてから雑煮でも食べてるはずなんだよな。

そんなことを考えていたらまたハラが減ってきます。まったく、体をぜんぜん動かしていないのに、定期的にハラが減るというのはどういうことなんでしょう。仕方なくぼくは昨日と同じくダウンを羽織って外にでます。

■ ■ ■

もちろんオフィスワーカーを対象にして営業しているツインタワーの地下レストラン街はひっそり閑です。「しょうがないか、正月だもんな」とあきらめて、ふたたび牛丼チェーンの門をくぐることにしました。もちろん客はぼくひとりです。

注文はもちろん、大盛りつゆだくと生卵と味噌汁です。するとカウンターに牛丼を運んできたお兄さんがぼくのことをじっと見つめるではありませんか。ん?オレなんか変なこと言ったかな?

牛丼を食べ終わり、お茶を飲んでいるとさっきのお兄さんがやってきて「すみません、お客さん」とちょっと照れた表情で切り出します。

「昨夜もいらっしゃいませんでした?」
「あ、は、はい…」
「失礼ですが、この辺にお住まいで?」
「いえ、仕事場が近くなんで…」
「え?じゃあ昨夜もお仕事で?」
「そうです、昨夜も、それから今日も」
「工事関係か何かですか?」
「え?あ、いや、そうじゃないけど…」
「大変ですね」
「いや、お兄さんだって…」
「ぼく実は今日でここ辞めるんです」
「……」
「今日まだお仕事ですか」
「まあ、そうですが」
「よかったら、ビール、いかがですか?」
「え?」
「シフト終わるんでごちそうしますよ」

すっごい変な感じだったのですが、まあ正月だからこういうこともあるのかな、とおもい、バイト兄さんのご厚意に甘えることにしました。

バイト兄さんはこれから実家に帰るのだがおそらくもう東京にはこれないだろう、というような身の上話をいろいろしてくれました。ぼくはというと、これといって人に話せるような内容の人生を送っておらず、だまってビールをチビチビいただくばかりでした。

そのうち副店長という方が「これ、よかったら」とお新香を差し入れてくれました。バイト兄さんはものすごく丁寧にお礼を何度もいいながらどうぞ食べて食べて、とまるで自分の家のようにぼくをもてなしてくれました。

その間、お客さんは誰一人あらわれず、なんとも奇妙な、だけど静かな、ゆったりしたお正月らしい時間が流れました。

その後、事務所に戻ったぼくはふわっとした気分に包まれて、そのまま泥のように寝てしまいました。結局その日は仕事がまるで手つかずで、結局正月三が日のすべてを事務所で過ごすことになってしまいました。

■ ■ ■

あれから26年。牛丼屋はいまでも青山一丁目の交差点のそばに佇んでいます。事務所が入っていたマンションも健在です。携帯電話はその後恐ろしい速度で進化し、ガラパゴス化を果たし、いまではスマホが普通の世界に。事務所はその年の大型連休中にぼくが夜逃げして消滅しました。

バイト兄さんはどこかの街で元気にやっているでしょうか。

変わらないものは変わってはいけないから、そのままなんですね。そして変わるものは変わらなければいけないから、変わる。是自然之摂理也。


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