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面白いことを言う人と広告コピー

すごい真理というものを、若くして知る事ができた人から成功する。

これは間違いない事実です。

ぼくのようにボーっと生きている人間がすごい真理にたどり着くには一生の長さが足りない。

だけど気づいちゃったんです。

すごい真理に。

人生の成功を手に入れるにはちょっと間に合わなかったかもしれないけど。

たどり着いちゃったんです。

すごい真理。

ただしそうやって時間をかけてたどり着いた真理は往々にして「みんな知ってるよ」「とっくに知ってるよ」「知らなかったの?」とばかにされたりするので、あまり大きな声では言いたくないし、言わないほうがいい。

だけどわかっちゃったものは仕方ないし、どうにも黙ってられないこの性格とも付き合いが長いのでいまさら止めるような野暮はしない。

まず、これです。いつぞやのTwitter。

そうなのだ。たいして面白い人間でもないくせに面白いことを言おうとするからすべったりころんだりするのだ。期待をしては裏切られ、欲望の果てに絶望と抱き合うことになるのだ。

そんなことを意識しなくても面白い人は面白いことを言う。というか面白い人はふつうに喋れば面白い。面白いことをいって人を笑わせよう、などという下劣な思惑はその時点で面白さのダイナミズムを減価償却する。減価償却って言いたかっただけですけど。

そうして、ぼくは以来、Twitterで面白いことをつぶやくのを辞めたわけです。そもそも面白いことをつぶやけていなかったので、どうということはありません。

しかし。

このテーマについて思考を巡らせているうちに、あることに気がつきました。

「これって、広告コピーにもそのまま当てはまるんじゃないか?」

つまりです。

面白い会社や面白い商品・サービスの広告コピーは、間違いなく面白い。逆に面白くない会社や面白くない商品・サービスの広告コピーは、どうがんばったところで面白くない。

と、いう真理。

あってるかどうか検証しましょう。

こういうときは名作コピーから逆算するべし。ということで80年代を華々しく飾ったSからはじまる広告三大銘柄の筆頭株、西武百貨店。

「不思議、大好き。」
「おいしい生活。」
「ほしいものが、ほしいわ。」

これらのコピーは広告というフィールドを飛び出してさまざまな分野で喧々諤々と意見が交わされました。

このときは、これら糸井重里さん作のコピーが面白いこと以上に、西武百貨店および西武グループが面白かったのだと思います。だからコピーが面白くなったのだと。

同時期の丸井のコピーを見てみましょう。

「好きだから、あげる。」

これは糸井さんのライバルと言われていながら実は大親友だった仲畑貴志さんの名作コピーです。このキャッチが生まれる背景について仲畑さんはこうおっしゃっています。

これは贈答用キャンペーンなんだけど、それまでの百貨店の贈答というのは、スクエアな形をしていた。だけど何かをあげるというのは、突きつめたら人の想い、その人自身をあげるわけだし、想いの形はスクエアじゃないものね。このとき僕は、勝手に三越を“仮想敵”にしたんだけど、三越が「義理だから、あげる」だとしたら、こっちは「好きだから、あげる」ーそういう展開なんです。
「ひとのあいだの言葉を拾う」仲畑貴志/広告大入門(マドラ出版)P335〜336

つまり三越や松屋は当時すでに面白くない存在だった。それに対して丸井は面白い商業施設だったわけです。だからコピーも面白くなる。

百貨店や商業施設ばかり取り上げておりますが、でもたしかに80年代の伊勢丹は土屋耕一さんや眞木準さんが勢いあるコピーを連発してました。伊勢丹が面白かったのでしょう。

じゃあ自動車は?旅行は?お酒は?洗剤は?洋服は?お菓子は?飲料は?となぜなぜ坊やのように矢継ぎ早にいろんな分野のコピーを検証してみたくなりますが、おそらくですが検証するまでもなく面白くない商品の場合は広告コピーもつまんないと思います。

だからなんども言いますが面白い広告コピーの商品やサービス、さらに会社は、きっと面白いところを持っているはず。

それを探して選ぶことが、賢い消費者への道なのではないでしょうか。

と、いうことが言いたいのではなくて。

じゃあ面白くない商品やサービス、企業の場合はどうしようもないのか。という問いですね。

世のコピーライターやクリエイティブディレクター、CMプランナーのみなさんはそれでも仕事ですから虫眼鏡で舐めるように対象物を眺め、どこかに面白い要素が隠されていないか、日々探しているのではないでしょうか。

あるいは物性から離れて、どうにかビッグアイディア一発で、この商品と消費者の関係が大きく変わるハプニングを起こせないだろうか、日夜頭を悩ませているのではないでしょうか。

なぜかというと。

面白くないものを面白く魅せることができてこそ、プロフェッショナルだろ?プロのクリエイターだろ?

もともと面白い商品やサービス、企業を上手く広告表現できるのなんて誰でもできるだろう。本当に優れたクリエイターは面白くないものを面白くするんだよ。

みたいな考え方がべったり染み付いているから。

でもこれ本当でしょうか。なんか一理あるんですけど、かたやで一理しかないような。面白くないものを広告で面白く見せたところで、そのもの自体の面白さは変わらないわけで。

そうそう、だから冒頭のTwitterですよ。

面白いことを言おうとした時点でその商品やサービス、企業は面白くないんです。

そういう商品やサービス、企業は広告で面白いことをいうためにお金や時間や労力を消費するのではなく。その商品やサービス、あるいは企業自体が面白くなるためのことにお金や時間や労力を費やしたほうがいい。

広告するのはそれからでもぜんぜん遅くないんじゃないか。

とくにこれからの世の中では、と思うんですよね。

そうすれば広告クリエイターの睡眠時間はもう少し増えるだろうし、ストレスも軽減されるだろうし、血圧も下がるだろうし、胃潰瘍も治るだろうし、平均寿命も伸びるかもしれない。

と、いう真理の発見について、つらつらと述べてみました。

ご愛読ありがとうございました。

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