フリーランス×サラリーマン=フラリーマン
14年間勤めた上場企業を辞めて渋谷のベンチャーに転職したのは45歳の秋。年収は300万円ダウンしたが自分なりに下手な絵を描いていた。
50歳で独立しよう。
50歳になるまでの5年間で、いまの自分にないスキルや知識を身につける。経験値を上げて、元の水準に給与を戻し、独立しても食いっぱぐれないようにしようと思ったのだ。
そのときの僕にはネット求人広告のコピーライターとしてのキャリアしかなかった。消費財の広告制作経験もあるにはあるが、いかんせん古すぎる。とてもじゃないが通用しない。
いくらなんでも求人広告を作る能力だけで世の中は渡れない。それでも、と抗うほど若くない。夢も野望もない。子供はいないが妻と犬はいる。ささやかに、独立即生活苦だけは避けたいと願う。
そのためにはキャリアの柱を増やさなければ。
転職活動は困難を極めた。50社以上応募したが書類で落とされる。無駄に高い年収とポジション、そして年齢。自分が採用する側だとしても俺なんか採らない。絶望の淵を匍匐前進する転職は消耗するばかりだ。
それでもなんとかWebマーケティングや美容系コンサルティング、EC事業などを多角的に展開するマイクロベンチャーにひっかかった。事業には求人広告業もある。当面はここでしのげる、とひと安心した。
■ ■ ■
入社のタイミングは良かった。
アートディレクターが中心となって、さまざまな事業をクリエイティブで支援する取り組みがはじまろうとしていたのだ。そこに唯一のライターとしてジョインされた。
手はじめにインフルエンサー兼役員(このあたりが実に渋谷)が運営するまつ毛サロンのブランディングと、低価格帯のリラクゼーションサロンのネーミングおよびコンセプト策定を担当する。
これは僕にとって非常にいい壁打ちとなった。
これまでの経験を活かしつつ、新しい領域で能力を試せる。何度でもトライできるし成果も見える。実店舗に施すクリエイティブはまるで生き物のようで、オープン後に来店されるお客様とともに育っていくことを実感できた。
そうした中ぐらいのサイズ感の仕事に加え、求人広告事業部の制作部分を統括。さらに自社メディアの立ち上げプロジェクトも主導した。
ここでは予算も知名度もないメディアがどうやって存在感を示していくか、という大きな壁にぶつかった。またSEOの基本やリスティング広告の回し方なども一通り学んだ。
あっという間に2年が過ぎた。
僕は47歳になっていた。
■ ■ ■
ある日、同僚からアルバイトしないかと声をかけられた。エンジニアである彼の知り合いが、マーケティングオートメーションに詳しくて文章が上手いライターを探している、という。
マーケティングオートメーションなんて聞いたこともなかったので断ったのだが、彼は強引に話を進めてしまった。
ところがこれがやってみると面白い。月に一度、顧客であるベンダーのもとを訪れて、営業責任者から3時間ほどのレクチャーを受ける。それをもとに、企業のマーケティング担当者に向けたコンテンツを書く。
まったくわからないことだらけなので、とりあえず全ての言葉を調べることからはじめた。ひさしぶりに知恵熱が出るぐらい勉強した。すると最初は凸凹だらけだった原稿が少しずつ整っていく。わかる言葉が増えるたび、営業責任者とのコミュニケーションも温度を増す。
実際に原稿の評判も悪くないようで、滞在時間と読了率が高いスコアを記録しているとのこと。気づけばそのベンダーからは他の仕事の依頼も来るようになり、いつしかギャランティも上がった。
僕はこのとき、ひとつ手応えを感じた。
タイミングというのは面白い。この同僚が成果に気をよくして他にも複数の案件を紹介してくれたのと同時に前職の仲間たちからも声がかかるようになった。原稿仕事だけでなく、文章の勉強会や地方での講演など依頼の幅が広がっていく。
最初はアルバイトのつもりで、主に就業後や土日を使って仕事をしていたのだが、事ここに至って平日の勤務時間を割かざるを得なくなってきた。手にする金額が給与に近い水準の月もでてきた。
次第に会社の仕事にかける時間と熱量はどうしても削られつつあった。手を抜いたりはしないが効率よく仕上げざるを得ない。
このあたりが潮時か。
この調子でオウンドメディアに載せるテキストコンテンツを軸に、採用系ブランディング、各種インタビュー、文章作成の講義を組み合わせることでなんとか食っていけそうな気がする。
■ ■ ■
「と、いうわけで辞めたいんですけど」
そう切り出した僕に、専務はまあもうちょっとかんがえてよ、と慰留の言葉をかけてくれた。ようは自分のスキルで自由に仕事をやっていきたいんでしょ?でもそれ、独立せずにできたらいいんじゃね?
専務が何を言っているのかよくわからなかった。専務はオッケーオッケー、俺に任せといて。代表にはいい感じで伝えとくから。細かいところ詰めれば大丈夫だよ。そう言って去っていった。
翌日、代表に呼ばれた。
「何か不満でもあるの?」
「いえ、まったくないです」
「ウチの仕事は飽きたの?」
「まあ、そういうわけでは…」
「ウチの仕事もやる気あるの?」
「もちろん、業務委託として」
代表は、うーん、業務委託とかだと頼みづらいんだよね。細かいこととかセンシティブなお願いもあるし。といいながら「じゃこうしない?」と提案してくれた。
僕に社外から直接依頼がきた仕事は自由にやっていい。その代わりギャラを会社に入れること。ギャラの総額の30%を給与に乗せて払う。確定申告や請求関係は総務や経理を使っていい。通信機器、PC、交通費、経費も会社持ち。でも同時に会社の仕事もきちんとこなすこと。
なるほど、要は会社をマネジャー扱いにするってことか。
これだとでっかく稼ぐことはできないだろうな。でもそもそも大きく稼ぎたいわけではない。食いっぱぐれなければいいと思っていたぐらいだ。
それにフリーランスの最大のメリットは「自由」ということだけど、僕はすでにさんざん自由にやらせてもらっている。何時に出社しようが退勤しようが、周囲に迷惑をかけなければ構わない。
だったらわざわざリスクをとって独立しなくてもいいんじゃないか。
よし、それならそれで大きな金額を会社に入れて業績に貢献するか。それも悪くないな。もともとサボり体質の僕のことだ。会社という舞台装置にでも縛られていないとまったく働かなくなる可能性も高い。
その日から僕はフリーランスのようなサラリーマン、フラリーマンになったのでした。独立する覚悟もなく、勇気もなく、おまけに年甲斐もなくフラフラしているハンパ者にとってはちょうどいい呼び方じゃないかな、と思うんだけど。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?