東京広告制作者独立奇譚
これは、一度出社すると2週間ぐらい家に帰れない制作プロダクションで働いていたとき、ボスから聞いた話です。
ボスは某◎鉄エージェンシーという電鉄系代理店でキャリアを積んだのち独立したコピーライターでした。それなりにコネクションも築いていて、また◎鉄OBとも仕事の融通をきかせあい、さらにバブルの残滓もあり、そこそこ派手めに仕事をしていました。
ぼくはといえば一社目の先輩の口利きで3人目のコピーライターとして事務所に混ぜてもらったはいいものの、書くコピーことごとく「ダメ、ボツ、バツ、やり直し」という日々。
向いていないのかなあ、もしかしたら、向いていないのかもしれないなあ。と、いまにして思えば呆れるぐらい呑気に将来への不安をぼんやりと抱えながら生きていました。
そんなある日の夜。六本木のオフィスの打ち合わせソファでボスがぼくを呼んで、いかにも楽しそうに語りはじめます。
ちなみに、ボスの言葉づかいはお世辞にも品がいいものとはいえませんが、実際にはこれの5倍は美しくなかったことを付け加えておきます。ここまで口が悪い人はぼくの知る限りトラブル・バスターに出てくる田所局長ぐらいなものです。
なあハヤカワ。このギョーカイは本当におっかねえなあ。よ?お前みたいなボンクラがふらふらしてっとよ、身ぐるみ剥がされちまうぞ。
こないだよ、俺のだいたい同期ぐらいのコピーライターのヤツがよ、T田っていうんだけどよ、独立しやがってよ。こないだっつってもお前、3年ぐらい前な。そいつ新卒で代理店入ってからずっとそこだったから、長いよ。確か10年以上だな。TCCも獲ったしよ。
でよ、そりゃあもう、社内では敵なしって感じで風切って歩ってたんだってよ。まあそうなるわな。電博やアサツーあたりじゃ通用しねえけどよ、あそこぐらいの代理店じゃTCC持ってりゃ水戸黄門様ってわけだよ。印籠だよ印籠、陰嚢じゃねぇぞバカ野郎。
そんなわけでヤツはトントン拍子で出世よ。リーダー、コピーチーフ、クリエイティブディレクターってな。まあそれぐらいまでは良かったんだけどよ、次はとうとう制作部長様かってんでよ。
そうすっとお前、アレだよ、ふだんからブイブイ言わせてるもんだから、ヤツの出世が気にいらない輩どもってのがゴソゴソつまんねえ絵を描きはじめんだよ。そいつらが一計図ったのかどうかはあずかり知らねえけどよ、ある日、当時の制作部長がそいつを呼びつけるわけだよ。
部長さんはそいつに言うわけよ。「T田君、キミもそろそろ独立して仕事の幅を広げてみてもいいんじゃないかね」ってよ。独立すればいまよりも縛りがなくなるから扱える案件が増えるし、なんせ会社勤めでは味わえない自由が手に入る。うまいこと文化人枠にでも食い込めばメジャー街道まっしぐらだ、なんて囁いたんだってよ。
しかもお前、独立にあたっちゃ現クラの中から太客3本付けるっていう大盤振る舞いよ。おまけにデザインチームからはロゴや名刺のデザインを餞別替わりにくれてやるって話だ。これに乗らない手はねぇってわけよ。
結局、奴さんは「東京T田広告製作所」なんつー名前を冠にして個人事業主になっちまったんだな。どっかで聞いた名前だな。バカ野郎、ウチの名前パクってんじゃねえってんだよな。
船出はよ、そりゃいい感じよ。あれだよ、そこの霞町の交差点をよ、ほれ三河屋あるだろ、あっちのほうによ、ちょっといったとこに事務所構えてよ。太客も最初はご祝儀ってんでデーハーな仕事回してくれるんだよな。
ところがお前、おっかねえのはこっからだよ。
半年ぐらい経ったあたりで太客からの仕事がビターッと止まるのよ。蒲田の、いや蒲田のってのがお笑いぐさなんだがファッションビル立ち上げのプロジェクトとかよ、沿線のいかにも売れ残りそうな分譲宅地とかよ。年間レギュラーとかいわれて受けたはずのスーパーのチラシの仕事までよ。
「えっ!?」
おお、お前やっと話が飲み込めてきたんか?ほんとお前はぼんくらだな。いままで俺の話がなんだかわかってなかったんだろうがよ。お前そんなんだからいつまで経ってもコピーが上手くなんねえんだよ。もうお前、次から名刺の肩書はコピーライターなんてもったいねえ、コプーライターにしろ、コプーライターに(笑)
なあ、紫咲、こいつの名刺、コプーライターでな、1000枚刷ってやれ、な!
「もったいないですよ」
そうか。それもそうだな。で、なんだっけ。そうそう、波が引くように仕事が消えていったんだけどよ、どうやら送り出した連中は最初っからわかってたんだってよ。
ちょうど契約が切れる前のクライアントと、AEがポカやっておかんむりだったクライアントと、あとなんだっけな。まあいいや、とにかく半年ぐらいでオサラバの客だけみつくろって、うまいこと押し付けられたんだとよ。
「ひどいすね…で、T田さんという人はいったい」
おう、だいたい調子に乗って浮かれポンチになってるヤローが悪いんだけどよ、それまで営業活動なんて一切してなかったしな、太客持ってるもんだから強気になっててな。せっかく独立の記念に、ってあちこちの中小代理店やダクション関係から来た依頼をかたっぱしから断ってたそうなんだよ。
お前、まさにお前…(楽しくて仕方がない感じでくつくつ笑いながら)まさに泣きっ面に恥ってのはこれだよな。
結局よ、どの代理店やダクションからも総スカン食らってよ。だからってお前、いまさら職業変えるわけにもいかねえもんだからよ、かわいそうに、とうとう求人広告に手を出したんだってよ。え?バカ、転職すんじゃねえよ、求人広告をつくってんだって。だっせえよな、まったくよ。
だからよ、お前ももうちょっとキチーッとな。キチーッと仕上げてやんないとな。このギョーカイはお前、魑魅魍魎がワッサいてよ、お前みたいな学のねえ田舎モン、あとかたもねえぐらい食われちまうぞ。高卒に書けるか?チミモウリョーよ。漢字で書いてみやがれってんだよまったく。
そういえばお前よ、キャッチどうなった?できてるかよ?早くやれよまったくバカ野郎。
果たしてボスが話してくれたこの寓話、どこまで尾びれ背びれがついた話なのかはわかりません。しかし確かにいまから30年ぐらい前ってのは、あちこちでふつうにこういう話がありました。
やれあそこの新興プロダクションはアドフラッシュで派手に露出しすぎて築地に潰されただの、どこやらの代理店の主事のデスクの上から三番目の引き出しには拳銃が入ってるだの。
やたらと物騒でしたが、個人的には嫌いじゃない世界でもありました。そしてぼくがいまだに独立せずに会社の軒先を借りて仕事をしているのも、この頃の体験がPTSDみたいになってるから…というのは決して言い過ぎではないと思います。
ちなみにSchadenfreudeの実践者たるボスはそれから1年後ぐらいにぼくと同僚に夜逃げされて、おそらくですが業界のすみっコに同じようなネタを提供する側に回ることになりました。
そして、約5年後、ボスがだっせえよなとバカにしていた求人広告で、ぼくは再起を図るのでありました。
いやあ、本当に恐ろしいのは慢心ですね。くわばらくわばら。
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