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徹夜とわたし

そういえばいつから徹夜しなくなったのだろう。

ある日の朝、唐突にそうおもった。そうおもったらいてもたってもいられなくなって、徹夜についていろいろ考えを巡らせるわけです。

最後の徹夜はいつだっけ。

あれは…たしか…(ポワポワポワポワポワ~ン←回想によくあるSE)


ときを遡ること14年前。前職でマネジメント能力があまりにもなくて主力事業の制作部門を干され、アルバイト採用サイトのリニューアルというよりほぼ新規立ち上げに回されたとき。

アルバイト求人広告の原稿制作は比較的簡単で、営業マンでも十分に対応できる。ただし、採用難易度の高い職種の募集の際にはやはりどうしても制作専門職の力が必要になっていた。

そこで小規模ではあるが制作チームを組成。責任者として営業の原稿クオリティチェック、制作が作る原稿のクリエイティブディレクション、広告の品質向上の取組み、掲載規定の策定ならびに運用、効果測定、メンバー育成などのマネジメント、新規採用と、いま思い出しても忙しい日々を送ることになった。

一方で営業部門は品行方正というよりガッツとガッツとガッツの塊みたいな輩がズラリと顔を並べている。みんな朝から夜遅くまでテレアポか飛び込みしまくり。それでも平気で仕事中に大声で「オレンジレンジになりたいわ~♪」と元気いっぱいに唄うようなメンタルの持ち主ばかりだった。

「あさりちゃんオレンジレンジになりたいん?」
「そう!なりたいの!」
「なんでや?」
「んーと、楽しそうだから!」

立派な四大卒の営業ウーマンである。

そんなんだから月末の最終入稿前日はパニックになる。ヨミはもちろんヨミ外からの制作依頼、半分屍と化した営業マンがヨレヨレになって作った原稿のチェックならびに修正依頼、制作メンバーの原稿チェックが山のように立ちはだかるのだ。

当時、わたしは41歳。まさか40歳を超えて徹夜する羽目になるとは…と、思いつつもモカやユンケルの高いヤツをデスクに並べてなんとか毎月乗り切っていた。

あれが最後の徹夜だったな。
徹夜か…何もかもみな懐かしい。


じゃあ、最初の徹夜はいつだっけ。

もちろん遊びではなくて仕事で、の徹夜だ。

遊びの徹夜は果てしなく楽しい。うっかりはじめた麻雀が運と実力が均衡過ぎて西入、北入と半荘を重ね、気づけば二日経っていたとか。飲みからのディスコ(いまならクラブですな)からのカラオケ(いまならダーツですな)経由サウナ(いまならカフェですな)で夜明けを迎えるとか。

そうじゃなくてはじめて仕事で徹夜となってしまった時。

あれは…たしか…(ポワポワポワポワポワ~ン←回想に)


最初に入社した求人広告代理店で徹夜をしたことはなかった。なぜなら終電を過ぎて仕事をしている社員にはタクシー代が支給されたからだ。なんて恵まれた会社なんでしょう。

二社目の神楽坂の制作プロダクションでも徹夜はなかった。なぜなら毎日19時を過ぎると社長が晩飯に誘ってくれたからだ。必ずである。なんて恵まれた職場なんでしょう。

問題は三社目。六本木のコピーブティックである。入社前の面接の日、いきなり泊まり込んだのを皮切りに(この時はオフィスで雑魚寝)入社二日目から徹夜生活がはじまった。

だって、ボスのコピーチェックでOKが出ないんですもん。OKが出ないことには帰れないんですもん。たとえ代理店さんやクライアントがOKだといってもボスが首を縦に振らなければそれはOKではないのですもん。

そしてボスはマウンテンゴリラばりにおっかないんですもん。ぴえんこえてぱおん。

ボスとボスの愛人と先輩とボク、というリリー・フランキーの小説のようなコピーブティックでわたしは最長4徹を経験した。4日間完徹である。

もちろんその翌日の5日目は2時間、6日目は3時間、7日目はふたたび2時間、8日目は4時間睡眠を取ることができた。9日目、ようやく家に帰ることが叶った時わたしは埼京線池袋駅のホーム反対側に設置されている看板を見て「看板になりたい」と真剣に思った。

混同されがちだが完徹と泊まり込みは違う。

23歳の若者が風呂に入らず(一回だけ麻布十番温泉に行った)これだけ長きにわたって事務所で過ごすとどうなるか。汚い話で恐縮だが脇に白い玉が目立つようになる。垢のカタマリであった。

飯を食うと眠くなる。そもそも六本木で飯を食えるほどの収入はない。ゆえにタバコとホールズのシークエンスでしのいだ。当時の身長はいまと同じく166センチだが体重は50キロあるかどうかだった。

いまでこそ笑い話だがその時はまったく笑えない。彼女が心配して毛布を持ってきてくれて、その時だけはボスが解放してくれた(ただし1時間)ので、WAVEの並びにあった「勤労青年の店・越路」というカレーの店に行った。わたしはまごうことなき勤労青年であった。

そんな徹夜生活で得たものはなんだったか、というと。30歳からお世話になったネットベンチャーでのハードワークが屁でもねえよ、ということだった。

23時に「いってきます!」と新宿の街に飛び出す営業マンを見送り、2時半ごろに「ただいま帰りました」と戻って来た営業マンを「おかえり」と笑顔で迎えるなど朝飯前の晩飯抜きである。

そう考えると徹夜も時と場合と人によっては悪いことばかりでもないんだなあ、とおもう。特にわたしのように学も知も能もない人間がいっちょ前に人様と同じような暮らしをする上では必要なことなのかもしれないとさえおもえるから不思議大好き。


いま、徹夜しろ、と言われても絶対にできない自信がある。遊びでも無理なんだから仕事の場合、確実に翌日のパフォーマンスは落ちる。そしてそのダメ人間状態は3日は続くであろう。全く使い物にならなくなるはずだ。

ただ。

ときどきちょっとだけ、懐かしいな、とおもうこともある。

夏の夜、コピーワークに没頭するがあまり、気づいたら白々と夜が明けていたとき。まだ動き始めていない街にわざわざ出て、深呼吸する。

ぜったいにクオリティには反映されていないはずなんだけど、なんかすごく働いた、がんばったような気持ち。よくわからない充実感や達成感。

こんなに打ち込める仕事をしているんだ、と自分に言い聞かせるのもさほど無理がない、あのちょっとニヤけたくなるような感覚。

そういう味を噛み締めていたことを、懐かしく、そしてなんだかいいなとおもうのです。

(画像は六本木コピーブティック時代、バリバリ徹夜マシンだった頃のわたし)

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