ハコネコ

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泣く女

平日の昼間に制服を着た生徒が街なかで身を隠していられる場所というのはごく限られていて、中心街から郊外に向けて延びる商店街の中にひっそりあったこじんまりとした料理店は、ふつうなら授業を受けているだろう時間にやってきてゆっくりくつろいでいる制服のカップルに何も訊かずにいてくれる貴重な居場所だった。 白熱電球に照らされる店内では穏やかなジャズのレコードがかかっていて、店主の女性がひとりでゆったりと、シンプルで丁寧なドリアをつくっていた。その日も私はいつものようになすのドリアを注文

    • 『テオレマ』 〜不勉強の哲学②

      ミラノ郊外のブルジョア家庭に現れた謎の青年。一家はその魅力に惹き込まれてアイデンティティが破壊され、平凡な自分ではいられなくなり、じわじわと狂いはじめる。やがて青年が去ると、家族はバラバラに壊れてしまう。 まず最初に思い浮かべたのは、津波に浸かって調律が狂ったピアノを「自然に調律された」と表現した坂本龍一の言葉だった。人間は「狂う」と言うが、人間によって鋳型にはめられたピアノは自然に戻ろうとしているのだ、と。(*1) 本能的な欲望を抑圧して、空虚を偽りの価値や思想で満たし

      • 不勉強の哲学

        なぜあんなにも、何をそんなに話したかったのだろうと思う。3分10円の市内通話で毎月1万円を超える電話代を請求されるほど。コードレス電話機の充電が切れてしまうほど。10代の恋人たちには、なにかとても重要な愛の指標のように思われた。 同室のきょうだいが隣で寝ているにもかかわらず、布団に潜って電話していれば二人の世界だと思えたし、他人の会話はたとえ聞こえていても聞こえないふりをしたものだった。それは隣の家の口喧嘩でもそうだったし、街なかの公衆電話で話す人や喫茶店での会話などでもそ

        • はて、書けば書くほど、もしかしたら客観的には「きちんとした目的と明瞭な視野をもって、自立的に人生を生きている人のように見える」のかもしれないな、という気がしてきた。

        • 『テオレマ』 〜不勉強の哲学②

        • 不勉強の哲学

        • はて、書けば書くほど、もしかしたら客観的には「きちんとした目的と明瞭な視野をもって、自立的に人生を生きている人のように見える」のかもしれないな、という気がしてきた。

          I don't know why...it's automatic

          なんだか神話が生まれそうな不思議な台風。“秒速5センチメートル”でのろのろと「遠隔豪雨」を降らせて、“こんなとこにいるはずもないのに”って地域で被害が出る。急速に衰えて、ほとんど形をとどめないほどになってしまったけれど、まだギリギリ台風と呼べる勢力ではあるらしい。甚大な被害にならないことを願います。 ✎︎✎✎ さて、前回のnoteのつづきです。 なんとなく「流される」と書いたけれど、どうも私が流されてしまうものは多くの人とは異なる欲望なのではないか。周囲の空気や意見に合わ

          I don't know why...it's automatic

          上り坂下り坂まさか

          女性ではわりと珍しいのではないかと思うのだけれど、私は運転免許をマニュアルで取っていて、最初の車はマニュアルシフトのRV車だった。まだ世間にはスポーツカーを走らせることへの憧れがそれなりにあって、オートマ限定の男はからかわれるような不合理な空気が残っていた一方で、女性に対しては、なぜ今わざわざマニュアルで? という反応を聞くことが多かった、そんな時代だった。 左足をぐいっと前方に踏み込んで、左手でギアを入れる。左足をゆっくり引き戻しながら右足でアクセルをコントロールしてクラ

          上り坂下り坂まさか

          コトバヲ オクル

          成人式の朝、玄関を叩く音がする。 電報? 早朝から電報が届くような状況は、ちょっと古い時代を描いた映画やドラマの中でしかお目にかかったことがない。しかもだいたいにおいてよくない報せだ。確認をとる配達員の声は思いのほか明るかったが、おそるおそる玄関に向かい戻ってきた母は、どこか訝しげに私の表情をうかがっている。 手渡されたワインボトルを象った台紙を開いてみると、「夢で逢えたら」の電子メロディとともに、思いもよらない相手からの予想の斜め上を行くメッセージが飛びこんできて、頭が

          コトバヲ オクル

          ガラガラじゃないヘビがやってきた

          いったいどこから入りこんだのか、幸運の兆しだという。(本当に?) アオダイショウは青いものだと勝手に思いこんでいたが、あまり可愛げのない色をしているのだな。うちには餌になりそうな生き物はいないはずだけど、連日の猛暑つづきで変温動物の彼らも外にいるのが辛くなっているのかもしれない。 下水道が整備される前は洗濯機の水をそのまま排水溝に流したりしていたので、湿り気を帯びたその周辺にはサワガニが集い、壁づたいに家の廊下を横歩きする姿を見かけることもふつうにあった。サワガニが比較的

          ガラガラじゃないヘビがやってきた

          深淵をのぞく時 〜「子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇」

          雨の日は、いつも自転車で帰る駅からの道のりをバスに乗って帰ることにしていた。私が生まれた年にできたというショッピングセンターを少しブラブラして、薄暗く雨に曇った国道を流れるヘッドライトを眺めながらバスを待っていると、背後から制服のスカートが捲られてフラッシュが光った。驚いて振り返ると、カメラをぶら下げた男が「ごめんね、ごめんね」と謝りながら走り去っていく。突然のことで事態がつかめず、「えっ?」と思わず笑ってしまった。 「子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇」という調査報道番組を

          深淵をのぞく時 〜「子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇」

          冷やし中華はじめたくなるむんっとした梅雨の晴れ間に少しでも居心地が良い場所を求めて、イヌがいつもコテッと横向きに寝っ転がっていたトイレの前に座り込み、いまこうして何かを書きだそうとしている。と、携帯が細かい振動でかつて必要とされたリズムを刻み始めた。未だ削除できないでいる12時間間隔で設定したアラームは心臓の薬の時間を知らせるものだった。 自分の意思で動物を飼いはじめたことは一度もない。いつも突然やってきて私の生活に欠かせない存在となる。彼女もある寒い冬の日に毛布の敷かれた

          リアルよりリアリティ

          随筆をエッセイに変えた男、伊丹十三の「エンターテインメントにおいてはリアルよりリアリティの方が上」という考え方にとても感銘を受けたと、いつだったかのNHKの番組で伊集院光が語っていた。ありのままでは作り物に見えてわざとらしいと、リアルから何かを足したり引いたりして、「正しい」リアリティを演出するのだと。 村上春樹のエッセイを読んでいて、なんとなくそんな伊丹十三のエピソードを思い出し、西洋の文化をベースに、一言で言えばキザな雰囲気を纏いながら、どことなく自分を「空っぽ」な存在

          リアルよりリアリティ

          『Ryuichi Sakamoto: CODA』

          津浪にのまれて泥水に浸かったピアノ。錆びついた弦、狂った調律、ところどころ戻ってこない鍵盤を指で持ち上げながら、聴診器を当てるように注意深くコードを並べる。スティーブン・ノムラ・シブルによる坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の冒頭の場面だ。 津波という凄まじい自然によって「調律」された、人間にとってはズレた音。 型に嵌めてギュッと締め上げ、数学的に調整された音が、個々に自然に戻っていく。平均的に実用的に揃えられた周波数が "Eq

          『Ryuichi Sakamoto: CODA』

          アリオリはべるいい女

          「いい女は、男に草履では会いに来させない」とか言いながら、ツッカケを履いた左足を私に向かって差し出した彼の真意は、キミが男を取られるのはツッカケでいいやと思わせるような女だからだ、ということだったのだろう。まったく糠に釘であったが。 にんにく、鷹の爪、オリーブオイルで作るシンプルなソース、アーリオ・オーリオを彼に教わって以来、ペペロンチーノばかり作っていた。これが意外に奥が深く、いつも何かが足りない気がして、なかなか満足のいくレベルにはならない。村上春樹の小説の主人公なら、

          アリオリはべるいい女

          青じそドレッシングの夏

          お昼の12時に隣の建屋にある社員食堂を目指していく。少し並んでトレーを取り、まずは白米か麦飯を選ぶルートか、麺類やカレーに向かうルートか。週のはじめのカレーはまだ煮詰まっていなくて物足りないので、60円の麦飯を主食に何品かおかずを選ぶことにしよう。 特に理由といえる理由もないのだが、いつもなんとなく麦飯を選んでいた。主菜に小鉢やサラダまで付けて食べていると、「いつもおかず一品多いよね」なんて言われるので周りを見回してみる。たしかにけっこうみんなシンプルにざるそばやカレーだけ

          青じそドレッシングの夏

          エッグスン・コケッコーズ

          いつもよりちょっといい卵があったので、卵かけごはんが食べたくなった。パックからひとつ手に取る。小ぶりでざらっとした濃い茶色の殻を割り、たしか栄養価は変わらないんだよな、と身も蓋もないことを思いつつ出汁醤油を回しかける。卵が短時間でふんわり泡立つのは、ごはんの熱で程よく加熱されるからだろうか。 何年か前までは、朝の明けきらない時間に一番鶏の鳴き声が聞こえていた。コケコッコーというオノマトペで表されるあの音声は、夜明けを告げるにふさわしく朗らかで、ほどほどの距離で聞くぶんにはな

          エッグスン・コケッコーズ

          豆腐屋のラッパ

          午前中に雨は止んだが、紫陽花がまとうのにちょうどいいくらいの重さを残した――具体的には湿度73%の晴れの空気がレースのカーテンを揺らしている。その向こうで半音ずつ上がり下がりするラッパの音。 駅から徒歩10分の通学路の途中、老夫婦の営むちいさな豆腐屋があった。30分に一度しか列車が停まらないホームに5両編成のドアが開くと、制服に収まりきれずにあらゆる方向にはみ出した欲動が吐き出されて構内を埋め尽くす。ひとつしかない改札を砂時計が落ちるように通りぬけた彼らがおよそ3分後に通り

          豆腐屋のラッパ