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リアルよりリアリティ

随筆をエッセイに変えた男、伊丹十三の「エンターテインメントにおいてはリアルよりリアリティの方が上」という考え方にとても感銘を受けたと、いつだったかのNHKの番組で伊集院光が語っていた。ありのままでは作り物に見えてわざとらしいと、リアルから何かを足したり引いたりして、「正しい」リアリティを演出するのだと。

僕は小説の中では実際にあったことをまず書かないのだけど、たまに本当のことを書くとよく「そんなの嘘だ」と非難される。どうしてだろう。僕の側に何か人格的な問題があるのかもしれない。

村上春樹「おいしいカクテルの作り方」

村上春樹のエッセイを読んでいて、なんとなくそんな伊丹十三のエピソードを思い出し、西洋の文化をベースに、一言で言えばキザな雰囲気を纏いながら、どことなく自分を「空っぽ」な存在として見ているようなところなど、そういえば二人には共通する「感じ」があるように思う。

私には男という生き物が時々、男であるというよりも、男をやっているように映る。異性の自分にはそれはそれなりに愛おしい姿に思えるのだが、男として「こうあらねばならない」という美学を追いながら、しかし自分とは何なのかという空虚感に苦しみ足掻いて、なんとか男としての自分をやれる方法を探ってきたのだろうと、私自身も自己の中心に深い穴のようなものを感じている一人として、やはり二人の感覚には共感を覚える。

いわゆるセンスと呼ばれる感覚は、そうした自分のあり方をめぐって試行錯誤する先にあるのか、それよりも手前にあるのか、話題の本を読んでみたくなる(というよりやっぱりタンポポオムライスが食べたいな)。

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