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『Ryuichi Sakamoto: CODA』

津浪にのまれて泥水に浸かったピアノ。錆びついた弦、狂った調律、ところどころ戻ってこない鍵盤を指で持ち上げながら、聴診器を当てるように注意深くコードを並べる。スティーブン・ノムラ・シブルによる坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の冒頭の場面だ。

津波という凄まじい自然によって「調律」された、人間にとってはズレた音。

型に嵌めてギュッと締め上げ、数学的に調整された音が、個々に自然に戻っていく。平均的に実用的に揃えられた周波数が "Equal" ではなくなることをわれわれは「狂う」という。 が、

人間の都合で歪められた箱の中でつくられた音は、その圧力につねに抵抗している。人間を中心とした考え方から離れてみれば、狂うとは、自然に調律され、自由に鳴ることだ。

微妙な差異を反復するなかに現れ、次第に存在感を増していくピッピッという電子音、ノイズ、そして「津波ピアノ」。線量計の示す数値、人工物と自然の摩擦、壮絶な自然の調律が、日常の反復を呑み込み、ついには消し去ってしまう。

線量計が止んでも日常が戻ることはなく、人間と自然の摩擦、「ズレ」だけはとめどなく続いて、不穏な不安を耳に残していく。

泥に塗れたままのピアノ、海水で錆びた弦を鳴らした音が印象的に使われた「ZURE」(アルバム「async」収録)をバックに、ニューヨークで坂本龍一の見た911が語られる。崩壊するツインタワーとカメラの間を横切って飛んでいく鳥のおもい、若者がギターで奏でる「Yesterday」を耳にして初めて気付く、一週間音楽を聴いていない、聴いていないことさえ忘れていた自分。

この映画を観て、昼寝をしたら、あなたの夢をみた。


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