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冷やし中華はじめたくなるむんっとした梅雨の晴れ間に少しでも居心地が良い場所を求めて、イヌがいつもコテッと横向きに寝っ転がっていたトイレの前に座り込み、いまこうして何かを書きだそうとしている。と、携帯が細かい振動でかつて必要とされたリズムを刻み始めた。未だ削除できないでいる12時間間隔で設定したアラームは心臓の薬の時間を知らせるものだった。

自分の意思で動物を飼いはじめたことは一度もない。いつも突然やってきて私の生活に欠かせない存在となる。彼女もある寒い冬の日に毛布の敷かれたダンボール箱に入れられてやってきて、血統書付きのチャンピオンの子がなぜかいきなり私の人生の一部になってしまった。

彼女と暮らしはじめた頃にぶかっと履くつもりで2インチ大きめを買った501は、気がつけばなぜか(なぜか)ちょうどいいサイズ感になっている。

私にとって出会いとはおおむねそのようにある日突然やってきて、いつかこうして思い出されて見知らぬ誰かに語られるいくつかのエピソードと、どうしたって語り尽くせないかけがえのない思いと、いつまでも忘れえない別れの傷跡を残して去っていく、受け身的なものであって、自分から求めていくことはほとんどない。

日が暮れて幾分過ごしやすい気温になったので扇風機の前に移動した。流水でほぐした中華麺に刻んだキュウリとハム、そして炒り卵をのせて胡麻だれをかけた冷やし中華を啜っている。

畑から採ってきたばかりのキュウリはトゲトゲゴツゴツして、ミニトマトは弾けるように瑞々しく、祖父が遺した畑には今年も夏が来た。

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