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GLAYの名曲「ずっと2人で…」を、当時のインタビューから旅をする。

5月17日は、GLAYが1995年に5枚目のシングル「ずっと2人で…」
1stVIDEO CLIP「VIDEO GLAY」が同日発売した日です!

はじまりのうたこです。
今回はシンプルにGLAYの名曲「ずっと2人で…」の旅をお届けします。GLAYが北海道の函館から東京に上京してくる当時の話題もあります。

【はじめに】

私のnoteの冒頭は、人生の半分以上大好きで来週(5月25日に)デビュー28周年を迎えるGLAYの活動を私の視点で振り返る「GLAYの何の日」から始めている。これはGLAY公式HPから「何年前の今日」を順番に遡って紹介したいことを1つ選んで、情報を確認しながら書いている。noteを続けるモチベーションになるし、知らなかった当時のエピソードを振り返ることができるのが嬉しい。いつもはnoteの経験談を最初に書いていたが、今回は私がnoteをはじめた理由の1つでもあるGLAYをメインに語る。

【「ずっと2人で…」を改めて】

間違いなくGLAYの代表曲の1つ。実は1stアルバム「SPEED POP」からのシングルカット曲。GLAY公式HPの「SONG LIST」によると「合計8作品のCDに収録」されていて、アレンジやライブverを除くと、あの「HOWEVER」より多いことが分かる(HOWEVERは6作品+ライブやリアレンジverが3作品)

2013年にGLAYの故郷である函館・緑の島で初めて行った野外ライブ「GLAY Special Live 2013 in HAKODATE GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.1」の特設HPにもレポートがあるが、TERUさんのお姉さま結婚の為に高校生のTAKUROさんが(函館山ロープウェイのあるFMいるかの近く、リニューアル前の「カフェ・ペルラ」で)書いた曲というのはあまりにも有名な話。なお2015年函館アリーナのこけら落とし公演「GLAY Special Live at HAKODATE ARENA GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.2」当時のWEB記事によると、その頃に書いた「CDとは違う歌詞バージョン」で歌われたそう。

GLAY公式HPにある当時のレビュー記事とメンバーコメントを読むと、デビュー前から本人たちの思い入れも強い曲というのが改めて分かった。

(B-PASSのレビュー)
【この曲はGLAYができた頃からある曲で、ずっと温めてきたという話は何度か聞いていたが、この曲の成長過程をちょっと紹介しておきたい。まだ原型でしかなかった「歌」が生まれたのがTAKURO18歳のとき。東京に出てきたのもこの曲と一緒だった。励まされ、慰められてきたこの「歌」は、彼23歳の春にようやく持つべき言葉を見つけ、完成。こだわりがありすぎて、TAKUROとTERUがぶつかったという曲だ。】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/51/

【(「ずっと2人で… 物語'95」by TAKURO)
僕は18歳で、この「歌」と出会った。もうすぐ春を迎える函館という町で。まだ言葉すら持っていなかったけれども、それは確かに「歌」だった。数ヶ月で19歳を迎えようという頃、GLAYのメンバーと、この「歌」と一緒に東京という街に出てきた。
思うように活動できない時も、名前のないこの「歌」に励まされ、慰められて「こいつを世に出すまでは、やめられない」と決心したのは20歳前だったと思う。白くて狭い部屋の中で、眠れない夜などには、そーーっと取り出して、、いつもこの「歌」にお見合いをさせたんだけど、気難しいこの「歌」は、品の良い言葉とか育ちの良いハンサムな言葉には、てんで愛想がなくて、本当に僕を困らせたもんだ。ここまで来ると、花嫁の父親の気分だね。
必死で探し続けた言葉は意外にもGLAYの地元、函館で見つけた。余程気が合うのか、すぐに仲良くなって、僕の5年間を優しく撫でて、とうとう僕の元を離れていってしまった、23歳の春に。
僕が嫉妬する前に。GLAY TAKUROの錦を飾れ!!】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/51/

正直「ずっと2人で…」はミュージックビデオではなく、ライブでの演奏に馴染みがある。当時のMV(「VIDEO GLAY2」収録)のインタビューを見返すと、あえてドキュメント風MVにしたようだ。

(Visious)
【JIRO「北海道のシーンも入ってるし、『Yes,Summerdays』のビデオのアウトテイクも入ってるし…」
TAKURO「『More Than Love』のメイキングシーンも入ってるし」
TERU「『Yes,Summerdays』なんてかなり前だよね」
TAKURO「うん。去年の6月くらいからの映像が入ってるよね。本当に感動的なビデオに仕上がったと思います。曲って聴く人の数だけシチュエーションがあるじゃないですか?それこそ自分の学校生活と『ずっと2人で…』が重なっているとか。俺達はこの半年から1年の活動がこれなんですよ。」】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/52/

【「VIDEO GLAY」と同時リリースの理由】

GLAY公式HPにインタビューが残っていた。ファンのことを当時から大切にしてくれているのが伝わってくる。

(アリーナ)
【-「ずっと2人で・・・」と同じ日に初のビデオクリップ集がリリースされます。
TAKURO「これは、レコード会社が出しましょうって(笑)」
JIRO「音楽番組って今ないじゃないですか。せっかく作ったものを、一部の地域の人にしか見せられないのはもったいないし、初期の作品を観たいっていうニーズもあったりして(笑)」
まぁファンサービスみたいなもの
TAKURO「そういう意味合いは多分にあるね。だって俺ら、地方とかあまり行かないじゃないですか。ツアーも年に何本かだし。自分のことを考えても、好きなアーティストが動いてるのを観るのは、1年後とかだったりするんですよね。洋楽なんか特にそうでしたから」
JIRO「そのへんがほら、地方出身者の気持ちの通じるところで(笑)」
TERU「人の気持ちがわかるバンドなんです、GLAYは(笑)」】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/51/

【私はGLAYになりたい】

カッコイイ音楽とメンバーがずっと仲良しのGLAYに憧れて、学生の頃は一瞬だけ友人と小さなバンドを組んだ時もあった。その後GLAYがキッカケでFMラジオに新たな好きを見つけて新たな夢を持つ。ファンになる前の作品は、自分の思い出と発売当時がリンクしているわけではない。ただライブやラジオや日常で得た「新しい思い出」が、楽曲を聴くと色濃く蘇ってくることがある。

おそらくメンバーは見返すのは恥ずかしいと思うが、昔の記録があることで「GLAYの当時を振り返ることができる」ことと「GLAYは何歳の時に何々をしていた」等、今の自分に置き換えて吸収することができるのは感謝しかない。メジャーデビューまもなく28周年(5月25日)解散しないと公言しているGLAYのように、これからも自分なりに状況に合わせて「続けること」や「夢を叶える」に向かい悩みながら少しずつ進んでいきたい。今後もnoteもそれに合わせて内容や更新頻度を選んでいくだろう。

もし様々な「ラジオ番組」や地域の「コミュニティFM」など、何かしらに興味を持ってくださったあなたへ。災害時などにも活用できるラジオの聞き方の記事を過去に書いたので良かったら(停電に備えて、電池式のラジオの用意もお勧め)

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、またここであいましょう!

第18話【GLAYの名曲「ずっと2人で…」を、当時のインタビューから旅をする。】

<おまけの追記>
連続更新1か月で振り返りました。毎日GLAYやラジオを中心に記事ができたので、もしお時間ありましたら。

1か月以降のおすすめ記事はこちら。

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